HP「ジャック・ニコルソンの館」を立ち上げました。よかったら覗いてみてくださいネ♪
信玄公御閑所
2007-03-29 Thu 17:11
御閑所とはトイレのことです(笑)。
【甲陽軍鑑】に信玄公のトイレについての記述があります。

信玄公はトイレを京間の6畳敷に造って畳を敷いていたそうです。
その中で、書類に目を通し決裁していました。
飯富・原・跡部の3人の侍大将を交替で見張り役とし
太刀をもたせ、ふすまの障子の影にひかえさせていました。

信玄公がトイレのことを山と仰せられたので、甲斐の人々はみな山と呼ぶようになったとか・・
どうやら、山とは信玄公独自の言い方だったようです。
なぜ山なのか?家臣たちが憶測している箇所が笑える(´▽`*)

曽禰与市助は (山)にのぼれば(腹が)くだるから・・・
日向藤九朗は 荷負うて(匂うて)くだるはしんくそうなり・・・
長坂源五郎は 山には草木(臭き)が絶えぬから・・・

その他の人々も口々に言葉遊びをしています。
筆者(高坂弾正)いわく、こんな冗談も臨済・曹洞宗の禅僧に近づいたため
禅僧の言い方に少しかぶれていっていたものである・・・ですって(笑)
信玄公が禅問答にハマっていたので、家臣も影響を受けたのでしょう。

甲陽軍鑑の成立時期は、はっきりしていませんが、1620年頃にはあったという説もあります。
昔の人の冗談に笑ってしまった私です。




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高枕な犬
2007-03-28 Wed 16:15
腰が悪いときは、なるべくなら安静にしていたいもの。
掃除もちゃちゃっと済ませ、犬の散歩も30メートルぐらいで引き上げました。
ピーさんは事情がわかっているのか、早々に大量のウ〇チを出してくださり助かりました。

必要最小限のことだけやって、あとはソファーで横になって本を読みふけっております。
腰原哲郎訳の「甲陽軍鑑」をちょうど半分ぐらい読みました。
読み物としては大変面白いのですが、史料的価値は低いような気がします。
戦国武将の価値観をさぐるという点では、とても参考になる書だと思います。

早く腰を直すために、しばらくは怠惰な生活を送ることを余儀なくされた私。
決して、根が怠け者ということではありません(笑)。
調子がよい時は、落ち着きなく動きまわっていないと落ち着かないという性分です!
家の内外を問わず、走り回っています(リリーのことを非難できません)。

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こんな私とは正反対の性格なのがピー。怠惰こそ至福と考えているようです。
人がちょっと、ソファーから離れた隙に、私の枕を使っていやがる( `_ゝ´)ムッ
まったく、油断ならない犬です。
思い出した!人の目を盗んで勝手に2階に上がって行って、ベッドで寝てたこともあった。
犬のブンザイで、快適ライフを追い求めるんじゃないo(`ω´*)o
たわけ犬、どきなさい!
アンタの枕は、異常な臭気を放つクッションの方でしょ

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小田原城
2007-03-24 Sat 18:32
昨年に続き、今年も小田原城に行ってきました。
小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた山城が全身。
その後、戦国大名小田原北条氏の居城となっています。

上杉謙信は、この城を1561年に大軍で攻めています。
信玄公も1569年に包囲しています。
本気で攻めたわけではなく、デモストレーション的要素が大きかったようです。

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難攻不落の堅城とうたわれた小田原城にも最期のときがやってきます。
1590年、天下統一を目前にした豊富秀吉による小田原征伐。
小田原城陥落をもって、秀吉による天下統一といわれていますね。
今回は、秀吉に敗れ自刃した北条氏政・氏照の墓所にも行きました。
自刃した場所に墓石をたてたという話です。

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例によって、お犬様たちも同行(笑)。
お犬様と夫を待たせて、私だけ天守閣に登りました。
最上階からは、眼下に相模湾を見渡すことができます。
内部には、甲冑・刃剣・絵図・古文書など
小田原の歴史を伝える資料が展示されていました。

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まだまだ続く戦国ライフで〜す(笑)。


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尾張統一
2007-03-21 Wed 15:25
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太田牛一原著 榊山潤訳

「信長公記」を読み始めました。
私の脳は、読んだ端から忘れてしまう細胞で構成されていますので(笑)
整理をしておこうと思います。読み誤りがあっても目をつぶって下さいね。
首巻には、信長による尾張統一までが主に記されています。

