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2011.03/31(Thu)

心境

あの未曾有の震災から20日が経ちました。計画停電の地域から外れ、普通に生活しています。しかし、心はどんよりしたまま・・・何もやる気がおこりません。心を奮い立たせてブログを書いてます。

水道水に含まれる放射性ヨウ素の値がちょっと増えたというニュースが流れるとスーパーから水がなくなりました。他も品薄状態。店は節電のため照明を落とし、営業時間を短縮しています。映画館も先週末に再開したものの、上映本数を大幅に減らしています。個々の家庭は門灯を消し、ひっそりと夜を過ごしています。停滞しちゃってるんですよね、すべてのことが。被災地の方のご苦労を思うと、心苦しくて何かを楽しむ気になれません。先週の土曜日に『ザ・ファイター』を観にいったんですけど、ちっとも心に入ってこなかった。映画を見る心境じゃないんです。どうなるんだろう…日本。

こういう時、偽善的なことは言いたくない。生活を確保している者が「頑張りましょう」なんて、無神経な感じがする。「何か役に立ちたい」というのもおこがましいですしね。でも、「やってはいけないこと」をやらないことなら、私でもできそうな気がします。マスメディアに振り回されないこともその一つかな?
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2009.09/24(Thu)

11月中旬までブログをお休みいたします

拙ホームページ『ジャック・ニコルソンの館』をリニューアルすべく、その作業に没頭しておりまして、ブログに手が回らない状況です。なんせ凝り性で一つのことを始め出すと、他のことができなくなるんですよ(汗)。ということで、当分の間、当ブログをお休みさせていただきます。おそらく11月頃には再開できるかと思います。ご理解のほどよろしくお願い申し上げますm(__)m
11:46  |  未分類  |  EDIT  |  Top↑

2009.08/22(Sat)

日本海軍 400時間の証言 第一回開戦 ”海軍あって国家なし”

毎年、終戦の日近くになると、戦争をテーマにしたドキュメンタリーや映画、ドラマが放送されますね。今年は戦争体験者の証言に基づく番組が多かったように思います。ドキュメンタリーは『重爆撃機』『人間魚雷』『レイテ決戦』『よみがえる第二次世界大戦』『盧溝橋事件』『東京裁判』、そして『日本海軍 400時間の証言』を見ました。どれも見応えがあるものでした。特に『海軍反省会』の”海軍あって国家なし”は非常に内容がある番組でしたので、備忘録として内容を書き留めておくことにしました。

もやがかかったような画面に浮かびあがる一枚の集合写真。そこには高松宮と9人の参謀が写っている。「太平洋戦争 開戦」のテロップ。軍艦マーチが流れる中、一隻の戦艦から砲弾が放たれた・・・・。

【ナレーション】
海軍は開戦時、戦艦10隻、空母10隻を要し世界3位の規模を誇りました。明治以来、近代化を推し進めた日本の象徴でした。昭和16年12月8日のハワイ真珠湾奇襲。日本は太平洋アジアへの勢力拡大を図り、アメリカにいどみました。この戦争で中心的な役割を果たしたのが海軍でした。その結果、失われた多くの命。日本人およそ300万人、アジア各国ではさらに多くの人が犠牲になったと言われています。この戦争は誰が何のために始めたのか・・・・戦後、当事者の多くは沈黙を守り、詳しい経緯が明かされることはありませんでした。去年、元海軍将校の遺品の中から、大量のカセットテープが見つかりました。「海軍反省会」の記録。開戦時、海軍の中枢にいた人々は戦後密かに集まり、誰にも語っていなかった記憶を打ち明けていたのです。反省会には天皇直属の戦争指導機関「軍令部」の参謀たちが数多く参加していました。太平洋戦争の作戦を立案した「海軍の頭脳」とも言える人々。彼らは戦争の大義を十分に問うこともなく、勝算もないまま開戦へと突き進んでいきました。

軍令部作戦課 佐藤元大佐の証言
「本当に国力その他 検討して対米戦を勝てるのか勝てないのか 真剣に検討しなかった」

軍令部作戦課 三代元大佐の証言
「軍備拡張のために ずいぶん予算を使った 戦えないとは一切言わない」 

元中佐の証言
「明治末期から大正 昭和に進むに従い 思いあがりおごりが高じ 身の程を知らぬ暴走をやり ついに日本を破滅に追いこんだ」

ここで、再び参謀たちの写真がアップになり、続いて現代から過去へとさかのぼるショットで戦時にたどりつきます。ひとりひとりの戦争がありました。写真の主たちは参謀たちの思いなど知る由もありません。

