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2007.03/17(Sat)

小田原北条記

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 江西逸志子原著 岸正尚訳 ニュートンプレス発行 

今日は犬たちと一緒に、あちこち浮浪してました(笑)。
お出かけついでに購入した「小田原北条記上・下」
文庫本で、1冊1000円という値段についつい・・・(汗)
小田原北条氏の5代をつづった戦記物語系の作品で、江戸時代に書かれたものです。

北条家、中でも北条氏康は名将だと言われているわりには、知名度が低い。
ドラマや有名作家の小説に、主役として登場していないからでしょうね。
実力からすると、信玄公や謙信と肩を並べる武将だと思うのですが!

「信長公記」も同じニュートンプレス社の原本現代訳シリーズで
発行されているので注文しようかと思っています。
上・下あわせて、2000円というのは嬉しいですよ!

話は大きく変わりますが、昨日の「朝日新聞」に面白い記事がありました。
生活欄でオナラについて詳しく解説してるのですよ(笑)。
この記事だけでも笑えたのですが、加えて昔話まで紹介してくれています。
その内容は・・・

【へっこきあねさ】という昔話を見つけた。けた外れのおならをする女性の話で
嫁ぎ先で我慢できずにおならして、人を吹き飛ばし、けが人を出してしまう。
それで里に帰されそうになるけど、おならで柿の実を落としたり
舟を吸い寄せたりして大活躍。

わざわざ、絵本の表紙まで載せていました。

へっこきあねさ へっこきあねさ
長谷川 摂子、荒井 良二 他 (2004/09)
岩波書店

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19:01  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.03/16(Fri)

汲取り物語

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川崎房五郎著 光風社出版発行

【江戸八百八町】
豊富な史料と著者の確かな観察眼で、江戸の街に生きた人々の生活を記した本です。
とても面白い内容です。
江戸市民の糞尿事情について書かれている箇所のほんの一部だけ紹介しますね。


元禄時代、江戸は120万人の人口を抱える世界有数の大都市でした。
その食膳に供する野菜の量もまた凄いもの。
近郊農村の農民は、米作よりも野菜づくりに全力をむけたそうです。
このことが、江戸市民の糞尿争奪戦に大きくかかわってきます。

汲取る場所は、町人の住む長屋の共同便所、大名屋敷便所や旗本屋敷便所など。
農民や汲取り業者は、大家や役人と「糞尿汲取り契約」をかわします。
江戸市民の糞尿は、重要な肥料で、農民にとっては、その確保が死活問題。
そこにつけこんで、汲取りを許可する側は、糞尿の値段をつりあげていきます。
糞尿の値段の高騰により、おのずと野菜の値段もあがったそうです。

江戸市民の糞尿は、食べ物にぜいたくをしているだけに優秀で、一種のブランド品。
なかでも、今の青山、赤坂、麹町あたりの家の糞尿は、畑にまいた場合
渋谷あたりの家のものと比べ、効果があったので、値段が高かったそうです。

糞尿争奪戦は、しだいにエスカレートしていき、葛西方面の頭のいい人が
船で大量に運搬して商売することを考え出します。
これを埼玉、千葉の農民らに高値で売りました。
それほど、江戸市民の糞尿は肥料として最上のものとみなされ
どうしても江戸市民の糞尿を、人より余分にほしいと考えたそうです。
江戸~川越間も運搬船があり、江戸の糞尿を川越に運び
帰りに川越の物資を積んで江戸まで運んでいました。
川越の人々は「江戸のやつらは、川越の恩を尻でかえす」と言っていたそうです(笑)。

(お詫び)
汚い言葉を乱用いたしましたことをお詫びします(笑)。

今日は、アップしたい画像があるのですが、このページに掲載するのは
いかがなものかと思いまして続きの画面に載せています。
よろしかったらご覧下さいませ。


14:05  |  一般  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.03/15(Thu)

フロイスの日本覚書・・その2

お友達のサイトで話題に出ていた戦国期の生活様式について、私なりに調べました。
「フロイスの日本覚書」から
戦国女性の髪ならびに入浴にまつわる記述の一部を抜粋します。

☆ヨーロッパの女性は、芳香のある香料で頭髪をにおわせる。
日本の女性は頭髪に塗った油のせいで、いつも悪臭を放っている。
(臭いのは油のせいかしら?あまり洗わなかったからでは?)

☆ヨーロッパの女性は、短い年月で白髪となる。
日本の女性は、60歳になっても、油を塗っているために白髪にはならない。
(白髪予防の油があるんだ!欲しいです)

☆ヨーロッパの女性は、稀にしか自分の髪に他人の髪を添えたりしない。
日本の女性は、シナから商品として渡来するカツラをたくさん購入する。
(戦国女性がカツラ?部分用カツラかな?)

☆ヨーロッパの女性は、自宅で髪や頭を洗う。
日本の女性は、公衆浴場で洗う。そこには特別な髪の洗い場がある。
(日本の銭湯には、今でも髪洗い場がありますね)

☆われらにおいては、人々はまったく人目につかぬように、家で身体を洗う。
日本では男も女も公衆浴場で、もしくは夜分、自宅の戸口で入浴する。
(戸口で入浴って、行水のことでは?日本人を露出狂みたいに言うな!)

