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2011.12/14(Wed)

旅順艦隊

『二百三高地』をBSにて再見した。感想は過去に書いているので省略します。
エンドロールに「瀬島 龍三」「原四朗」「千早正隆」の名前があった。瀬島さんは大本営作戦参謀だった人、後のふたりも元軍人。だからかぁ・・・作りがしっかりしている。(ドラマ『坂の上の雲』の二百三高地の描写は映画とそっくりでしたね)

話変わって・・・
『徹底検証 日清・日露戦争』を読んだ。明治期の陸・海軍、歴史に精通した学者と作家の対談をまとめた本である。メンバーは「坂の上の雲」の陸軍軍事考証を行った原剛氏、「日本のいちばん長い日」の原作者の半藤 一利氏、元日本大学教授の秦 郁彦氏、麗澤大学比較文明文化研究センター所長の松本 健一氏、大和ミュージアム館長の戸高 一成氏。

二百三高地の死闘について、大変興味深い記述があった。第三次総攻撃の二百三高地戦では、約一週間の激戦で日本軍の死傷者は約一万六千人におよぶ。海軍にせっつかれて攻撃を加えた二百三高地だが、終わってみなければわからなかったことはいえ、その前にロシアの旅順艦隊は事実上、つぶれていたそうだ。二十八サンチ榴弾砲十八門による砲撃で、九月下旬から十月中旬までの間に、旅順艦隊の残存艦五隻が大破していた。ロシア鑑は火災による爆発を防ぐため、弾薬、火薬を各艦から撤去し、大砲は陸上要塞砲に転用していた。つまり、消滅も同然だったことになる。

二百三高地を占領して、二十八サンチ榴弾をどんどん港に撃ち込んで旅順艦隊を次々に撃沈したという話は、事実とは違うんです。占領前、山越えで撃ったのが、軍艦に命中したということ。だから、海軍は全力で旅順口を封鎖し続けなくてもよかった?まぁ、今、それを言うのは無粋ですな。来週の『日本海海戦』を楽しみにしています。沈殿している日本に喝!

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16:05  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2009.11/30(Mon)

坂の上の雲「少年の国」

sakanouenokumo_1.jpg
彼らは明治という時代人の体質で
前をのみ見つめながらあるく
のぼってゆく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう
(題字・文 司馬遼太郎)

いよいよ始まった『坂の上の雲』。オープニングから、感極まって涙ぐんでしまった。お城の石垣の傍で遊ぶ明治の子どもたち。貧しげな身なりはしているけれど、はじけた笑顔でこちらを覗いている。「ぼくらが作った日本は今も輝いている?」とでも言っているようだ。

原作の冒頭「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」というナレーションに久石 譲さんの音楽が加わる。続いて、明治を映し出す古ぼけた写真と映像の数々。ここからは司馬さんの「あとがき」が引用されている。

明治維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。た(だ)れもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として その新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

ドラマであるから、当然、脚本家はいるであろうが、司馬さんの、この名文を超える文など書けようはずもない。司馬さんへの敬意を込めて、原文をそのまま使ったのが良かったと思う。このナレーションンにまず感激した。司馬さんの文章は日本人の感性に響く言葉で構成されている。原作の解説文を書いている島田謹二氏の言を借りれば、「日本人が胸のおくに一様に隠し持つ一ばん深い基調音を低音でしのび鳴らしながら、読者の心をえもいえぬ感動へ導いてゆく」のだ。(解説も名文です)久石 譲さんの音楽は司馬さんの世界を音で表現し、視聴者の気分を高める。

