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2010.08/03(Tue)

龍馬伝

久方ぶりに大河ドラマを観ている。それも、今まで興味がなかった幕末ものを。理由は単純、坂本龍馬を演じているのが福山雅治さんだから NHKの策略にまんまと引っ掛かった(笑)。福山さんの体当たりの演技がドラマに活力を生み出し、龍馬の時代を明るく照らしている。さてさて、幕末とは?・・・、ということで、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』全八巻と『幕末』を読んだ。小説であるから、どこまでが史実かどうかわからないけれど、司馬さんに幕末を案内してもらい、風雲の情景が少しだけ見えてきた。志士たちの、あざやかなほどの無私さに心を打たれる。

で、ドラマ。突っ込みどころが満載だぁ まず、武田鉄也さん演じる勝海舟。目じりを釣り上げるメークを施し、若く闊達な海舟を作りあげているが、ちょっとイタい 
上川隆也さんの中岡慎太郎も少々無理がないかい?とても20代には見えませぬ。このご両人の不自然さの、さらに上をいくのは近藤正臣さん演じる山内容堂公!龍馬が活躍していた頃の容堂は30代。しかし、ドラマではまるで水戸黄門みたいなおじいさんになっている(爆)。実年齢に近い役者さんだと、ドラマ全体が軽くなるから、敢えて年配者を使っているのかもしれない。

あと、岩崎弥太郎!あんな描き方をして大丈夫なのだろうか?三菱の人はクレームをつけないのかなと要らぬ心配をしてしまう。しかしながら、キャラは抜群に面白い。香川照之さんが画面に登場するのを毎回楽しみにしている。始めの頃は貧乏と性格の悪さが際立っていたが、商売が軌道に乗ると「良い人」っぽくなってきた。人間、余裕がないと窮屈な人間になってしまうんだなぁ。
しかし余裕がありすぎると慢心してしまう・・・人間稼業はやっかいでありんす

西郷隆盛役の高橋克実さんも独特の味を出していてる。『竜馬がゆく』には、龍馬が西郷の印象を「西郷という人物はまことに底の知れない人間で、大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く、利口なら大利口、馬鹿なら大馬鹿である」と勝海舟に語るシーンがある。ドラマでも使われていたセリフだ。西郷と言えば・・・。司馬さんの著書『余話として』に、面白い話が紹介されている。維新前には名乗り(ナノリ)というものがあったそうだ。大石内蔵助は良雄、坂本龍馬は坂本直柔(なおなり)である。龍馬は通称であって正式名ではない。西郷の通称は吉之助だ。維新後、戸籍名を届け出ることになり、多忙な西郷の代わって薩摩藩出身の吉井友実(ともざね)が西郷の名乗りを隆盛と届けた。ところが西郷隆盛というのは、西郷の父親の名乗りで、吉井はそれと混同したらしい。当の西郷がもどってきて、吉井から事情をきき、礼をいったがあと吉井に「おいは隆永(たかなが)じゃど」と、こぼしたという。西郷にはどこかユーモラスな雰囲気があったのだろう。とすれば高橋克実さんの起用は正解かもネ 西郷どんの今後の活躍を期待しておりますぞえ~!





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テーマ : 龍馬伝 - ジャンル : テレビ・ラジオ

10:25  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2010.01/04(Mon)

龍馬伝

『坂の上の雲』とタッチが似ている。『龍馬伝』には原作がなく、オリジナル脚本で龍馬を描いているそうだ。坂本龍馬を有名にしたのは司馬さんの『竜馬がゆく』であり、製作者もそのことを意識していることがうかがえる。去年の「天地人」と一昨年の「篤姫」は初回を見て、ずっこけ、後はパスした。あそこまで現代風なドラマにされると興ざめしてしまう。歴史ドラマの体裁を整えてほしかった。『龍馬伝』はというと・・・。

坂本龍馬を生んだ土佐の風土に焦点を当てているのが良い。殿様は山内なのだが、戦国期の土佐は長曾我部侍が支配していた。藩祖山内一豊が関ヶ原の功名で与えられた土地であり、もともと山内家というのは他国者である。藩の要職に就いたのは藩祖一豊が本土からつれてきた連中で、上士として長曾我部系の下士を支配してきた。下士は土佐の制度では最下級の武士で、上士からは人間あつかいされない。土佐におけるこの差別問題が、ついに維新史を動かすにいたったと言われている。初回はこうした土佐の特殊性を伝え、今後の展開の布石を打つ内容となっていた。

当時の土佐は士農工商という職業格差よりも、武士間の身分格差の方が大きかったようだ。それにしても、香川さん演じる岩崎弥太郎のみすぼらしさときたら・・・。武士を名乗ってはいるけれど、あの風体は物乞いのよう(汗)。しかし、眼光は鋭く学才がある。今後、どのようにして、のし上がっていくのか楽しみ。香川さんは「坂の上の雲」では子規の10代を演じ、「龍馬伝」では岩崎弥太郎の10代・・・ちょっと、無理はないかい?(笑)福山さんの龍馬は自然体の演技で良かったと思う。