【織田信秀の時代の尾張情勢】
守護は斯波義統。ただし、斯波氏は名ばかりの守護職であり
尾張の実権は、守護代である岩倉の織田伊勢守(信安)と清洲の織田大和守(達勝)が
尾張を2分する形で握っていた。
(この段階では、斯波氏が将軍より任命された正式な尾張の国王。)

*信長公記では、人名が大和守とか伊勢守などの役名で表記されています。
ややこしいので大和守を清洲・織田家、伊勢守を岩倉・織田家と記します。

信秀は優秀であったため、清洲・織田家のなかにあって勢力を強める。
那古野(名古屋)城は、信秀によって信長に与えられたもの。

信秀は美濃に乱入し道三と敵対する。
(おそらく和睦の条件として濃姫の婚姻が決まったのでしょう。)

信秀の死後、信長は、清洲織田家と対立。
そんな折、清洲・織田家は、守護の斯波義統を攻撃し、自害に追い込む。
息子斯波義銀は信長を頼って、那古野城に逃れる。
(この一件により、信長は主君である清洲・織田家を攻撃する大義名分を得たのかな)

7日後には、柴田勝家が清洲城に攻め入る。
その後、信長の伯父・織田信光が、謀略により清洲・織田方の守護代である信友を殺害。
(これで、清洲城が信長のものとなります。)

もう一人の守護代である岩倉・織田家は、織田信行や斉藤義竜と同調し信長と対立。

信長は、守護・斯波義銀を国外に追放し、岩倉・織田家も打ち破る。
(これで尾張統一という解釈でいいのかしら?)

以上。今まで信長の尾張統一の過程は、よく知らなかったので勉強になりました。
戦国時代、守護大名から戦国大名に変革を遂げることができた家は少ない。
多くの守護は、公家みたいになっていたのでしょうね。
斯波家もその類だったのかな?
武田家や今川家は珍しいケースだったのかもしれません。

「信長公記」には信長の人となりも書いてあるので楽しめます。
信行を擁立しようとする林らとの戦では、自らも敵陣に切り込んで大将級の首をとっている。
桶狭間でも馬から降りて必死で戦っている様子が記述されてます。
鬼の形相で戦う信長の様子が目に浮かんできて面白い。

ところで、信行は2度も謀反を起こしたのですね。
1度目の後、お袋(土田政久女)様と信行が一緒に、わびを言いに来たとありますから
信長の母親は、信行の謀反に加担したのでしょうかね?
言われているように、信行を可愛がっていたのかもしれませんね。

おっと、長々と書いてしまった(汗)。続きは後日に。




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犬のトイレ事情
2007-03-20 Tue 13:16
マハリーク・マハーリカ・ヤンヤラヤンヤンヤン〜。

ソファーの上からこんにちは、リリーよ。若葉が街に萌え出す春ね(★^ω^)

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え〜と、今日はあたちのトイレについてお話します。

あたちは、朝起きたら直ぐ、トイレに行ってウ〇チとチッコを出します。

あたちだって、ウ〇チをするのよ・・・意外でしょ!

まぁ、あたちのは、乙女チックな可愛いウ〇チだけどね。とてもいい香りがするのよ 



一方、あたちの横で寝ているピーねぇちゃんのウ〇チは大きくて臭い 。

男前やな〜って感じ。出口が大きいと、ウ〇チも大きくなるよね・・・ケケッ

あたちは、トイレシーツにするんだけど、ねぇちゃんは道の真ん中で野糞!

やっている最中に車が来ることだってあるのよ。

その時は、終わるまで待ってもらってる。ドライバーさん、ごめんなさい(*_ _)

出物・腫れ物、ところ構わずとは言うけどさぁ・・・・

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お家の中で、品良く用を足すあたちでも、気が緩んで粗相をすることがあるの 

そういう時は、除菌グッズの出番。え〜っ、あたちのウ〇チとチッコには、菌がいるってこと?

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歴史の流れ
2007-03-19 Mon 15:31
「小田原北条記」は史料ではなく、あくまでも物語です。
史実と逸話から構成されている一種の合戦記録かな。主役は北条家。

上巻しか読んでいないのですが、目から鱗!
今まで断片的にしか知らなかった諸々の事項が、一つに繋がりそうです。
例えるなら、ジグソーパズルを完成させていく面白さといったところでしょうか。
一冊の本で、これほど全体像が見えてくるとは思いませんでした。
武田・上杉の本に北条家のものを加えると、当時の状況がわかってくるのですね。

