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2007.04/28(Sat)

川中島の戦い

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なんじゃこりゃ∑( ̄□ ̄;)ナント!!
この本!超マニアック!!
奇説をとなえて発行部数を稼ごうという類の啓蒙書ではありません。
精力的に武田研究を行っている先生の著作です。

武田に関する論文というわけではなく、一般向けに発行されているのに、内容が濃い。
しかも文庫本で発行されているとは!
出版を決定した発行人と執筆した平山先生に感謝。
上・下で1270円。当然ながら私は歓喜しております。

参考文献の数が凄い。一次史料だけでも50以上。総数では300ぐらいありそう。
顕微鏡で見なければ判読できないような小さな文字で紹介されてます(笑)。

マニアックな武田本は値段が高い!
だからこの本に出会って、びっくりしたわけです。
以前に買った【戦国期武田氏領の形成】が7350円。【武田信玄大辞典】は10290円。
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←表紙がこれですからねぇ(笑)。









話をもどします。
【川中島の戦い】は合戦の契機や意図を究明しようという趣旨で書かれています。
合戦の背景をさぐるには明徳三年(1391年)の南北朝統一まで遡って
その後の室町公方(室町幕府将軍)と鎌倉公方の対立から見ていかなければいけないそうな。
それを理解したうえで戦国期の東国世界(上杉・武田・今川・北条など)を見るということです。
関東管領上杉家と足利家の内紛について、相当なページ数を割いているのですが
これが非常に難解でして・・・少しはわかっているつもりだったのですけど

でもね、武田に関する記述は、なんとかでございます(笑)
というのは、私この1ヶ月間、密かに?猛勉強しておりました。
信玄公が攻略した信濃と西上野(群馬県)の城と城主と年代、甲斐の国人の相関関係など。
勉強といっても受験生ではないし、資格試験を受けるわけでもないので
気楽なものですけど・・ね。自分で地図を書いたりしています(笑)。

しかし、そんなもん覚えても一文の得にもなりゃしない!
はい♪それがマニアというものです。



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14:41  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04/22(Sun)

は~やく来い来い歴史本

注文しておいた本が今日の夕方に届きます~(★^ω^)

【武田信玄】 平山 優 著

【戦史ドキュメント 川中島の戦い〈上〉関東擾乱―戦雲の予兆】 平山 優 著

【戦史ドキュメント 川中島の戦い〈下〉龍虎激突―死闘の果て】 平山 優 著

【松永久秀の真実―戦国ドキュメント】 藤岡 周三 著

【戦国水軍と村上一族 】

【今川義元―自分の力量を以て国の法度を申付く】 小和田 哲男 著

武田の啓蒙書が3冊。山梨県史編さん室主査を務めている平山優氏の著作です。
名前はよく目にしていましたが、読むのは初めて。
川中島の戦いは「甲陽軍鑑」にしか詳細が記されておらず、謎だらけの合戦なのです。
後世の軍記物や大衆的な戯作や芝居などによって
興味本位に語られている川中島の戦いをどのように検証しているのか興味深い!

松永久秀の本!やっとこさ?出版されました。
著者の藤岡周三氏は元毎日新聞の記者だそうです。
研究者ではないので、どこまで掘り下げた内容になっているのかは疑問ですが
松永久秀の真実なんて題がついてる本は読まざるをえない(笑)。

村上水軍の村上武吉について、先週の「その時歴史が動いた」が取り上げていました。
毛利と同盟関係にあった村上水軍。信長・秀吉・家康を敵にまわした元海賊衆。
番組を見て鳥肌が立つほど興奮しました。村上水軍について知りたいと思い購入。

今川義元~この人は外せません!はたしてマロ武将だったのか?!
それに武田とは関わりが深いですからね。
大御所・小和田哲男氏の著作ですから、いい加減な本ではありますまい(笑)。

どれから読もうかな☆


12:12  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04/15(Sun)