反省会は昭和55年から平成3年まで、月に一度のペースで130回以上行われました。参加者はのべ40人。戦争の真実を語り残しておこうと始まったそうです。

番組ディレクターの説明「失われた多くの命、遺族の深い悲しみに思いを至らす時、二度と戦争を起こさないことが私たち戦後世代の責務だと思います。しかし、日本では政府や軍の命令によって公文書が燃やされてしまったために、なぜ戦争が始まったのか、そのプロセスを知ることが難しくなってしまいました。今回、私たちはかつて海軍の中枢部にいて国策の決定に携わった人たちが残した肉声の記録を入手しました。時間にして400時間、海軍反省会の議論を録音したものです。」

当時の海軍の組織図です。このうち一番実権を握っていたのが軍令部でした。

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さらに軍令部(天皇が持つ、軍隊を指揮する権利 統帥権を補佐する機関)は総長をトップに4つの部から成り70人ほどの参謀が所属していました。軍令部は天皇直属という権威を背景に、政府や海軍省に対し、強力な発言権を持っていました。そして太平洋戦争直前、陸軍の参謀本部とともに政府に強く開戦を主張したのです。

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【開戦に至った内実】の告白

軍令部作戦課 佐薙毅元大佐の証言
「本当にやれるのかどうか 徹底的に突きとめて ある程度のリスクを冒すのは当然ですけれども 作戦を検討されずにですね どんどん勢いに流されていった」

この背景には石油が日に日に減っていくことに対するあせりがあったのです。昭和16年7月日本はインドシナ南部に軍を進駐させました。すでに中国と戦争していた日本はさらなる勢力の拡大に乗り出したのです。これに対しアメリカは、日本軍は中国から撤退すべきだと主張し、日本への石油輸出を禁止しました。

軍令部はアメリカとの戦争準備を進めますが、海軍省はアメリカと戦争することに慎重でした。
海軍省兵備局長 保科善四郎元中将の証言
「私が兵備局長をやらされて調べてみるとね とても出兵準備なんていうのは まるで夢みたいなもんなんだ 軍務局長に この戦備では戦ができませんと何回も口が酸っぱくなるほど言ったんだが・・・」

多くの将校はアメリカとの戦争に不安を抱きながらも、早期の開戦を主張する軍令部に引きずられていきました。

ここで番組は核心に触れます。軍令部が開戦を決断したのは何故なのか・・・・。
軍令部の永野修身総長は、真珠湾攻撃の4カ月前、昭和天皇に開戦を進言しています。軍令部作戦課三代一就元大佐は、永野修身総長から、その真意を打ち明けられました。
「海軍が戦争できないと反対したら 右翼や陸軍がですね これに対して内乱を起こすと言うんですよ」

当時陸軍は中国との戦争で数十万人に上る死傷者を出しており、今さら撤退できないと主張。東條英機陸軍大臣は撤退すれば陸軍はガタガタになり統制が利かなくなると警告していました。三代一就他元大佐は
「内乱を起こすと人数上海軍はかなわんから 陸軍に負けて 結局そういう連中の右翼の内閣ができて 時期を失して 日本としては不利な時期に戦争をやらなきゃならぬ どうせ戦争をやらなきゃならぬというなら 少しでも勝ち目のある間にやるべきだというのが水野総長の考えだった」と証言します。

永野総長は内乱、クーデターによって海軍が陸軍の支配下に置かれる事態を恐れていました。開戦を決断したのは海軍という組織を陸軍から守るためでもあったのです。

太平洋戦争の大義『自存自衛 アジアの解放』とは関係のない動機で戦争は始まりました。これを聞いて、戦中、軍令部が立てた作戦を実行するために南太平洋で戦った元少佐は憤ります。
「相当な者が日本の自存自衛のために 日本の独立を守っていくためには 戦争をせざるをえないんだと 戦争に走ったと思うんですよ」「何の計画も勝算もなしに 名義のない強盗侵略戦争をやったということが事実なんですか それを我々認めるわけですか」
・・・・・「負けると思った方は 内乱を恐れてやったと」