上杉謙信の本を読むと、関東管領・上杉憲政の名が出てきます。
謙信は、上杉家の臣下である長尾家の人間で、上杉は謙信にとって主君。
上杉家の養子に入り、家督と関東管領職を譲り受けました。
ですから、鎌倉時から続く上杉家は、憲政の代で断絶したとも言えるわけです。
その後、謙信は関東管領として、北条・武田と対決する。
と、ここまでは、わりと一般的な話だと思うのですよね。

わからなかったのは、北条氏康・氏政時代の関東の情勢と上杉家のことです。
上杉家には、山内上杉家と扇谷上杉家と2系統あり、関東を支配していました。
上杉家は、足利家である京都公方(将軍)の臣下で、鎌倉公方の執事なわけです。
これに古河公方なるものも入り混じってくるので、頭の中がごちゃごちゃになり
今までは整理ができませんでした。

「小田原北条記」の上巻は、北条が関東の覇者となるまでが描かれており
新参の北条家とこれを迎え撃つ上杉家の確執の歴史が細かく記載されています。
これを読めば、当時の関東の勢力図が読み取れます。
そして、謙信がなぜ、あれほど関東管領職というものに縛られたのか
大義名分にこだわったか、わかるような気がします。

あと、信玄公が武田の置かれている立場を熟慮し
今川との二国同盟を、北条を含めた三国同盟にした手腕。
まぁ、敵の敵は味方ということです(笑)。
逆に、北条よりも上杉をとった勝頼の状況判断の甘さ。
こうなってくると、今川のことも調べねば(笑)。武田と信長包囲網をひく本願寺も。

下巻を読んだら「信長公記」でしょ♪
そのうち、頼んである超マニアックな武田本も届くはず・・・ウシシ



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大河ドラマ感想記
2007-03-18 Sun 20:05
「これより先は兄上の命に従いまする」よう言った
さすがは、武田の名副大将!左馬助・信繁さま!!思わず涙ぐみましたよー。
今までの放送のなかで、一番感激しました。

武田信繁は1525年生まれ。信虎の四男。兄の信玄公とは4つ違いの弟君。主家への奉公の心得などを説いた「異見九十九箇条」を嫡子信豊に与えています。これは、武田の家訓のもとになったものと言われています。信玄の信頼が厚く、信玄に代わってしばしば全軍の総大将を務め、そのため「副将」と俗称されるほどでしたが、川中島合戦において37歳で戦死。

今回は北条氏康も久々に登場したし、義元と雪斎が小憎らしかったし、小山田も台詞が多かったし満足ですぅ。ちょっと哀れだったのが信虎さん。信玄公・信繁の他、虎の字を授けた家臣たちに見送られてました。
でもね、駿河に追放された後、京都に居を構えたり、奈良に遊びに行ったりと、優雅な生活を送ったのですよ。信玄公よりも長生きしたし。考えようによっては、戦乱に明け暮れるよりも、幸せだったかもしれませんね。

さっ、いい気分のまま、「小田原北条記」の続きを読もうっと!これ、めちゃくちゃ面白いですわ。頭の中は戦国絵巻・・・ヤッホー

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小田原北条記
2007-03-17 Sat 19:01
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 江西逸志子原著 岸正尚訳 ニュートンプレス発行 

今日は犬たちと一緒に、あちこち浮浪してました(笑)。
お出かけついでに購入した「小田原北条記上・下」
文庫本で、1冊1000円という値段についつい・・・(汗)
小田原北条氏の5代をつづった戦記物語系の作品で、江戸時代に書かれたものです。

北条家、中でも北条氏康は名将だと言われているわりには、知名度が低い。
ドラマや有名作家の小説に、主役として登場していないからでしょうね。
実力からすると、信玄公や謙信と肩を並べる武将だと思うのですが!

「信長公記」も同じニュートンプレス社の原本現代訳シリーズで
発行されているので注文しようかと思っています。
上・下あわせて、2000円というのは嬉しいですよ!

話は大きく変わりますが、昨日の「朝日新聞」に面白い記事がありました。
生活欄でオナラについて詳しく解説してるのですよ(笑)。
この記事だけでも笑えたのですが、加えて昔話まで紹介してくれています。
その内容は・・・

【へっこきあねさ】という昔話を見つけた。けた外れのおならをする女性の話で
嫁ぎ先で我慢できずにおならして、人を吹き飛ばし、けが人を出してしまう。
それで里に帰されそうになるけど、おならで柿の実を落としたり
舟を吸い寄せたりして大活躍。

わざわざ、絵本の表紙まで載せていました。

へっこきあねさ へっこきあねさ
長谷川 摂子、荒井 良二 他 (2004/09)
岩波書店

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汲取り物語
2007-03-16 Fri 14:05
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川崎房五郎著 光風社出版発行