司馬さんは明治の明るさは「楽天主義」からきているという。このドラマは滑稽なほどに楽天的な連中が、ヨーロッパ先進国と対決し、どのようにふるまったかという物語である。私の年代は「日露戦争」について、学校では詳しく教えられていない。おそらく、日露戦争における勝利が太平洋戦争への導火線になったと考える人がいるからなのだろう。日本は勝った。それを考え違いした後世の人々の愚行によって、日本人というものを全否定してしまうのは悲しい。ドラマが日本人の気質を考え直すきっかけになればと思う。

photo01.jpg

登場人物たちが皆明るい。とんでもなく貧乏なのに楽しそうだ。秋山家の好古・真之の兄弟愛が心を打つ。父親の伊東四朗さんの、おとぼけぶりが可笑しい。兄弟が下宿する家・・・なにもあそこまでのボロ家に住まなくても(笑)。イヤ、それが明治の軍人魂なのだろう。真之が東京へ出発するとき、お徒士組頭が、はなむけの言葉を送るのが滑稽。近代国家をめざす明治に封建制度がしぶとく残っている。子規を演じている香川さん、あんな中学生はおらんぞなもし。どうみたって30歳は超えてるでしょうが(爆)。

注目の初回。丁寧な作りに製作サイドの意気込みを感じた。司馬さんも、雲の上からOKサインを出してくれているのでは・・・。

テーマ : NHK - ジャンル : テレビ・ラジオ

タグ : 坂の上の雲

17:13  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2009.08/10(Mon)

秋山真之

司馬さんの『坂の上の雲』を読むまで、私は秋山真之という軍人を知らなかった。日露戦争では連合艦隊作戦主任参謀となり、日本海海戦においてバルチック艦隊を7段構えの作戦により撃破し、海戦史上何ものもなしとげなかった完全勝利の立役者である。また「天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文や「連合艦隊解散の辞」は秋山が起案したもので、最後の一文、古人日ク勝テ兜ノ緒ヲ締メヨト(昔のことわざにも教えている「勝って、かぶとの緒を締めよ」と)が有名。名文家でもあった。

新人物往来社から刊行されている『秋山真之のすべて』を読んだ。新人物往来社の「○○のすべて」シリーズは、歴史上の人物を複数の人が執筆するというスタイルをとっている。戦国時代の武将のものは何冊か読んだが、幕末・明治時代の人は初めて。明治ともなれば、一次史料も現存するであろうから、雲をつかむ話ではなさそう、期待が膨らむ。

akiyama.jpg

各章と執筆者は ①秋山真之ー人と風土・・・田中歳男 ②秋山と明治海軍・・・野村実 ③海軍兵学校から日露戦争終結まで・・・志摩亥吉郎 ④秋山兵術の秘密を探る・・・篠原宏 ⑤その後の秋山真之・・・田中宏巳 ⑥秋山真之エピソード妙・・・生出寿 ⑦資料(官歴 秋山の意見書 秋山の著作と伝記)

この中で特に面白かったのは『秋山真之エピソード妙』。
名戦術家秋山にはいくつもの奇癖があった。その一つが立ち小便。桜の木の根もとに、海軍少佐の軍装のまま、じゃあじゃあとひっかけていた。アメリカに留学していたころは特にひどかったらしい。知り合いの米造船技師の家のベルを押した秋山は、急に思いついたように植え込みのあるところへゆき、小便をひっかけはじめた。それを終えると、出迎えた婦人になにくわぬ顔で「ハロー、ハウ・アー・ユー」と言って、いま小便をしたその手で、知らぬがホトケの夫人としっかり握手をした。大きな音を立ててオナラをする変なクセもあった。以下、本からの抜粋(私の表現ではありませんからねっ)飯田久恒少佐の話として・・・日本海海戦時、秋山先任参謀はことさら力を入れて、勢いよく、屁をぶっぱなす。ぶっぱなしておいて「あ、屁か」と屁でもないようにいう。飯田はあきれて「この人は頭がいいから名参謀だが、ふつうだったら変人だ」と思った・・・

