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2012.05/17(Thu)

幸せの教室

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やる気満々の音楽とともに画面に登場したラリー(トム・ハンクス)さん♪ 真っ赤なユニフォームに身をつつみ、大型スーパーのフロアーを縦横無尽に動き回って仕事をこなしている。海軍のコックを20年務めた後、スーパーの店員になったらしい。生き生きとした表情は、今の仕事が彼の性分にあっていることを物語っている。優秀な店員が表彰される「今月の人」には8回も選ばれた。会社からの評価は何よりの励みに違いない。

陽気なラリーは職場の同僚から慕われ、順風満帆な職場ライフを送っていた。そんなある日のこと、店内アナウンスが彼を事務所に呼ぶ。9回めの「今月の人」に選ばれたのかと行ってみれば、「リストラの人」の勧告だった。大学を出ていないからだって・・・そんなぁ(汗)。業績が芳しくない店は、人員を整理したいが、黒人や女性を辞めさせると、世間の風当たりが強い。社内規定によって保護もされている。そこで、中年のラリーがリストラの対象となってしまったのだ。この決定にラリーは激しく落ち込む。職探しに奔走するも、うまくいかない。そこで、隣人のアドバイスを聞き入れ、イーストバレー短期大学へ入る。劇中の台詞で50年代生まれと言っていたから、ラリーは50代だ。大学で学ぶには遅きに失する感があるが、アメリカでは、18歳以上で高校を卒業していれば、誰でも入学できるコミュニティ・カレッジというものがあり、若者に混ざって年配の学生も学んでいるそうだ。アメリカは教育先進国なのかな。。。日本には「生涯教育」という考え方があるが、コミュニティ・カレッジは、もっと実践的なもののように感じた。

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ラリーは前向きな人である。離婚とリストラというダブルショックにあっても、必要以上に落ち込まない。起きてしまったことを今さら嘆いてもどうにもならないから。離婚した妻を恨まず、軍隊を恨まず、会社を恨まず、自分を変えていくことによって、現状を打破しようとするタイプだ。戸惑いながらも、大学の門をくぐったラリーに学生部長が言う。「就職の決め手はスピーチ力と経済知識。筆記試験は重きをなさない」と。その言葉に促され、ラリーはメルセデス・テイノー先生(ジュリア・ロバーツ)が担当する、スピーチ学の教室に足を踏み入れた。小さな教室に生徒が9人しかいない。カリキュラムがいけないのか、先生が不人気なのか・・・。おそらく、先生が怖いからだろうな(汗)。やさぐれたテイノー先生がトゲトゲしく授業をおこなっている。久しぶりに見たジュリア・ロバーツさん、あのチャーミングなお口がへの字になってるぅ。顔のパーツは美しくても、表情が暗いとダメね。彼女を暗くしている要因は、夫のディーン(ブライアン・クランストン)。売れない作家で一日中家にいて、ブログの更新を日に4回もしている。ご苦労さま。いかがわしいサイトの閲覧も大好きみたい。ディーンみたいな怠け者が家でゴロゴロしてたら、ストレスもたまると思う。かくしてテイノー先生の不機嫌は続く。

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ラリーがとったもう一つの授業は経済学。こちらは人気があるのだろう、大きな教室に多くの学生が集まっている。教壇に立ったマツタニ教授(ジョージ・タケイ)が自己紹介を始めた。この先生も変だぞ(笑)。不気味な笑顔から発せられる、けたたましい笑い声が教室に響き渡る。「不機嫌顔」がサマになりそうなマツタニ先生の汚い笑顔(←失礼)と、笑顔が似合いそうな「不機嫌顔」のテイノー先生。トム・ハンクス監督のたわむれが楽しい。ラリーは隣の席に座ったタリア(ググ・バサ=ロー )と親しくなる。タリアとは親子ほど年が離れているが、そんなことはお構いなし。授業中は携帯でコミュニケーションをとり、学校を出ればスクーターでツーリングを楽しむ。タリアには、人生の先輩ラリーから何かを学ぼうという気はさらさらなく、自分たちの文化に彼を引き込んでいく。ラリーの髪を今風にカットし、ファッションも若者風に、さらに部屋のインテリアまで変えてしまった(笑)。素直なラリーは喜んで彼女の提案を受け入れ、素敵なオジサマへと変貌をとげる。ラリーが高圧的な態度だったら、若者は寄ってこなかっただろう。ラリーのポジティブさがコミュニティ・カレッジの特性となじみ、彼をより魅力的な人間にしたのだと思う。そんなラリーと接するうちに、テイノー先生の心は、少しずつほぐれていく。朱に交われば赤くなる!だ。やっぱり、ジュリアには笑顔が似合う。人間ドラマの中に喜劇的な部分が面白く混ざった楽しい映画である。