トイレについて

☆われらの便所は、家屋の後方の、人目につかないところになければならない。
彼らのは、家屋の前方にあり、みなに開放されている。
(開放とは、誰でも使っていいということ?それともドアが無かったってこと?)

☆われらは、用便の際に坐り、彼らはしゃがむ。
(はいはい、洋式と和式の違いねっ)

肝心の髪を乾かす方法は、書かれていませんでした。
「武士の生活(生活・文化)」と「江戸八百八町」という本も調べてみましたが
髪の乾かし方や入浴習慣については、わかりませんでした。
お風呂には、どれくらいの頻度で入っていたのでしょうかね!
自分ひとりが臭いなら、気にもするでしょうが
みんな臭かったら「気にしな~い」だったのでは?
おそらく、現代人とは臭気レベルが違うのですよ(笑)。



15:00  |  歴史  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2007.03/14(Wed)

上杉謙信の死因

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渡辺慶一編 新人物往来社発行


この本の中に【逝去と死因】という項目があります。ちょっと笑えるので紹介しますね。
謙信の死因について新井白石が考察しています。
*白石って、江戸時代中期の学者ですやん(笑)。

謙信が死亡したのは姉崎和泉守の怨霊に殺されたとも、織田信長の謀計によって便所に入ったところを槍で突き殺されたとも世に伝えるが、いずれも誤りである。夏目定房のいうように、病死したのであり、自ら辞世を残しているではないか・・・というものです。

ということは、トイレで突き刺されたという例の話が、当時の定説だったのかしら?(爆)

死因についての記載がある書とその内容を簡略に列挙すると

「平等寺薬師堂題書」・・・・頓死
「上杉家古文書」・・・・・・・・不慮の虫気
「読本朝通鑑」・・・・・・・・・・厠で倒れ俄病で発病
「上杉米沢家譜」「上杉年譜」 俄に中風で卒倒
「北越軍記」・・・・・・・・・・厠で腹痛、卒中風
以上、急病説。
中風は脳卒中のことだと思うのですが、虫気って何だろう?寄生虫かな?
他には食道癌説もあるそうです。

「読本朝通鑑」「北越軍記」には、謙信がトイレで倒れたと記されているのに
上杉家の文書は、そのことに触れていない(笑)。
考えられることは2つ。
①トイレで倒れたことを上杉家が隠した。
②謙信の倒れた場所はトイレではない。

そもそも、信長による〇〇突き刺し説が流布したのは
謙信が、信長との対決姿勢を強めた時に、トイレで亡くなったから?
この説が本当だとしたら、信長さんは随分と汚い手を使ったということになるし
単なる風評なら、首謀者とされる信長さんは、とんだ迷惑ですよね(笑)。

15:30  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.03/12(Mon)

小山田信有

大河ドラマ感想記。

信虎が呑気に、長女の嫁ぎ先である今川家に遊びにいくため、甲斐を出発しましたね。
こないだは、同じく娘婿・諏訪頼重の所にも顔を出してました。
どうも信虎という人は、娘婿の家を訪ねることが、お好きなようです。
お婿さんからすると、うっとうしかったのではないでしょうか?(笑)

今回は、クーデター計画をめぐって、家臣の心の葛藤が描かれていました。
特に甘利虎泰、飯富虎昌の心境は複雑だったでしょう。
名前に信虎からもらった虎の字がついてますもの。
しかし、板垣を含め甘利も飯富も、代々武田家に仕えてきた譜代家臣ですから
武田家の将来を案じて、クーデターへの参加を決めたのでしょう。
信虎の家臣というよりも武田の家臣であるという意識のほうが強かったのかもしれませんね。

話は変わりますが、田辺誠一さんが演じている小山田信有、カッコイイと思いませんか?
お年を召した家臣の中にあって、ひとり若い!
「武田信玄大事典」で、小山田家を調べると小山田信有で3人の名前が載っています。
どの信有がドラマの信有だぁー?
年代からすると、信虎追放と同じ年に小山田家の家督を継いだ信有かな?
父親も息子も信有という名前だったんだ・・・ややこしい!
母親は信虎の娘だったらしいので、晴信公の甥っ子です。

小山田家が武田に従属した経緯からすると、田辺さんの信有が
ちょっと斜に構えているのもわかる気がします。
この時期は、若干武田に対するわだかまりがあったのでしょう。
しかし、信玄公の代になると信任も厚くなり、大きな役割を果たしたようです。

ところで、勘助さんの身なりが凄いことになってましたね。
着物の襟部分が、腐りかけてましたよ(笑)。
前からお世辞にも、こざっぱりしているとは言えませんでしたが・・・
荒れ寺(かなり汚い!)に住まわり、食べ物にも困っているようでした。
いくら自暴自棄になっているとはいえ、少しは片付けるということをすればいいのに。
でも、武田に仕官して出世していくのですから、汚い勘助は、もうじき見納めになりますね。
それも寂しいかな?今回が、汚さマックス状態でしょうか!



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