戦争は避けられたはずだと、元中将は主張します。
「軍令部は内乱が起こると言うが 内乱が起こったって 海軍が反対すれば戦争にはならない あれだけの人を殺して戦争をするよりも 若干譲歩をしてね・・・そういうことが足らなかったことを反省していいと思うんだ」

反省会の開始から3年半、戦争中、最前線で戦ったきた野元為輝元少将が議論の口火を切りました。 軍令部での勤務経験はなく、空母の艦長として南太平洋で戦った人物です。誰も触れようとしなかった軍令部と皇族の関係に言及しました。
「永野 嶋田両大将のことを批判するだけでは はなはだ批判の範囲が狭い 博恭王が9年間も軍令部総長をやっている ああいうのはどうも妙な人事である 殿下がひと言いわれると ハイだ」殿下とは伏見宮博恭王元帥。日露戦争にも従軍した海軍の英雄でした。総長を在任した9年間に海軍は急速に軍備を拡張しました。野元為輝元少将は続けます。「皇族に対する考えに もう少し ブレーキをかける空気がなかったのを遺憾に思う」軍令部は兵力量の決定を統帥権に取り込むことで軍備拡大を推し進めようとしたのです。

軍令部の暴走が始まりました。昭和9年、伏見宮総長は軍縮体制からの脱退を天皇に進言。それ以降、アメリカやイギリスとの軍縮交渉は更新されませんでした。軍縮の足かせがなくなった海軍は戦艦大和の建造など、軍備拡大を急速に進めていきます。軍令部の意向に国家が引きずられた結果、アメリカ・イギリスとの対立は極めて深刻に。やがて軍令部は国民ひとりひとりの命を顧みなくなっていきます。

平成になると、反省会は海軍の第一委員会を検証しています。
鳥巣建之助元中佐の証言
「現情勢下において帝国海軍の執るべき態度という文章を作り 燃料はなんとかなります 船もなんとかなります 要するに戦争にむちゃくちゃにもっていくような作文だったんだ」第一委員会は軍令部と海軍省から選りすぐられた中佐・大佐が集められていました。メンバーは軍令部作戦課 富岡大佐 軍令部 大野大佐 海軍省 高田大佐 海軍省 石川大佐ら7人。第一委員会のメンバーは組織のルールを無視して次々に決済を得ていきます。「一部の人は陸軍と通謀して政治をもてあそぶことに快感を感じていた」と証言するのは伏見宮総長副官だった末国正雄元大佐。

第一委員会高田利種元少将の証言
「海軍部内で戦争に賛成したか 反対したか こういうことも忘れました 日米戦争をやれば絶対に勝つと思っている人があったかなかったか 私にはわかりません しかし世界の大勢だったと思うんです 満州事変で大きな石が坂を転がり下りた」
高田利種元少将は戦後、あるインタビューで、戦争への準備を迫った当時の思惑を聞かれ「それはね デリケートなんでね 予算獲得の問題がある それが国策で決まると大蔵省なんか どんどん金くれるんだから それが国策として決まれば 臨時軍事費がドーンと取れる 好きな準備がどんどんできる 海軍の心理状態は非常にデリケートでね 日米交渉を妥結したい 戦争しないで片づけたい しかし、戦争しないと海軍は意気地がないとかなんとか言われるし・・・・」

アメリカとの対立をあおり、軍事予算をできるだけ獲得、その後にアメリカと妥結する・・・・それが狙いでした。開戦の年、海軍は前年の倍以上の軍事費を獲得しました。しかし、それは国民の命を危険にさらすことと引き換えだったのです。

海軍が先端を開いたアメリカとの戦争は、自らあおりたてた対立が予想を超えてエスカレートした結果でした。しかし、軍令部作戦課は長期的な作戦を、ほとんど考えていなかったと反省会で告白しています。「海軍の軍令部には長期的な計画を冷静に研究するスタッフがいなかった」

ほころびは開戦の半年後に始まりました。ミッドウェー沖の海戦で、海軍は空母4隻、熟練のパイロットなど3000人を失います。日本は敗戦への坂を転がり落ちるきっかけとなりました。ミッドウェー作戦を立案したのは連合軍艦隊でした。山本五十六司令長官は日本海軍が優勢のうちに、アメリカ海軍に決定的な打撃を加えようともくろんだのです。軍令部はこの作戦を危険と判断しながらも、連合艦隊を説得できる別の作戦を提示できませんでした。真珠湾作戦を成功させた山本にやらせてみようということになったのです。兵士の命を預かる立場にありながら、軍令部は無責任な決断を下していたとしか言いようがありません。