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腰の痛みを我慢してまで観に行きたい映画がなかったので、久しぶりの映画館観賞になった。アカデミー賞を取った、おフランスの、お洒落な映画は、アウトオブ眼中だったし。あっ、ひとつだけ観たい映画があった。B級映画の帝王ロジャー・コーマン先生の『コーマン帝国』。DVDが発売されたら買うのだ〜!

タグ : 映画感想

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2012.05/13(Sun)

おかあさん

二両連結の電車が走る街。駅前だろうか、通りには買い物カゴを持った女性、自転車を走らせる男性、手拭いをぶら下げた職人らが歩いている。その通りを抜けた所にある一軒の家をカメラは映す。女性が腰をかがめ、床を掃いている。「私のお母さんは、よそのお母さんに比べると少しちっちゃくて、小ぶりなので、長いほうきが大嫌いです。短いほうきは慣れているから苦しくないと言います・・・」と、ナレーションが入る。声の主はこの家の長女・年子だ。冒頭に「森永母を讃える会」選定「全国児童綴方集」より・・・というクレジットがあった。本作は年子の視線で描かれているのかな?ナレーションは家族の構成も語っていく。母・正子(田中絹代、父・良作(三島雅夫)、長男・進(片山明彦)、長女・年子(香川京子)、次女・久子(榎並啓子)、そして正子の甥・哲夫(伊東隆)の六人で暮らしている。

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父親は腕の良い洗濯屋だったが今は工場の門衛をしつつ、店の再開準備に追われている。おそらく、前の店は戦禍でなくしたのだろう。あばら屋が点在する光景が、そう思わせる。ちゃぶ台を囲んでの食事風景は貧しくも、希望に満ちている。この時代は皆が貧乏だったから、お金がなくても笑っていられたのだと思う。人々は生きていることに感謝できる時代だった。ということで言えば、奉公に出て肺を病んだ長男は、一家のこれからを暗喩する存在として、家族の輪から離れた所に位置している。

正子は露天商、長女の年子は今川焼きを売って家計を助けている。遊びたい年頃なのに、文句を言わず働く姿が健気だ。次女の久子も素直で明るい。預かっている甥の哲夫はやんちゃざかり。ある日のこと、病気療養中の長男が施設を勝手に抜け出し、家に戻ってきてしまう。正子は、一瞬、戸惑いの表情を見せるが、「どうしたのよ。さぁお上がり」と腕を引いて家に入れた。「なんで逃げ出してきた!」と責める父に、何も言うなと目配せする正子。彼女の優しい「お母さん」ぶりはが見る者の心を和ませる。

死期を察した長男は、母のそばにいたいと、療養所を抜け出したのだった。そして、長男はあっけなく死ぬ。臨終の場面は映されていない。成瀬監督は台詞やシーンを大胆に省略したと言うから、シナリオの段階ではもう少し、長男の闘病生活が描かれていたのかも。

一家にとって、長男の死は悲しい出来事であるが、嘆いてばかりはいられない。早くクリーニング業を再開させないと、一家総崩れになる。父は弟子の木村(加藤大介)の手伝いを得て、開店にこぎつけた。しかし、開店準備の無理がたたったのだろうか、長男に続き父まで病に倒れ、死んでしまう。死の床に着いた父が過去を回想するシーンがある。商売が繁盛し、豊かな家財道具に囲まれた幸せな生活・・・。戦争はそれらを奪ってしまった。

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正子は強い人である。悲しみから立ち上がり、木村からクリーニング技術を必死に学び、独り立ちできるまでに腕を上げる。重いアイロンを扱うのは、男の仕事とされていたが、正子は努力と根性で非力をカバーした。正子にクリーニングを教えた木村は、ほどなくして去る。次女の久子は良作の兄夫婦にもらわれていった。妹から預かっいる甥も、近いうちに引き取られるであろう。六人家族が一人ずつ、正子の元から離れていく。