食べることにかけては野猿みたいなところがあった。年から年中、上衣のポケットに、えんどう豆かそら豆の煎ったのをいっぱい入れていて、時も所もかまわず、ぽりぽりかじっているのを、周りは類人猿でも飼っているつもりで我慢していたそうだ。衣装、身なりも、およそ文明人とちがっていた。みすぼらしい木綿の風呂敷をぶらさげて歩く姿は、古着屋の丁稚のようであった。艦に乗れば、甲板上どこにでも、猿みたいにひょいと腰かけるので、いつもズボンが汚れて薄汚ない。そんな風であるからエチケットもおかまいなしだった。司令長官と幕僚たちとの食事の席では、食べ終えると、その場で靴下を脱ぎ、足をあげて水虫をゴリゴリかきだす。秋山は野原を歩きまわる原始人のようだった(笑)。秋山のことを俳人の河東碧梧桐は「全エネルギーを職務にうちこんで、そのほかはすべて省略してしまった男」と言っている。

秋に放映される『坂の上の雲』では本木雅弘さんが秋山を演じる。おそらく不潔な秋山ではなく、清潔でさっそうとした秋山真之になってしまうんだろうな。

テーマ : 読んだ本。 - ジャンル : 本・雑誌

14:40  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2009.03/18(Wed)

乃木希典

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東京都港区指定文化財
有形文化財 乃木希典邸
旧乃木邸は、明治三十五年(1902)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(1912)9月13日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍がドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範して建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接室を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は168㎡、木造平家建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。(案内板より)

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乃木さんを扱った本を4冊読みました。『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)、『殉死』(司馬遼太郎著)、『坂の上の雲に隠された歴史の真実』(福井雄三著)、『名将 乃木希典』(桑原嶽著)。司馬さんの本は歴史小説、後の2冊は『坂の上の雲』の考察本です。司馬さんは乃木大将のことがお嫌いだったようで(汗)昭和42年6月別冊文芸春秋に『要塞』を発表して、乃木将軍や伊地知参謀長を無能者扱いにし、世間一般に大きな衝撃を与えました。更に輪をかけて乃木さんを誹謗した『殉死』を、続いて『坂の上の雲』を発表したのです。

『坂の上の雲』と『殉死』は司馬さんの独特の文体に魅了され、明治という時代を頭に浮かべながら読み進めることができました。明治のことも日露戦争についても、ほとんど知識のない私にとって『坂の上の雲』は先人の思いに触れるような感覚に陥る小説です。日露戦争についてもっと知りたいと気持ちがわき、いろいろと調べていくうちに『坂の上の雲』に書かれている事と史実には開きがあるのでは?という疑問を抱くようになりました。

『名将 乃木希典』の著者である桑原嶽さんの経歴を紹介します。
大正8年生まれ。昭和14年陸軍士官学校卒、砲術の専門家として、中国、ビルマ戦線、イワラジ会戦、シッタン作戦に参加。陸軍の少佐で終戦を迎えています。(20代の少佐ですからエリートですね)終戦後は警察予備隊(今の陸上自衛隊)に入隊、学校教官、司令部幕僚(参謀)、各級部隊長などを歴任した軍事(特に作戦面)のプロです。その桑原さんが旅順攻撃における乃木大将と伊地知参謀長の作戦に誤りがなかったことを論じているのですが、内容が専門的すぎて、私には理解不能(汗)。しかし、乃木さんが無能者でなかったことだけは、なんとなく理解できました。

司馬さんは天才的な歴史小説家であって学者ではありません。桑原さん曰く「戦国武将や幕末の志士などについては何を書こうと問題はあまりないと思うが、現代史となると問題が生じてくる。」・・・・たしかに。司馬さんの戦国小説は物語としては面白いのですけれども史実とは大きくかけ離れています。しかし、それはいいと思うのですよ。読者も作り話であることは百も承知していますから。ところが現代史の場合、真実とウソを混ぜつつ真しやかに語られると、読者は小説であることを忘れてしまいます。乃木愚将説を唱えれば世間の注目を引きますしね。桑原さんのおっしゃることはもっともです。