ミッドウェー作戦に参加した潜水艦部隊の元参謀が声をあげました。準備期間を十分 設けないまま作戦を強行し3000人の犠牲者を出した責任を問うたのです。
「とにかく航空艦隊も 潜水艦も ミッドウェー作戦を延ばしてくれと あれほど言ったのにですね その辺はどうなんですか」
それに対し元軍令部は「そいつはもうわかっておったんでね 半月ぐらいは延ばさなきゃいかんだろうということだったんだけど・・・・」軍令部はミッドウェー作戦の失敗を国民に伝えませんでした。

「あなた戦争に勝つと思ってたんですか」と問われた佐薙毅元大佐は「そこはわからないですね 勝つつもりでやっているわけです 開戦は不可避という状況だったんですね」

それぞれの仕事に埋没し国民ひとりひとりの命が見えなくなっていった将校たち。その姿勢は海軍あって国家なしと言わざるをえません。そうした内向きの姿勢は戦後になっても続き、反省会の元将校たちは、その記録を公開しませんでした。しかし、彼らを一方的に非難することにためらいを感じます。縦割りのセクショナリズム、問題を隠蔽する体質、ムードに流され意見を言えない空気。責任の曖昧さ、元将校たちが告白した戦争に至るプロセスは今の社会が抱える問題そのものであるからです・・・という言葉で番組は締めくくられています。

テーマ : NHK - ジャンル : テレビ・ラジオ

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2009.04/11(Sat)

青梅の映画看板

桜も散り始めた頃に梅見物の話をする、どこかズレている私です(笑)。先月行った青梅の梅まつりについて。青梅市は、その名が示す通り、梅の産地でございます。ここは古くから栄えた宿場でありながら、一歩足を延ばせば豊かな自然に接することができる土地。桜も良いけれど、色とりどりの花が楽しめる梅の方が私は好きです♪平安の頃まで、花と言えば梅だったそうな・・・・。

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青梅のいたるところに梅が植わっておりますが、とりわけ吉野梅里の中にある「梅の公園」には120品種、1500本の梅が山の斜面に花を咲かせ、饗宴を催す様には見とれるばかり。山は春爛漫の香りに包まれていました。

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梅と並ぶ青梅の名物が「映画看板」。市街地の一画にある映画看板群が訪れる者を昭和の時代にいざなってくれます。

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写真だと大きさが伝わりにくいので、我が家のワンコを看板の前に置いてみました^^

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大きいでしょ♪

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紹介しきれないほど、たくさんの看板がありました。それらは全て、職人さんによって描かれたものだそうです。(ちなみに青梅市は東京都です)
09:45  |  未分類  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2009.02/23(Mon)

戦争映画あれこれ

私は明治の軍人・乃木希典ファンではない。そう思うようになったのは『坂の上の雲』に因るところが大きい。著者の司馬遼太郎さんは随所で乃木批判を繰り広げている。それだけでは気が済まなかったのか『殉死』という本まで書いて乃木の精神体質を批難している。『坂の上の雲』の執筆にあたって日露戦争を徹底的に調べ、その上で無能な軍人と断言した氏の言葉を読者は信じてしまう。真実は別の所にあるのかもしれないのに・・・・。司馬さんは『殉死』の中で乃木について「大正期の文士がひどく毛嫌いしたような、あのような積極的な嫌悪はない。ただ、このひとが自分の伯父かなにかであれば、閉口してその家は敬遠したにちがいない」と書いている。

先日、東郷神社に行った。乃木神社も近くにあるのだが足が向かなかった。
だって・・・・・。
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と言うことで、本題に入ります。

【二百三高地】(80)
この映画の下地は『坂の上の雲』の「旅順」~「二〇三高地」の章だろうな。ただし、小説には小賀(あおい輝彦)と佐知(夏目雅子)の恋愛話なんて出てこない。戦争映画に恋愛話は挿入してほしくないなぁ。戦争の悲劇性を強め感傷的にする狙いだろうが稚拙な演出だと思う。戦争が生んだ悲恋ならば『ひまわり』のようなアプローチをしてほしい。乃木役は仲代達矢。児玉源太郎は丹波哲郎が演じている。実際の児玉は身長が160センチなかったそうだから、もう少し小柄な役者さんの方が良いのではないかしら。でも、小柄で威厳がある役者さんって思い浮かばない・・・・う~ん、池乃めだかという訳にはいかないし(汗)。