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長女・年子はパン屋の息子(岡田英次)と付き合っている。美容師をしている正子の妹に頼まれ、花嫁モデルをした年子の姿を、遠巻きに見た息子の慌てる姿がユーモアたっぷりに描かれている。年子がこの青年と結婚し、真の花嫁衣装を身につける日も、そう遠からず来るだろう。そうなれば、正子はひとりになってしまう。めでたい別れなのだから、喜んで送り出してやればいい。自分を犠牲にして他人に尽くすことに喜びを見いだす正子なのだから。だが、寂しさは隠せない。ふとした仕草に、それが出る。「早いものねぇ」という台詞は、はっきりと自己主張をしない「おかあさん」の嘆きに聞こえた。

「お母さん、あたしの大好きなお母さん、幸せですか?あたしはそれが心配です。お母さん、あたしの大好きなお母さん、いつまでもいつまでも生きてください。」という年子のナレーションで映画は終わる。幸せとは何なのだろう?田中絹代さんの複雑な表情が疑問を投げかける。

タグ : 成瀬巳喜男

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2012.05/09(Wed)

お茶漬の味

路面電車の走る道。ハイヤーの後部座席には、佐竹妙子(木暮実千代)と、姪の節子(津島恵子)が乗っている。車は皇居のお堀に沿うように走っていく。続いてカメラは、オフィスの窓越しに、銀座の和光ビルを写し出す。数体のマネキンが置かれてたオフィスで働くアヤ(淡島千景)は、首にメジャーをかけている。ここはオーダーメイドの洋装店かな。銀座の、しかも和光の近くとくれば、超高級店に違いない。経営者のアヤに、従業員が妙子と節子の来訪を告げる。「ごきげんよう」と交わす挨拶と身のこなし、彼女らは上流階級の人間として描かれている。しかし、木暮さんは有閑マダムというよりも水商売の女の人っぽい(汗)。いなせということにしておこう(笑)。

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妙子の夫・茂吉(佐分利信)は物産会社で機械部長をしている。いったい、どれほどの収入があるのだろう?たいそう立派な家に住み、お手伝いさんを二人置いている。夫婦に子供はいない。だからだろうか、妙子さん、やりたい放題だ(笑)。病気になった友人を見舞うとウソをつき、女友達と旅行するなんてことは序の口。夕げの席で自分の夫のことを、モッそりしているだの、鈍感だの、悪口を言って、場を盛り上げている。皆で「スミレの花咲くころ はじめて君を知りぬ・・・」と、女学校時代を懐かしんで歌う姿に、罪悪感は微塵も感じられない。旅館の鯉に餌をやりながら「鈍感さん、召し上がれ!召し上がれ、鈍感さん、あなた、会社でお腹おすきになっても存知ませんことよ」と笑うのは、冗談がすぎやしないか、ちょっと悪趣味。

妙子はうんざりしているのだ。庶民的な夫と退屈な毎日に。妙子は資産家の娘で、彼女の贅沢な生活は実家の援助によってまかなわれている。だからと言って、夫をバカにし、遊びまわってよいということにはならないと思うのだが・・・。茂吉も茂吉である。ボーっとしていて何を考えているのか、捉えどころがない。こういう人間を楽な相手と思うか、張り合いがないと感じるか・・・微妙だなぁ。茂吉は夫婦仲がしっくりしていないことを「仕様がない」と諦めている。そういう態度が妙子を苛立たせるのだと思う。どっちもどっち、それぞれ言い分もあろう。

夫婦は姪の見合い話のことで喧嘩をする。といっても、妙子が一方的に腹を立てているにすぎないのだが。そういう時は、相手のやることなすこと全てが鼻につく。お味噌汁をご飯にかけて食べる茂吉に「あなた、そんなご飯の食べ方よして頂戴」「うん?うっかりしてた」深窓の令嬢から見れば、犬の食べ方だ(笑)。「わたし、イヤだと申しあげたでしょ」田舎の貧乏な家に生まれた茂吉と妙子は育った環境が違う。自ずと考え方や価値観も違っている。茂吉は安くても美味しい物を好む。汽車は気がおけなくて楽な三等が好きだ。だから、夫婦生活も遠慮や気兼ねのないものにしたいと願っている。このように、ふたりの価値観が違う場合は、どうすればいいのだろう?別れるしかないのかな(汗)。幸いにも、この夫婦は夫の海外赴任をきっかけに溝をうめることができた。盛大に見送られて飛行機に乗った茂吉が何食わぬ顔をして戻ってきたり、妙子が突如、お茶漬の味に目覚めるというのは腑に落ちないけど。。。佐分利さんが演じた家長の姿に戦後を感じる。