だからと言って『坂の上の雲』の歴史小説としての価値が下がることにはならないと思うのです。司馬さんは乃木大将が愚将であったことを言いたかった訳ではなく、太平洋戦争を明治という時代から見つめる必要性を説いたのではないでしょうか。私のような明治に関心を持たない者が新生国家に目を向けるきっかけを作ってくれた小説です。正直言うと、今まで幕末が大嫌いで新撰組も幕末の志士も苦手でした。(由緒正しい守護大名が好き・笑)これからは近代の始まりにも心を寄せなければならないですね。

次に『坂の上の雲に隠された歴史の真実』について。
著者は○翼的な思想を持っているのかな?海軍嫌いの陸軍好きのようです。神格化されている、陸軍大将乃木希典閣下を愚将呼ばわりする司馬は許せん!ということなのでしょう。話はそれますが、歴代の海軍トップは海軍左派と言われる人が多く、米内光政さんや山本五十六さん、井上成美さんらは右翼から命を狙われていたそうです。海軍は親英米派が多く、陸軍は親ナチ派が多かったため、ドイツとの同盟をめぐっては陸海軍の間で激しい対立がありました。それやこれやで海軍と陸軍は犬猿の仲となり、海軍は陸軍のことを「馬糞」「ケダモノ」と生理的に毛嫌いし、陸軍の連中は海軍のことを「腰ぬけ」呼ばわりしていました。陸軍がナチに心酔していたからでしょうか、著者が唐突に「ユダヤ人大迫害」を持ち出しているのには苦笑しました。しかしながら「ユダヤ人大迫害」の章は大いに納得する内容なんですよね~(滝汗)。

まぁ、明治を知らない私には乃木さんが名将であったのか愚将だったのかわかるはずもなく・・・・・。これ以上詮索することは止めておきます。のめり込みやすい性格ですから、自制しないと収拾がつかなくなりそう(笑)。

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先日行った乃木神社でペット用のお守りを買いました。

テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

10:25  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2009.03/03(Tue)

戦艦「三笠」

昨年、三笠を訪ねた際は外側から眺めただけでしたが、今回は艦内に入りました♪
外に夫と犬2頭を待たせ、一人艦内へと突進したのであります(笑)。あまり長く待たせては悪いと思い、大慌てで艦内を走りまわったので、汗だくになりました~(2月だと言うのに)。周りからは変なオバさんと思われたかもしれません。

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「三笠」の概要をパンフレット(財団法人・三笠保存会発行)から転載します。

戦艦「三笠」は明治36年(1902)にイギリスのヴィッカース造船所で建造されました。日露戦争における日本海海戦ではバルチック海から増派されたロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ち、東郷平八郎司令長官が座乗する連合艦隊の旗艦として常に先頭に立って勇猛果敢に戦い、海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく貢献しました。

戦いが終わり佐世保に入港していた際に火薬庫の爆発により沈没しましたが、揚収・修理後第一線に復帰し、海上防衛・警備の任務を全うしました。大正12年(1923)に現役を退き一旦は廃艦にすることが決まりましたが、ワシントン軍縮会議において記念艦とすることが認められ、約1年半にわたる改修工事を経て大正15年に現在の地に保存されました。

昭和20年(1945)太平洋戦争に敗れて連合軍が日本に進駐し、連合軍司令部の命令により、「三笠」は船橋、マスト、大砲、煙突など上部建造物の全てが撤去され、見る影もなく荒廃しました。昭和30年に至り、内外から記念館「三笠」を元の姿に戻そうとの声が高まり、多くの人々からの募金、政府の予算、アメリカ海軍などの支援により昭和36年に元の姿に復元されました。

以下、艦内の様子です。
艦橋から見た40口径12インチ(30センチ)主砲
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15センチ砲
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舵輪
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ハンモック
mikasa-hammock.jpg

バス・トイレ
mikasa-bath.jpg

厨房
mikasa-kitchen.jpg

士官室
mikasa-shikanshitu.jpg

この他、長官公室、館長室や東郷司令長官の遺髪、36式無線電信機などが展示されていました。

タグ : 三笠 東郷平八郎

14:37  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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