国民に絶大な人気を誇る坂本龍馬だけに、その描き方には苦心もあろう。ただ、白馬の王子様風に「愛」を連呼する幼稚なヒーローでないことを望む。視聴率を考えれば、ホームドラマっぽくした方が数字は取れるのかもしれないが、それでは大河ドラマの名が泣く。きらびやかさを求めず、本格的な歴史ドラマにしてほしい。

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

11:29  |  歴史  |  TB(1)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2009.04/01(Wed)

武田騎馬隊なんてなかった?

takedakiba.jpg

わ~い、久しぶりに戦国時代のことが書ける~♪このブログ、いつのまにやら映画ブログのようになっていますが、元々は「戦国&映画&犬」をテーマに始めたものでした。今、喜び勇んで本記事を書いておりまする。眼の調子が悪くなり、医者からパソコンを控えるよう言われてはいますが、戦国のことを書くのは大好き!あまりマニアックなことを書かないようにしなきゃ(笑)。

1989年7月、山梨県甲府市の武田氏居館内から、埋葬された状態で馬の全身骨格が発見されました。上の絵はそれを元に復元された武田軍軍馬の復元画です。馬に注目してくださいまし。どこか変でしょ。馬が小さくないですか?この馬骨の生前の体高は1m20㎝しかありません。しかし、前足の筋肉が発達していたと推定されています。これは重量物を背にして斜面の登り下りをしていた馬の特徴だそうです。当時の日本馬はポニーの部類だったというから驚きです。
*写真と解説は鈴木眞哉著『鉄砲隊と騎馬軍団』を参考にさせていただきました。

著者の鈴木眞哉さんは物事を斜めからしか見ないヒネクレ者(失礼)ですが、こういう人の話は面白い。氏は武田家を含めて、当時の軍隊に騎馬突撃というようなことができたのであろうか?という問題提起をしています。騎馬弓兵(馬上で矢を射かけながら走るヤブサメのようなもの)がいたことは絵巻などによって見ることができるけれども、それと近代騎兵の突撃の光景を重ね合わせてはならないとおっしゃっています。

ポニーのような小形の馬に重い甲冑をつけた武士が乗れば、その馬は重さにたえかねてよろよろと歩くしかできなかったであろう・・・・ということです。NHKの実験によれば、中世の馬と同程度の体高130センチ、体重350キロの馬に体重50キロの乗員と甲冑相当分45キロの砂袋を乗せて走らせた場合、分速150メートル出すのがやっとで、しかも10分ぐらいでへたばってしまったそうな・・・汗。

以下、『鉄砲隊と騎馬軍団』からの抜粋です。
旧陸軍の騎兵に関わる基準では速く走らせるギャロップの場合で分速310メートル、最高では420メートルを要求されていたというから、わが国中世の馬がはるかに劣っていたであろうことは、実験からも容易に推測できる。しかも、柄が小さく速度も出ないわりには気性が荒くて、扱うのが大変だったといわれているが、これは去勢の習慣がなかったことなども関係しているかもしれない。

ということで、当時の馬は険路に耐えうる「輸送力」だったようです。また、戦国時代になると、騎馬兵は戦闘開始に先立ってあらまし下馬する敢行が定着していました。徳川家康も「移動の際は甲冑を脱いでいた」と言っています。(どの本に書いてあったか忘れました)ですから、映画やドラマに出てくる勇猛な騎馬武者は源平の頃までで、戦国時代の騎馬兵の存在は、もはや戦闘の行方を左右するような要素ではなかったということです。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

タグ : 戦国時代

21:43  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01/08(Tue)

天と地と(海音寺潮五郎)

IMG.jpg

先日、テレビ朝日系列で「天と地と」が放送されました。松岡くんの上杉謙信、自然な演技で良かったと思います。原作は海音寺潮五郎さんの長編歴史小説「天と地と」。過去に大河ドラマや映画の原作に選ばれました。大河ドラマ「天と地と」の時に、時代考証を担当したのが桑田忠親さんです。このふたりの対談が「戦国乱世」という一冊の本になっています。発行は昭和58年ですが、対談は昭和44年に行われたものです。作家と歴史学者の戦国談義です。

このおふたりさん、なかなか毒舌家のようで、名だたる武将をメッタ斬り。ほどんどの武将のことををキライだ!と言い放っています(汗)。信長さんに関する記述は熾烈を極め、「織田の軍勢は弱かったんですよ。弱いからけっきょく鉄砲を使うんですよ。尾張や美濃の兵が弱いのは、気候温暖で耕地広く、生産が豊かで、商業経済なぞも発達していたから。要するに環境がよすぎたのです。そういうところで育った兵は、どうしたって弱いですよ」などど、科学的な根拠のなさそうなことを挙げています(笑)。

信玄公のことは「戦争は強かったけれど、やっぱり親父(信虎)の子供ですよ。好むところに溺れる性質があった人ですよ。彼はあれほどの実力を持ちながら、ほんとに年をとるまで、五十何歳になるまで都に上ろうというりょうけんを起こさなかった。これは、ぼくは怠け者だったからだと思うんだ」って、ひど~い(笑)。

