2010.02/02(Tue)
おとうと
良かったです。観るまでは、吉永小百合さんと鶴瓶ちゃんが姉・弟という設定に無理はないかい?と、思っていたのですけど(笑)。だって、お二人の顔のどこに、血縁関係が見てとれます?市川崑監督の『おとうと』の岸惠子さんと川口浩の方は納得できますが・・・。
エンドロールの最後に「市川崑監督に捧げる」というテロップが流れました。山田洋次監督版『おとうと』も、市川監督のものと同じく、賢い姉とダメな弟を描いた物語ですが、内容はずいぶん違います。ただ、似たようなシーンはあります。これは市川作品へのオマージュとして挿入されているのでしょうね。
映画の舞台は現代です。冒頭、1952年の血のメーデーから昭和の出来事が次々と紹介されていきます。それらの記録映像の中に『男はつらいよ』の寅さんのアップも・・・。そうかぁ、鶴瓶さんの起用はそういうことなのね♪鶴瓶さん演じるおとうとと寅さんが自然と重なる、そんな映画です。可笑しいけどほろ苦くて、切ない話なのに、その到達点はなぜか暖かいんですよねー。家族の関係が希薄になったと言われる現代。忙しく立ち回っている人も、ちょっと、歩みを止めて、自分の周りを見つめてみれば、優しい何かが見つかるかも。。。
吉永さんはあの美貌で64歳というから驚きです。綺麗でかつ、品がある。小百合さんの品と鶴瓶さんの人懐っこさがピッタリと合わさり、ホッコリとした優しさが生まれたように思えます。映画を包む暖かな空気は見る者を素直にします。出来の悪いおとうとをかばう姉の気持ちに近づけるんですよね、そして二人を応援したくなる・・・こんな風に思わせるところが山田監督の巧さではないでしょうか。
ネタばれ
さんざん姉に迷惑をかけたおとうとが行き倒れ、民間のホスピスに収容されるのですが、そこで働くスタッフが良い人ばかり。だからでしょうね、入居者たちに荒くれだった悲壮感はありません。おとうとも、持ち前の明るさで周りに笑いを振りまいている。だけど、心の隅っこでは惨めさを感じているのです。こういう感覚は非常に日本人的だと思うのですよ。寂しさを伴う滑稽さです。辛い生活を切りぬけるためには、笑いは欠かせないのかもしれません。
おとうとは肉親とホスピスのスタッフに寄り添われ、穏やかに死んでいきます。人に迷惑ばかりをかけてきた男の最期にしては上出来。山田監督が描いてきた家族愛と人情が集約されているシーンでした。人の善意を信じたくなる映画です。ラスト、加藤治子さんのセリフに涙しました。
エンドロールの最後に「市川崑監督に捧げる」というテロップが流れました。山田洋次監督版『おとうと』も、市川監督のものと同じく、賢い姉とダメな弟を描いた物語ですが、内容はずいぶん違います。ただ、似たようなシーンはあります。これは市川作品へのオマージュとして挿入されているのでしょうね。
映画の舞台は現代です。冒頭、1952年の血のメーデーから昭和の出来事が次々と紹介されていきます。それらの記録映像の中に『男はつらいよ』の寅さんのアップも・・・。そうかぁ、鶴瓶さんの起用はそういうことなのね♪鶴瓶さん演じるおとうとと寅さんが自然と重なる、そんな映画です。可笑しいけどほろ苦くて、切ない話なのに、その到達点はなぜか暖かいんですよねー。家族の関係が希薄になったと言われる現代。忙しく立ち回っている人も、ちょっと、歩みを止めて、自分の周りを見つめてみれば、優しい何かが見つかるかも。。。
吉永さんはあの美貌で64歳というから驚きです。綺麗でかつ、品がある。小百合さんの品と鶴瓶さんの人懐っこさがピッタリと合わさり、ホッコリとした優しさが生まれたように思えます。映画を包む暖かな空気は見る者を素直にします。出来の悪いおとうとをかばう姉の気持ちに近づけるんですよね、そして二人を応援したくなる・・・こんな風に思わせるところが山田監督の巧さではないでしょうか。
ネタばれ
さんざん姉に迷惑をかけたおとうとが行き倒れ、民間のホスピスに収容されるのですが、そこで働くスタッフが良い人ばかり。だからでしょうね、入居者たちに荒くれだった悲壮感はありません。おとうとも、持ち前の明るさで周りに笑いを振りまいている。だけど、心の隅っこでは惨めさを感じているのです。こういう感覚は非常に日本人的だと思うのですよ。寂しさを伴う滑稽さです。辛い生活を切りぬけるためには、笑いは欠かせないのかもしれません。
おとうとは肉親とホスピスのスタッフに寄り添われ、穏やかに死んでいきます。人に迷惑ばかりをかけてきた男の最期にしては上出来。山田監督が描いてきた家族愛と人情が集約されているシーンでした。人の善意を信じたくなる映画です。ラスト、加藤治子さんのセリフに涙しました。
