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2007.01/30(Tue)

服を着こなせない犬

Pは散歩中、面識のない人から「男の子?」と尋ねられます。

ちゃんと観察すれば、オスかメスかの判断は容易だと思うのですけどねぇ・・・・

たかが犬、オスに間違えられても問題ないけれど、正しい性別で見てほしい。

最近はメスだとわかるよう、赤い洋服・首輪・リード姿で散歩させています。
       

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彼女に赤い洋服が似合わないことは、百も承知しています。

被害妄想でしょうか・・・すれ違う人から笑われている気さえします。

それでも女の子っぽく見られたいというのが、飼い主心というもの。

そんなこともあって、雌雄のはっきりしない人間の赤ちゃんの性別を知りたいときは、

「まぁ、かわいいですね、女の子ですか?」と親御さんに聞くようにしています。

女の子なら正解だし、男の子だったとしても女の子のように

可愛いということになりますからね。

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2007.01/29(Mon)

武田と勘助

大河ドラマ「風林火山」
いよいよ山本勘助が武田に仕える場面が出てきましたね。

前にも書いたことですが、勘助は史料の中では『甲陽軍艦』にしか登場しない人です。その実在を証明した書状(1557年6月23日付けの北信の土侍である市河藤若に宛てたもの)にも口上の使者として山本助の名が記載されているだけで、その詳細は不明です。よって山本勘助の人となりは甲陽軍艦に頼るほかありません。山本勘助の登場シーンを要約しました。

天文12年正月三日、武田家の家老たちが集まり、その年の晴信公の軍備について討議を行った。敵味方の国境にかまえる城について話題が及んだ。良い城は千人の敵に対して味方は三百でも持ちこたえることができる。これは城の構え方、設計に重要な秘訣があるからだ。この秘訣を心得た人物が今川義元公のご家中、庵原殿の身内にいる。この者は全国を回って修行した大剛の武士で、山本勘という。そして板垣信が、勘介を晴信に推挙した。このとき約束された知行は百貫。

勘介と初対面の時に晴信公は、『勘介は片目の上、数箇所の負傷によって手足もやや不自由のように見える。しかも色は黒い。これほどの醜男でありながら、その名声が高いのは、よほど能力の優れた武士であろうから、知行百貫では不足であろう。二百貫にしてやろう』とおっしゃった。

このころから信玄公は人使いが上手だったのですね。勘助は自分の容姿にコンプレックスがあったはず。そこを指摘しながら能力面を褒める。勘助としては、このお方はこんな自分を正当に評価して下さった。晴信様のために頑張ろう!と思いますよね。

【つけたし】
①大河ドラマの最後に紹介されている勘助ゆかりの場所は、江戸時代初期に書かれた甲陽軍艦を読んだ人によるものでは?視聴者に勘助実在説をアピールしてるぅ(笑)
②山本勘助の名前の字は、勘介や管助とも記されています。板垣信方も信形という字だったらしい・・・どうでもいいことでした(汗)。


11:39  |  歴史  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.01/28(Sun)

山中湖にて

我が家のワンコたちの趣味は、ドッグカフェへ行って食事を楽しむこと。今どきの犬は、自宅のまわりを散歩するだけでは満足してくれません。縁あって一緒に暮らしているのですから、楽しく生活してほしい。たまにはドッグカフェで食事をおごってやるのも悪くない。徳川綱吉ばりに『生類憐れみ』を実践している飼い主です(笑)

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Pは犬のくせに潔癖症なので、食べ物を器からこぼすという無作法はしませんが、Lはちょっと不潔な子なので汚く食べています。犬にもそれぞれ性格があるようで・・・・
11:57  |  ワンコとお出かけ  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2007.01/24(Wed)

風流は度を越すな

信玄公十九歳にて其一年無行儀之事
付御詩の事 
板垣信方換言の事

20070124110449.jpg

青年信玄(晴信)の乱行ぶりはすさまじく、重臣・板垣信方に換言されるまでは
手のつけられぬ状態だったそうです・・・ちょっと想像できません。
ちなみに信玄公、こんな和歌を残しています。

             霞より心もゆらぐ春の日に
               のべのひばりも雲になくなり


【風林火山】の旗をなびかせて、戦いにあけくれた方の歌とは思えない(笑)
凄まじい戦をしいられる武将にとって、和歌を詠むことが息抜きだったのかもしれませんね。
それに和歌のたしなみがなければ、辞世の句も残せないし。

風流といえば、忘れちゃいけない人がいます。
今川氏真で~す!
父今川義元が桶狭間の戦いで信長に殺されたあと、その弔い合戦をするでもなく
遊んで暮らしていた風流人。生涯に詠んだ歌の数は1700首を超えるとか!
討ち取った敵の首数が1700だったらよかったのにね(笑)
蹴鞠も日本一の腕前だったそうです。

風流もほどほどにしないと、身を滅ぼします。
12:50  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.01/22(Mon)

フロイスの日本覚書で嗤う

【ルイス・フロイス】は、ポルトガル生まれのカトリック教会の司祭です。
1963年に日本に第一歩を印し、摂津、河内の各地を流転した後
織田信長との謁見を許されます。
フロイスは、その信長の寵愛を受け、岐阜城や安土城を訪ねたそうです。
さて、このフロイスさんの日本覚書に記されたヨーロッパと日本の風習の違いが
笑えるので以下、抜粋します。

☆われわれにおいては、人の訪問は、通常、何も携えずにおこなう慣わしである。
日本では、他人を訪ねて行く者は、おおむねいつも何かを持って行かねばならない。

☆われわれにおいては、だれかが贈り物としてもたらした品物は、
その同じ人にそれを勧めることができない。日本では親愛のしるしとして
贈った人とそれを受けた人とが、すぐにその場で試食してみなければならない。

☆われわれは、親指または人差し指で鼻孔をきれいにする。
彼らは鼻孔が小さいので、小指でそれをおこなう。

                20070122165841.jpg
             松田毅一/E・ヨリッセン著  中央公論社発行


人の家を訪問するときは、ショートケーキなんぞを土産に持参し
受け取った側は、「まぁ、美味しそう!さっそく皆で頂きましょう」とか言いますよね。
これって戦国時代からの風習だったんだ・・・

17:11  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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