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2007.11/10(Sat)

天と地と

川中島地方へ行ってまいります。川中島の合戦(第四回)の際、信玄公が陣を張った八幡原、謙信が陣を張った妻女山、武田氏の信濃支配の拠点となった深志城(現在の松本城)などを見てくる予定です。日頃の行いが悪いので、外は大雨が降っています。あちらのお天気も悪いそうな・・・・ガ~ン。家来の犬を従えて、いざ、出陣でござる!

大河ドラマ『天と地と』を見て以降、武田びいきになりました。
07:35  |  歴史  |  TB(2)  |  CM(18)  |  EDIT  |  Top↑

2007.08/09(Thu)

三国同盟

北条氏康↓です。ダウンタウンの松ちゃん似かな(笑)

北条氏綱・氏康は業績のわりに知名度が低すぎると思うのですよねぇ。

上杉家との抗争の末、関東の覇者となった北条。関八州ですぞ!
                                
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でもって、これが今川義元↓どうして木像しか残ってないのかしらん?

義元の画像は、この木像しか見たことがありません。

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恐ろしい事に(?)今川家の当主は代々、木像になってらっしゃるようで

義元のお父上・今川氏親↓です。

Image0004.jpg



北条氏康、今川義元・・・・ときたら、信玄公↓も載せないと!

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えっ、これが信玄!と思われる方もいるでしょう。

私もわかりましぇ~ん。

藤本正行著「武田信玄像の謎」に

成慶院本の信玄像↓は畠山氏の誰かだと書いてあります。

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三国同盟の仲良し(笑)3人組は、どのようなお顔だったのかしら?

16:39  |  歴史  |  CM(18)  |  EDIT  |  Top↑

2007.07/18(Wed)

真田昌幸

柴辻俊六著「真田昌幸」を読みました。
真田昌幸は真田幸隆の三男。真田幸村(信繁)のお父上。
昌幸については、知っているようで、まったく知らなかったというのが正直な感想です。
柴辻先生が、例によって細かい検証をされてるのですよー。
「先生~この本は、あくまでも一般大衆むけに書かれたんでしょ。細かすぎる!」と
思いつつ、必死で内容を追っていきました。そうするうちに、激動の真田家の史実にふれ
涙ぐんでいる私。
この本を読んで泣くとは、私のオタク度も相当なものです(笑)。

ともすれば、真田一族は戦記的な面に興味をもたれ、講談や小説の内容が
通説として流布しています。特に真田幸村は、悲劇の武将として有名ですね。

この真田一族の礎を築いた真田幸隆の武田家への帰属は
天文15年あたりではないかとのこと。
「上田原の合戦」の背景には真田幸隆ほか、滋野氏一族の旧領回復の願望があったそうです。
ただ、幸隆が参戦していたことは「甲陽軍鑑」に板垣信方の脇備えであったとみえるに
すぎないと柴辻先生はおしゃっています。
その後の幸隆の働きについては、「高白斎記」に書かれているそうです。
天文20年5月の幸隆の単独軍事行動による戸石城の攻略など・・・

真田家や北条家の歴史は戦国絵巻です。
中でも真田昌幸は多くの有名な合戦に参戦しています。
初陣が第四回川中島と伝えられ、三増峠の戦い(対北条)・三方ヶ原の戦い(対徳川)
長篠の戦い・朝鮮の役(備前名護屋に赴く)・関ヶ原の戦い(上田城にて徳川秀忠と対戦)

真田幸隆、昌幸、幸村(信繁)。戦国の世で異彩を放った三代だと思います。
11:25  |  歴史  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.07/11(Wed)

輿に乗る今川義元

その時歴史が動いたで「桶狭間の戦い」が取り上げられてましたね。
なんと、小和田哲男先生がコメンテーターとして出演されてた!
以前、このブログで本の感想こちらを書くほど、興味のあるテーマでした。

桶狭間合戦は、迂回・奇襲作戦などではないと最初に指摘したのは、藤本正行氏だと
鈴木眞哉氏が、おっしゃっております(戦国15大合戦の真相より)

藤本正行著「信長の戦争」を読むと、確かに桶狭間の戦いは奇襲攻撃ではなかったと
納得します。
私は「信長の戦争」の後、「信長公記」を読んだのですが、あの戦が奇襲であったとは、
一行たりとも書かれていません。

それにしても、藤本正行さんと鈴木眞哉さん。
このおふたりは、○○説に異を唱えることが、お好きなようです。
またまた言ってる~と思いながらも、ついつい読んでしまいます
気づけば、本棚にふたりの本が計6冊ある(笑)。
特に面白かったのは、「信長は謀略で殺されたのか」です。そうだよな!って共感しました。
光秀くん、謀反の動機は何だったの?

23:49  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.07/08(Sun)

景虎が謙信と名乗るのはいつから?

私たちは、謙信と言えば上杉謙信と気安く呼んでいますが
いつからこの苗字と名前になったのでしょう?
有名な第四回川中島(永禄四年)の戦いは、「武田信玄」対「上杉謙信」の対戦と呼ばれています。
でも、このとき謙信の名前は政虎。永禄四年閏三月に上杉姓と上杉憲政から一字をもらって
長尾景虎から上杉政虎となりました。その後、上杉輝虎に改名します。
「永禄四年の川中島の戦い」は武田信玄と上杉政虎の間で繰り広げられた激戦というのが正しいと思うのですが・・・・
可笑しいのは、謙信の改名を、武田家と北条家は認めず
ず~っと「長尾景虎」「長尾輝虎」「長尾謙信」と呼ばわっています(爆)。

それでですねぇ、私が知りたいのは謙信といつから名乗るようになったかということです。
知りたくてしょうがないのですよ(笑)。上杉関係の書籍を調べても載っていません。
ならば武田書籍からと思い調べたけど、どの本にも書いていない
しょうがないので、「甲陽軍鑑」を読んでみると、ありました~
晴信公は天文二十年に出家し信玄公となられ
長尾景虎は天文二十一年、23歳の時に謙信と名乗られた・・・・・・・
しか~し!!晴信公が信玄公となられたのは、最近の研究では永禄二年とのこと。
「甲陽軍鑑」には年代の誤記が多いと聞きます。謙信の項目も信憑性がありません。

教えて~謙信はいつから謙信になったの?!


テーマ : 歴史・時代小説 - ジャンル : 本・雑誌

15:56  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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