タグ : 映画感想
2010.01/15(Fri)
追憶
1930年代から50年代の初めまでの、20年間にわたる男と女の関係を、アメリカに吹き荒れた「マッカーシズム」を背景に描いたラブ・ストーリー。ユダヤ人の運動家ケイティをバーブラ・ストライサンド、彼女の元クラスメイトのシナリオライター・ハベルをロバート・レッドフォードが演じている。バーブラ・ストライサンドが歌うテーマ曲は映画とともに大ヒットした。当時の私は、哀愁たっぷりのメロディとレッドフォードの甘いマスクに酔いしれたものだ。原題は「The Way We Were」。1973年 アメリカ映画。
学生時代のふたりは同じ創作クラスに属していたが、対照的なキャンパスライフを送っていた。レッドフォードは成績優秀、スポーツ万能の花形的存在の学生だった。かたや、ストライサンドは政治に目覚め始めた活動家。当然ながらファッションなんぞには無頓着な野暮ったい女子学生である。社会が混とんとしていた30年代の大学は今と違って、思想信条の違う人間が集う場所だったのだろう。
時は流れる。第二次世界大戦中のニューヨークでふたりは再会する。薄暗いバーのカウンターで、軍服姿のまま居眠りするレッドフォードの美しいこと!ストライサンドがドキリとするのも無理からぬ。女性活動家だって恋はする。同じ価値観を持った同士であれば、すんなりと事が進むのかもしれないが、真逆の性格の者が恋に落ちたらどうなるのだろう。生きる姿勢の違いはやがて別れを呼ぶ。人生なんて、愛だけでは乗り越えられないことばかりだ。価値観の違いはどうあがいても埋められない。ふたりはやがて、別々の道を歩むことに。
別れて数年が過ぎた。ニューヨークの街頭・・・道を隔てて向かい合うふたりの顔には再会の喜びが浮かんでいる。愛を失くして別れた夫婦ではない。愛と価値観、どちらが上位にくるのかわからないが、とにかくふたりは別れた。そこに至るまでの苦悩もいまや思い出となり、それを慈しむふたりは何のためらいもなく、しっかりと抱き合うのだった。ただ、レッドフォードの傍らには再婚した妻がいて、ストライサンドにも伴侶がいる。「可愛らしい奥さんね 家に連れてらっしゃいよ」「そうはいかん」「そうね」万感の思いを込めて見つめ合い、そして別れた。切ないけれど美しい光景である。映画だから成り立つ話。美しい男と美しいメロディに酔えます♪
学生時代のふたりは同じ創作クラスに属していたが、対照的なキャンパスライフを送っていた。レッドフォードは成績優秀、スポーツ万能の花形的存在の学生だった。かたや、ストライサンドは政治に目覚め始めた活動家。当然ながらファッションなんぞには無頓着な野暮ったい女子学生である。社会が混とんとしていた30年代の大学は今と違って、思想信条の違う人間が集う場所だったのだろう。
時は流れる。第二次世界大戦中のニューヨークでふたりは再会する。薄暗いバーのカウンターで、軍服姿のまま居眠りするレッドフォードの美しいこと!ストライサンドがドキリとするのも無理からぬ。女性活動家だって恋はする。同じ価値観を持った同士であれば、すんなりと事が進むのかもしれないが、真逆の性格の者が恋に落ちたらどうなるのだろう。生きる姿勢の違いはやがて別れを呼ぶ。人生なんて、愛だけでは乗り越えられないことばかりだ。価値観の違いはどうあがいても埋められない。ふたりはやがて、別々の道を歩むことに。
別れて数年が過ぎた。ニューヨークの街頭・・・道を隔てて向かい合うふたりの顔には再会の喜びが浮かんでいる。愛を失くして別れた夫婦ではない。愛と価値観、どちらが上位にくるのかわからないが、とにかくふたりは別れた。そこに至るまでの苦悩もいまや思い出となり、それを慈しむふたりは何のためらいもなく、しっかりと抱き合うのだった。ただ、レッドフォードの傍らには再婚した妻がいて、ストライサンドにも伴侶がいる。「可愛らしい奥さんね 家に連れてらっしゃいよ」「そうはいかん」「そうね」万感の思いを込めて見つめ合い、そして別れた。切ないけれど美しい光景である。映画だから成り立つ話。美しい男と美しいメロディに酔えます♪
タグ : 70年代の映画
2010.01/04(Mon)
龍馬伝
『坂の上の雲』とタッチが似ている。『龍馬伝』には原作がなく、オリジナル脚本で龍馬を描いているそうだ。坂本龍馬を有名にしたのは司馬さんの『龍馬がゆく』であり、製作者もそのことを意識していることがうかがえる。去年の「天地人」と一昨年の「篤姫」は初回を見て、ずっこけ、後はパスした。あそこまで現代風なドラマにされると興ざめしてしまう。歴史ドラマの体裁を整えてほしかった。『龍馬伝』はというと・・・。