タグ : 小津安二郎

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2012.05/05(Sat)

山の音

オフィス街を足早に進む人たちが映された後、画面は社内に変わる。「お先に」の会話が交わされているということは、オープニングは帰宅の光景だったのか。道理で服装がくだけているわけだ。上原謙さん演じる修一が、秘書っぽい女性に「親父帰った?」と聞く。父親が社を出たことを確認し、彼女をダンスホールに誘った。ロクナモンじゃないな(笑)。

yamanooto.jpg鎌倉駅から勤務を終えた人たちの群れの中に修一の父・信吾(山村総)がいる。迎えが来ているのだろうか、誰かを探しているような素振りであるが、誰も現れない。商店に立ち寄り、みやげを買って家へ帰ろうとしている信吾の後方から、一台の自転車が勢いよく走ってきた。バックに流れる明るい音楽が、原節子さんの笑顔を一層華やげる。「お父様、お帰りなさいませ」見つめ合う二人は、まるで恋人同士のようだ。たいして面白くもない(←失礼)話に、菊子(原節子)が笑いころげている。信吾も楽しそう♪駅前で探していたのは菊子だったのかも・・・。

家に着いても、信吾と菊子のじゃれ合いは続く。菊子を天真爛漫な女性だと思って見ていたが、そうではないと分かる。夜遅く酒に酔って帰宅した修一を出迎えた菊子の、先ほどまでとは別人みたいな暗い顔。信吾と菊子は実の親子だと思っていたが、菊子は修一の妻で、信吾は舅であった。

修一と菊子の関係は、冷め切っているようだ。修一には戦争未亡人の絹子(角梨枝子)という女がいる。絹子の存在が夫婦仲を悪くしているのではなく、菊子への不満が修一を浮気に走らせたのではないだろうか。なぜなら、絹子と会わない日でも、修一は、酔っぱらって夜遅く帰ってくる。陰気な表情で。

妻・菊子と父・信吾の仲の良さが、夫婦不仲の原因なのかもしれない。菊子は信吾になついているという感じだが、信吾は菊子に対して特別な思いを寄せているように思えてならない。と言っても、邪な気持ちではなく、妻と娘にはない清らかさを持つ菊子を、純真な愛で見守っている・・・という感じだ。そうでなければ、大いびきをかいて寝る妻の描写に、あれほどの時間を取らないだろう。夫と喧嘩し出戻ってきた娘も、好意的には描かれていない。生活臭をプンプンさせ、ギシギスしている娘。「お父様、私が生まれた時、美人でなかったんで、がっかりなさったんですってね」などと、拗ねたことを言っている。信吾は美しい女性が好きなのだろう。

そんな夫婦であるが、菊子は妊娠する。愛の結果ではないお腹の子を、菊子は中絶しようとする。子供をかすがいに、夫婦関係を改善する気はない!この決断で私たちは菊子の気持ちを確信を持って知る。彼女は夫に愛想を尽かしているのだ。

菊子がそこまで思い詰めていると知った信吾は、修一夫婦との別居を提案する。それは修一の浮気相手と同居している女性からの忠告を受けてのことだった。「別居なさることはお出来になりませんの。奥さんと二人きりでお暮らしになれば、絹子さんとは別れていくような気がしますけど」やはり、そうか。修一は菊子と信吾の仲の良さを快く思っておらず、周囲に愚痴を言っていたに違いない。

菊子の決意は固かった。中絶は浮気相手の絹子への当てつけなどではなく、修一と別れるつもりになったからだ。舅との別居話が菊子の決意を後押ししたのかもしれない。ラスト、公園を並んで歩く菊子と信吾、木立の中を抜け出たふたりの前には芝生の広場があった。菊子の人生が、ひらかれたことを示す光景で映画は幕を閉じる。

タグ : 成瀬巳喜男

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2012.05/01(Tue)