【江戸八百八町】
豊富な史料と著者の確かな観察眼で、江戸の街に生きた人々の生活を記した本です。
とても面白い内容です。
江戸市民の糞尿事情について書かれている箇所のほんの一部だけ紹介しますね。


元禄時代、江戸は120万人の人口を抱える世界有数の大都市でした。
その食膳に供する野菜の量もまた凄いもの。
近郊農村の農民は、米作よりも野菜づくりに全力をむけたそうです。
このことが、江戸市民の糞尿争奪戦に大きくかかわってきます。

汲取る場所は、町人の住む長屋の共同便所、大名屋敷便所や旗本屋敷便所など。
農民や汲取り業者は、大家や役人と「糞尿汲取り契約」をかわします。
江戸市民の糞尿は、重要な肥料で、農民にとっては、その確保が死活問題。
そこにつけこんで、汲取りを許可する側は、糞尿の値段をつりあげていきます。
糞尿の値段の高騰により、おのずと野菜の値段もあがったそうです。

江戸市民の糞尿は、食べ物にぜいたくをしているだけに優秀で、一種のブランド品。
なかでも、今の青山、赤坂、麹町あたりの家の糞尿は、畑にまいた場合
渋谷あたりの家のものと比べ、効果があったので、値段が高かったそうです。

糞尿争奪戦は、しだいにエスカレートしていき、葛西方面の頭のいい人が
船で大量に運搬して商売することを考え出します。
これを埼玉、千葉の農民らに高値で売りました。
それほど、江戸市民の糞尿は肥料として最上のものとみなされ
どうしても江戸市民の糞尿を、人より余分にほしいと考えたそうです。
江戸〜川越間も運搬船があり、江戸の糞尿を川越に運び
帰りに川越の物資を積んで江戸まで運んでいました。
川越の人々は「江戸のやつらは、川越の恩を尻でかえす」と言っていたそうです(笑)。

(お詫び)
汚い言葉を乱用いたしましたことをお詫びします(笑)。

今日は、アップしたい画像があるのですが、このページに掲載するのは
いかがなものかと思いまして続きの画面に載せています。
よろしかったらご覧下さいませ。



汲取り物語…の続きを読む
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フロイスの日本覚書・・その2
2007-03-15 Thu 15:00
お友達のサイトで話題に出ていた戦国期の生活様式について、私なりに調べました。
「フロイスの日本覚書」から
戦国女性の髪ならびに入浴にまつわる記述の一部を抜粋します。

☆ヨーロッパの女性は、芳香のある香料で頭髪をにおわせる。
日本の女性は頭髪に塗った油のせいで、いつも悪臭を放っている。
(臭いのは油のせいかしら?あまり洗わなかったからでは?)

☆ヨーロッパの女性は、短い年月で白髪となる。
日本の女性は、60歳になっても、油を塗っているために白髪にはならない。
(白髪予防の油があるんだ!欲しいです)

☆ヨーロッパの女性は、稀にしか自分の髪に他人の髪を添えたりしない。
日本の女性は、シナから商品として渡来するカツラをたくさん購入する。
(戦国女性がカツラ?部分用カツラかな?)

☆ヨーロッパの女性は、自宅で髪や頭を洗う。
日本の女性は、公衆浴場で洗う。そこには特別な髪の洗い場がある。
(日本の銭湯には、今でも髪洗い場がありますね)

☆われらにおいては、人々はまったく人目につかぬように、家で身体を洗う。
日本では男も女も公衆浴場で、もしくは夜分、自宅の戸口で入浴する。
(戸口で入浴って、行水のことでは?日本人を露出狂みたいに言うな!)

トイレについて

☆われらの便所は、家屋の後方の、人目につかないところになければならない。
彼らのは、家屋の前方にあり、みなに開放されている。
(開放とは、誰でも使っていいということ?それともドアが無かったってこと?)

☆われらは、用便の際に坐り、彼らはしゃがむ。
(はいはい、洋式と和式の違いねっ)

肝心の髪を乾かす方法は、書かれていませんでした。
「武士の生活(生活・文化)」と「江戸八百八町」という本も調べてみましたが
髪の乾かし方や入浴習慣については、わかりませんでした。
お風呂には、どれくらいの頻度で入っていたのでしょうかね!
自分ひとりが臭いなら、気にもするでしょうが
みんな臭かったら「気にしな〜い」だったのでは?
おそらく、現代人とは臭気レベルが違うのですよ(笑)。




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