坂本龍馬を生んだ土佐の風土に焦点を当てているのが良い。殿様は山内なのだが、戦国期の土佐は長曾我部侍が支配していた。藩祖山内一豊が関ヶ原の功名で与えられた土地であり、もともと山内家というのは他国者である。藩の要職に就いたのは藩祖一豊が本土からつれてきた連中で、上士として長曾我部系の下士を支配してきた。下士は土佐の制度では最下級の武士で、上士からは人間あつかいされない。土佐におけるこの差別問題が、ついに維新史を動かすにいたったと言われている。初回はこうした土佐の特殊性を伝え、今後の展開の布石を打つ内容となっていた。
当時の土佐は士農工商という職業格差よりも、武士間の身分格差の方が大きかったようだ。それにしても、香川さん演じる岩崎弥太郎のみすぼらしさときたら・・・。武士を名乗ってはいるけれど、あの風体は物乞いのよう(汗)。しかし、眼光は鋭く学才がある。今後、どのようにして、のし上がっていくのか楽しみ。香川さんは「坂の上の雲」では子規の10代を演じ、「龍馬伝」では岩崎弥太郎の10代・・・ちょっと、無理はないかい?(笑)福山さんの龍馬は自然体の演技で良かったと思う。
国民に絶大な人気を誇る坂本龍馬だけに、その描き方には苦心もあろう。ただ、白馬の王子様風に「愛」を連呼する幼稚なヒーローでないことを望む。視聴率を考えれば、ホームドラマっぽくした方が数字は取れるのかもしれないが、それでは大河ドラマの名が泣く。きらびやかさを求めず、本格的な歴史ドラマにしてほしい。
坂本龍馬を生んだ土佐の風土に焦点を当てているのが良い。殿様は山内なのだが、戦国期の土佐は長曾我部侍が支配していた。藩祖山内一豊が関ヶ原の功名で与えられた土地であり、もともと山内家というのは他国者である。藩の要職に就いたのは藩祖一豊が本土からつれてきた連中で、上士として長曾我部系の下士を支配してきた。下士は土佐の制度では最下級の武士で、上士からは人間あつかいされない。土佐におけるこの差別問題が、ついに維新史を動かすにいたったと言われている。初回はこうした土佐の特殊性を伝え、今後の展開の布石を打つ内容となっていた。
当時の土佐は士農工商という職業格差よりも、武士間の身分格差の方が大きかったようだ。それにしても、香川さん演じる岩崎弥太郎のみすぼらしさときたら・・・。武士を名乗ってはいるけれど、あの風体は物乞いのよう(汗)。しかし、眼光は鋭く学才がある。今後、どのようにして、のし上がっていくのか楽しみ。香川さんは「坂の上の雲」では子規の10代を演じ、「龍馬伝」では岩崎弥太郎の10代・・・ちょっと、無理はないかい?(笑)福山さんの龍馬は自然体の演技で良かったと思う。
国民に絶大な人気を誇る坂本龍馬だけに、その描き方には苦心もあろう。ただ、白馬の王子様風に「愛」を連呼する幼稚なヒーローでないことを望む。視聴率を考えれば、ホームドラマっぽくした方が数字は取れるのかもしれないが、それでは大河ドラマの名が泣く。きらびやかさを求めず、本格的な歴史ドラマにしてほしい。
2009.11/30(Mon)
坂の上の雲「少年の国」

彼らは明治という時代人の体質で
前をのみ見つめながらあるく
のぼってゆく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう
(題字・文 司馬遼太郎)
いよいよ始まった『坂の上の雲』。オープニングから、感極まって涙ぐんでしまった。お城の石垣の傍で遊ぶ明治の子どもたち。貧しげな身なりはしているけれど、はじけた笑顔でこちらを覗いている。「ぼくらが作った日本は今も輝いている?」とでも言っているようだ。
原作の冒頭「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」というナレーションに久石 譲さんの音楽が加わる。続いて、明治を映し出す古ぼけた写真と映像の数々。ここからは司馬さんの「あとがき」が引用されている。
明治維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。た(だ)れもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として その新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
