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2007.03/16(Fri)

汲取り物語

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川崎房五郎著 光風社出版発行

【江戸八百八町】
豊富な史料と著者の確かな観察眼で、江戸の街に生きた人々の生活を記した本です。
とても面白い内容です。
江戸市民の糞尿事情について書かれている箇所のほんの一部だけ紹介しますね。


元禄時代、江戸は120万人の人口を抱える世界有数の大都市でした。
その食膳に供する野菜の量もまた凄いもの。
近郊農村の農民は、米作よりも野菜づくりに全力をむけたそうです。
このことが、江戸市民の糞尿争奪戦に大きくかかわってきます。

汲取る場所は、町人の住む長屋の共同便所、大名屋敷便所や旗本屋敷便所など。
農民や汲取り業者は、大家や役人と「糞尿汲取り契約」をかわします。
江戸市民の糞尿は、重要な肥料で、農民にとっては、その確保が死活問題。
そこにつけこんで、汲取りを許可する側は、糞尿の値段をつりあげていきます。
糞尿の値段の高騰により、おのずと野菜の値段もあがったそうです。

江戸市民の糞尿は、食べ物にぜいたくをしているだけに優秀で、一種のブランド品。
なかでも、今の青山、赤坂、麹町あたりの家の糞尿は、畑にまいた場合
渋谷あたりの家のものと比べ、効果があったので、値段が高かったそうです。

糞尿争奪戦は、しだいにエスカレートしていき、葛西方面の頭のいい人が
船で大量に運搬して商売することを考え出します。
これを埼玉、千葉の農民らに高値で売りました。
それほど、江戸市民の糞尿は肥料として最上のものとみなされ
どうしても江戸市民の糞尿を、人より余分にほしいと考えたそうです。
江戸~川越間も運搬船があり、江戸の糞尿を川越に運び
帰りに川越の物資を積んで江戸まで運んでいました。
川越の人々は「江戸のやつらは、川越の恩を尻でかえす」と言っていたそうです(笑)。

(お詫び)
汚い言葉を乱用いたしましたことをお詫びします(笑)。

今日は、アップしたい画像があるのですが、このページに掲載するのは
いかがなものかと思いまして続きの画面に載せています。
よろしかったらご覧下さいませ。


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