愚将についても言及しています。今川義元の息子の今川氏真については「あれはだらしがありませんね。」さらには、「阿呆ほど長生きするんだな。今川氏真にしても山名豊国にしても、土岐頼芸にしても、たいへんな長生きですよ。阿呆ほど、のんきにできているんだな。苦にならないんだ。自分の失敗が
毒舌ぶりはとどまるところを知らず、容姿については、北条早雲の顔が気味悪いだの、斎藤道三の肖像画をみた司馬遼太郎から聞いた話として「すごい顔だそうだ」といった具合です・・・やれやれ。

ところが謙信のことについては絶賛しています。「謙信の生涯はいってみれば芸術みたいなものですよ。彼の生涯そのものが、美しく潔く生きようという気持ちで貫かれて、従ってそんなおれは不犯を通して、最も清らかに美しく生きてやろう、という武将」だそうですよ。容姿については「立派で男振りがみごとですよ」戦い方は「フェアで敵を正々堂々とやっつける正義観念を持っていた」などなど・・・・

「天と地と」には、海音寺潮五郎さんの謙信への愛がいっぱい詰まっているのです。

テーマ : 本の紹介 - ジャンル : 小説・文学

タグ : 読書感想 上杉謙信

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2007.12/18(Tue)

川中島の合戦

大河ドラマ「風林火山」の最終回がありました。ドラマなのですから、史実云々を言うのは野暮。井上靖氏の「風林火山」が原作です。しかし、ドラマと原作は相当かけ離れています。脚本家さんが暴走した才能を発揮していました。特に後半はやりたい放題でしたねぇ。前半は重厚な本格時代劇の様相だっただけに惜しまれます。

ごめんなさい。始めに謝っておきます(笑)。今から夢も希望もないような史実を記述します。こんなことを書きたがるのがマニアでして・・・・。いけないと分かっているのですけれど・・・・・。はい、確信犯でございます。不愉快に思われる方はスルーしてください。

山本勘助は長らく、架空の人物とされていた人です。というのは、一級史料に山本勘助という名が認められなかったからです。勘助の名を有名にしたのは、江戸時代に書かれた軍記書「甲陽軍鑑」。これは成立年と著者の特定がなされていない、神秘の(?)書物なのです。武田研究に携わる人からは評判の悪い書物で、甲陽軍鑑には手を出すなとさえ言われています。たしかに読めば、その史料的価値が低いことは、私のような素人にも分かります。

この他、山本勘助のことを記している書は「武田三代記」「川中島五箇度合戦之次第」「北越軍記」「常山紀談」「武功雑記」など、いずれも江戸中期のもので、「甲陽軍鑑」を参考史料として書かれた軍談本の類です。

昭和44年に「市河文書」の断片が発見され、これに「山本勘助」の名があったことから、そういう名前の家臣が武田にいたということは証明されました。しかし、詳細については全く不明。軍師・勘助は「甲陽軍鑑」の作り出した架空の人物であろうということが通説となっています。

そして「川中島」の戦い。激戦であったことは間違いのないところなのですが、詳細については、これまた、「甲陽軍鑑」を中心とした軍記本にしか出てきません。川中島の合戦ほど根拠があいまいで、事実関係がわからない合戦も珍しいのです。川中島の戦いとは、川中島を中心とする武田・上杉両氏の対立という意味において、5回にわたる対陣、衝突を含んだ軍事行動の総称です。

上杉軍の妻女山布陣、武田家の啄木鳥の戦法、上杉軍の車懸かりの陣、武田軍の鶴翼の陣、信玄と謙信の一騎打ちなどは、軍記物が創作した戦国浪漫とみるべきでしょう。確実な史料から確認できる第四次川中島の合戦とは、平山優著「川中島の戦い」によると

①9月10日に確実に両軍の会戦があった
②この合戦で武田信玄の実弟典厩信繁が戦死した
③上杉政虎が自身太刀を振るって戦闘に及んだ
④この合戦で郡内小山田衆が上杉軍に側面攻撃を加えて甚大な被害を与え、その武勇が近国に知れ渡るほどのものであった
⑤双方とも、自軍の勝利を喧伝し、武田方は討ち取った敵を3000余人とし、上杉方は8000余としている
⑥武田軍は戦闘終了後も川中島に踏みとどまり、上杉軍が野尻城や市川城に残党が籠城していることを確認している

以上のことしか分かっていないそうです。

一見するとまったく性格の違いそうな戦国の雄、信玄と謙信との直接対決。この戦いがなければ、どちらかが天下をとっていたかもしれません。

川中島合戦を通じて、信玄の勢力は次第に北信濃にまで及ぶようになりました。戦争目的を達したという事からすれば、実質的な勝者は信玄であったということが、多くの研究者たちの意見です。

書きたい放題の後ですが・・・・
NHKさま、武田を題材とする大河ドラマを放送くださりありがとうございました。俳優陣の、それぞれの個性を発揮した熱演にも拍手を送ります。お疲れ様でした~。
14:32  |  歴史  |  EDIT  |  Top↑
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