ドラマであるから、当然、脚本家はいるであろうが、司馬さんの、この名文を超える文など書けようはずもない。司馬さんへの敬意を込めて、原文をそのまま使ったのが良かったと思う。このナレーションンにまず感激した。司馬さんの文章は日本人の感性に響く言葉で構成されている。原作の解説文を書いている島田謹二氏の言を借りれば、「日本人が胸のおくに一様に隠し持つ一ばん深い基調音を低音でしのび鳴らしながら、読者の心をえもいえぬ感動へ導いてゆく」のだ。(解説も名文です)久石 譲さんの音楽は司馬さんの世界を音で表現し、視聴者の気分を高める。
司馬さんは明治の明るさは「楽天主義」からきているという。このドラマは滑稽なほどに楽天的な連中が、ヨーロッパ先進国と対決し、どのようにふるまったかという物語である。私の年代は「日露戦争」について、学校では詳しく教えられていない。おそらく、日露戦争における勝利が太平洋戦争への導火線になったと考える人がいるからなのだろう。日本は勝った。それを考え違いした後世の人々の愚行によって、日本人というものを全否定してしまうのは悲しい。ドラマが日本人の気質を考え直すきっかけになればと思う。
登場人物たちが皆明るい。とんでもなく貧乏なのに楽しそうだ。秋山家の好古・真之の兄弟愛が心を打つ。父親の伊東四朗さんの、おとぼけぶりが可笑しい。兄弟が下宿する家・・・なにもあそこまでのボロ家に住まなくても(笑)。イヤ、それが明治の軍人魂なのだろう。真之が東京へ出発するとき、お徒士組頭が、はなむけの言葉を送るのが滑稽。近代国家をめざす明治に封建制度がしぶとく残っている。子規を演じている香川さん、あんな中学生はおらんぞなもし。どうみたって30歳は超えてるでしょうが(爆)。
注目の初回。丁寧な作りに製作サイドの意気込みを感じた。司馬さんも、雲の上からOKサインを出してくれているのでは・・・。
タグ : 坂の上の雲
2009.11/26(Thu)
イングロリアス・バスターズ
ナチス占領下のフランス。家族を殺された少女・ショーシャナ(メラニー・ロラン)は、劇場の支配人として身分を隠しながら、ナチスを根絶やしにする壮大な復讐計画を進める。時を同じくして、アルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)率いるユダヤ系アメリカ人兵士の特殊部隊が、各地でナチスを次々と始末していた。その残虐な手口から“バスターズ”と呼ばれ、恐れられる彼らは、ドイツ人女優になりすました英国スパイと共に、打倒ナチスの極秘ミッションに参加する。周到な復讐計画を進めるショーシャナと、ナチスを片っ端から始末するバスターズ。それぞれの作戦が、劇場で開催される、ヒトラー総統を招いたナチのプロパガンダ映画のプレミア上映会で交錯する…。『パルプ・フィクション』などで知られるクエンティン・タランティーノ監督作。ブラッド・ピットがならず者軍団を取り仕切る中佐役を演じる。(シネマカフェ)
新作映画の場合、ネタばれしないように注意しなければいけません。しかし、ストーリーをカットしてしまうと、未見の方には何のことやらさっぱりわからない(汗)。そこで、映画紹介サイトさんの解説文を拝借することにしました。書く方も読む方も手っ取り早いですものね。
映画の始まりはマカロニ・ウエスタンのよう。セルジオ・レオーネの作風っぽいなぁ。壮大な音楽とともに映し出される荒野の一軒家、その周りは風と土の匂いが充満しています。ここに馬に乗った無法者が登場し、善良な農夫に銃をつきつけると思いきや、やって来たのはナチ。もちろん、馬なんぞには乗ってはおりません。サイドカーから出てきたのは狡猾そうなナチ野郎です。ナチが出てくるのだけれど、戦争映画でないところがミソなんですね。映画大好きタランティーノ監督ワールドが広がっております。
ナチ退治の映画には大義名分があって、無私の主人公が悪に立ち向かう・・・・という図式が一般的ですが、本作のユダヤ系アメリカ人兵士たちは個人的な恨みをはらすため、嬉々としてナチ狩りを行っています。アメリカ=正義の味方でないところがユニークだと思いました。彼らは戦利品としてナチの頭の皮を剥ぐ。アメリカ先住民と白人の戦いを第二次世界大戦でやってしまうというのは時代錯誤も甚だしく、イカれているとしか言いようがありません。西部劇のパロディなんでしょう♪タランティーノ監督の場合、暴力の描き方そのものが見せ場なのだから、皮剥ぎや殴り殺しといった悪趣味も許されるのかな。
でもって、史実とは全くかけ離れた荒唐無稽な話が延々と続いた末の最終章・・・ズッコけました。可笑しかったぁ。だって、木端微塵だもん。良い人が生き残り悪い人は死ぬとは限らないのですね。最終的に生き残ったのは小悪党。映画のオチとしてグッドです。ラストの痛そうなシーンを正視することができず、目をつぶっていたら、映画が終わってしまいました

アホな私・・・。