お早よう

麻布をバックに『およう』のタイトルが出る。早の字だけ赤だ。明るく軽快な音楽に乗せてスタッフとキャストがクレジットされていく。所々が赤い字になっている。小津監督は赤が好きだなぁ。本編も赤色の小道具が画面を賑わせている。

大きな鉄塔の後ろに、数軒の平屋が向かい合うように並んで建っている。家と家の間は道路というより通路だ。お向かいさんとの距離は2メートルあるかどうか?通路を抜けると土手がある。ということは、川沿いの建て売り住宅だろう。土手を歩く子供たちが遠くに見える。続いて家と家の間を横切る女性、さらに土手に沿った道を歩く少年・・・パントマイム的な面白さをロングカメラで捉えている。皆、画面の左から現れ右へと消えていく。小津作品の通行人は、いつも一方通行だ(笑)。画面手前の雨戸の赤い丸、これはいったい何?正体不明の赤い丸と街灯の丸い環が対になり、幾何学的な構図を生む。

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土手の上の道を歌いながら歩いている4人の男の子。実、幸造、善一、実の弟の勇だ。彼らはオープニングに映し出された家々に住んでいる。子どもたちはおでこを押されるとオナラをするという遊びに興じている。誰にでもできる技ではないようだ。おでこを押された幸造の様子がおかしい。さては・・・。やっちゃったみたい(笑)。『生れてはみたけれど』の忍術みたいな遊びを思いだす。

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本作は小さなコミュニティに起こる、些細な出来事を面白可笑しく描いた喜劇である。婦人会の会費を組長(杉村春子)がネコババしたという噂が流れたり、押し売りの撃退方法が紹介されたり、定年まじかのサラリーマンの憂鬱だったり、西洋寝巻(笑)を着たカップルへの偏見だの、テレビを欲しがる子供の反抗だの・・・たあいもないエピソードの積み重ねによって、物語が構成されている。どれも深刻な問題ではなく、後になれば笑い話となる類のものばかり。小津監督が冗談半分で作ったとしか思えない(笑)。フィギュアスケートのエキシビションといったところか・・・。

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しかし、肩の力を抜いて作ったにしては、構図は厳格を極めている。揃いの服を着た兄と弟は同じ動きをし、飲屋で酒を酌み交わす男たちの動作もシンクロしている。色に関しては、『彼岸花』の時よりも、赤へのこだわりが強い。とりわけ、目を引くのは、各々の家に置かれている赤い鍋!飲屋にもあるという徹底ぶりだ。普段、私たちの生活の場に赤色は少ない。赤は警告の色で人に緊張感を与えるから。だが、小津監督は赤を好んで使っている。ゴミ箱の蓋、ジョーロ、電球のシェイド、タオル、ゴルフバック、靴下、マフラー、食器、ちゃぶ台、はたき・・・などなど。雨戸の謎の丸が赤いフラフープであることが、ラスト近くのショットでわかった。

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たあいない物語の中に、テーマらしきものを探るとすれば、人が人としてどう人と接すれば、平穏な毎日が送れるか・・・とういことかな。ある日のこと、実と弟の勇は、父親・啓太郎(笠智衆)に、男のくせに口数が多いと叱られる。これに対し兄弟は、手足をばたつかせ、精一杯の講義をする。その動きは『生れてはみたけれど』の兄弟が見せたものと同じだ。サイレント的な動きが笑いを生む。

「子供のくせに余計なことを言いすぎる、少し黙ってみろ」と言われ「大人だって余計なこといってるじゃないか、こんにちは・お早う・今晩は・いいお天気ですね・どちらへ・・・・」そんなやりとりの後、兄弟は誰とも口をきかなくなった。向いに住むきく江(杉村春子)から「お早う」と声をかけられても知らんぷり。すると、きく江は母親・民子(三宅邦子)がそう仕向けたと妄想し、近所に民子の悪口を言いふらす(笑)。たかが挨拶、されど挨拶。余計なおしゃべりがなくなったら世の中、味も素っ気もなくなってしまう。コミュニケーションの方法もさまざまだ。オナラもその一つ(?)。達人クラスになると、オナラで妻を呼びつける(笑)。「あんた、呼んだ?」

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その後、兄弟は念願のテレビを買ってもらい、機嫌を直す。映画は幸造のお漏らしパンツが、風にはためいているショットで幕を閉じる(爆)。いつになったら、技をマスターできるのかな?(笑)。ファイト〜!

タグ : 小津安二郎

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