映画は日露戦争の旅順攻防戦を描いている。海軍からは防御が手薄な二百三高地の攻略が提案されるが、乃木はもっとも強靭な盤竜山と東鶏冠山(ひがしけいかんざん)の攻撃に固執する。結果、日本軍は死体の山を築くことになる。しかし、その後も、乃木と参謀長・伊地知は執拗に正面攻撃をしかけてはその都度、ロシア軍にはね返されてしまう。攻撃目標を二百三高地に変更し、どうにか旅順を制圧したものの、日本陸軍にとって大きな犠牲を伴った勝利であった。乃木は人格者ではあるが戦争においては暗愚だ。高潔さだけで勝利は呼び込めない。乃木式軍人精神が陸軍から合理的な思考を奪ったと思うと腹立たしい。死んでいった名もない兵士たちがあまりにも悲しすぎる・・・・・と、映画だけを見れば、このような感想になる。しかし、映画は映画であって、史実と異なる部分もある。映画や小説では、乃木は策なく総攻撃を3回行ったとしているが、力攻めを行ったのは最初の1回のみで、後の2回は策を弄したようだ。司馬さんがおっしゃるほど、無能な人ではなかったのかも?

【日本海大海戦 海ゆかば】(83)
日露戦争の日本海海戦を描いた映画。監督は『二百三高地』の舛田利雄。東郷平八郎提督を三船敏郎が演じている。乃木が生涯洞窟のなかで灯をともしていたような、そういう数奇なにおいの人物(司馬さん談)なのに対し、東郷さんは薩摩人らしい堂々たる精神の持ち主。こういう人は運を招き優れた人を引き寄せる。乃木の参謀が伊地知だったのに対し、東郷提督には秋山真之という天才参謀を得た。映画では横内正が秋山さんを演じている。う~ん、ちょっとイメージが違う。横内さんは水戸黄門の渥美格之進でしょ(笑)。三船は【日本海大海戦】でも東郷提督を演じている。こちらの映画の方は音楽が快活で海軍らしいかな?

<東郷神社境内にある「海軍特年兵の碑」
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模型の説明文によると、実魚雷の寸法は
巡洋艦・駆逐艦用 径61㎝ 長さ8.5m / 潜水艦用 径53㎝ 長さ7.2m / 航空機用 径45㎝ 長さ5.7m

【連合艦隊司令長官 山本五十六】(68)
山本五十六を演じているのは三船敏郎。日露戦争の雄・東郷平八郎や乃木希典よりも、太平洋戦争時の山本長官の方が知名度が高い。しかし彼はヒーローなのだろうか。アメリカの国情に明るく、その軍事力の強大さを知る山本は日本の敗戦を確信していた。日・独・伊の三国同盟に猛烈に反対し、対米開戦を避けたかった山本長官のハワイ奇襲は解せない。成功すればアメリカの反日意識を煽るし、失敗すれば日本軍の士気が下がる。それにアメリカ空母は無傷であったのだから、手放しに成功したとは言えないだろう。これ以降の戦いが航空戦になったことも日本にとっては痛手だ。一か八かの奇襲は長官のスタンドプレーのような気がする。

映画の冒頭、山本が小さな手漕ぎ船のへさきに両手をついて逆立ちしている。実際、これは山本の得意の芸であった。阿川弘之著「山本五十六」によれば、郵船諏訪丸で初めて渡米する時も、山本はローリングしている船のサロンの手すりで逆立ちをして見せたりしていたそうだ。映画は山本五十六を誰にも親しまれ、敬愛された人物として描いている。彼は偶像視されているのではなかろうか・・・・。

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とまぁ、最近観た映画の感想です。『日本のいちばん長い日』(67)を観た後なので、少々評価は辛めかもしれません。日露戦争を題材にしたものでは『日本海大海戦』(69)、真珠湾攻撃は『トラ・トラ・トラ』(70)が良く出来た映画ですね。太平洋戦争を扱った映画は、戦争を知る世代が制作したものの方が優れているように私は感じます。戦後育ちのTV世代が作ると、装飾した甘美なものになってしまう傾向があるように思うのですが・・・・。

テーマ : 日本映画 - ジャンル : 映画

タグ : 映画感想 戦争映画 三船敏郎

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