怖い姫

大河ドラマ感想

いけませんねぇ。勘助・教来石・板垣が嘘つきですねぇ(笑)。嘘つきは泥棒の始まりですよーだ!諏訪攻略が晴信公による信濃侵略の始まりですから、泥棒の始まりと言えなくもない(笑)。しかし、「嘘も方便」ということわざもある!!調略をもって敵を降伏させれば、敵・味方とも損害が少なくてすみます。戦わずして勝つことも必要ですね♪

騙された諏訪頼重は、この時27才。その夫人・ねね16才。ドラマの二人は、とてもそんなに若いとは思えませんね。晩年を描くことを想定して、ある程度の年齢の役者さんを起用するのならわかるのですが、残念ながら、この二人はもうじき亡くなります。

頼重の娘・由布姫は、父親の年齢から換算すると、10代前半でしょう。それにしても、頼重は若くしてパパになったんだ(@_@;)

由布姫って怖そう~。ちょっと、表情がきつすぎるように感じますが・・・・今回は勘助も怖い顔をしてたしな。
まっ、そのうち柔和な女性になってくれるのでしょう。



20:56  |  大河ドラマ風林火山  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04/12(Thu)

信玄公命日

今日は武田信玄の命日。
元亀四年(1573年)4月12日に信濃駒場で死去したとされています。
しかし死没地については、三河街道沿いの浪合及び根羽とする説もあります。
死因も肺結核説・胃がん説・日本住血吸虫病説があり、特定できていないそうです。

遺言は「甲陽軍鑑」に詳しく記されています。
家督は勝頼の嫡男・信勝が16才になったら正式に継がせる(勝頼は後見人ということ)。
葬儀は無用にして遺骸は諏訪湖に沈め、三ヵ年間、喪を秘すこと。
勝頼は謙信を頼みとすること。
死去後の甲府への帰陣は、弟の信綱を自分に仕立てて偽装すること。
勝頼は構えて合戦に走らぬこと。・・・・など。

これら伝承の遺言には、事実ではないことも含まれているようですが
大方においては裏づけが得られているそうです。

正式の墓所は生前に定めた恵林寺(20年ぐらい前に行きました)。
その他、高野山の武田家墓所、京都の妙心寺に分骨。戒名は『機山玄公大居士』

もし、信玄公があと10年、そして嫡男・義信が生きていれば・・・と思ってしまいます。
信玄公の功績は数々あります。徳川家康は「いくさの作法は信玄から教わった」と言い
武田家滅亡後、その遺臣を多く採用し、内政面でも武田式を真似ています。

偉大なる信玄公に合掌!



12:48  |  歴史  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04/11(Wed)

関ヶ原合戦始末記

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酒井忠勝 原撰  坂本徳一 訳

本書は徳川秀忠・家光・家綱の三代に仕えた酒井忠勝の覚書を原本に
明暦二年(1656年)、林羅山という人が書いたものです。
幕藩体制を固めるための一つの手段として江戸開府までの原点に戻り
関ヶ原で戦った直参、諸大名の功績を正しく後世に伝えるという政治的な意図があったそうです。

ただ、どうなんだろう?合戦そのものは史実を伝えているのかもしれませんが
徳川のサイドから書かれた戦記ですから、三成を悪玉に仕立ているかな・・・
客観的に関ヶ原合戦の発端から結末までを描いているように装っているのですけどね(笑)。

家康側の武将の活躍だけではなく、負けた西側武将の功も紹介しています。
西側の大谷吉継の最期や島津の敵中突破などです。
しかし、うがった見方をすれば、この2人を絶賛することにより
三成の敗走した様の惨めさを際立たせようとしたのでは?
「甲陽軍鑑」のような哲学的で深みを感じる書と比べると、あんちょこな部分が・・・

徳川が天下をとったのですから、三成が悪玉にされてもしょうがないかな。
勝てば官軍、負ければ賊軍ですものね。
でも、関ヶ原合戦の大義名分は三成の方にあったと思うんですが。



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