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2009.11/30(Mon)

坂の上の雲「少年の国」

sakanouenokumo_1.jpg
彼らは明治という時代人の体質で
前をのみ見つめながらあるく
のぼってゆく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう
(題字・文 司馬遼太郎)

いよいよ始まった『坂の上の雲』。オープニングから、感極まって涙ぐんでしまった。お城の石垣の傍で遊ぶ明治の子どもたち。貧しげな身なりはしているけれど、はじけた笑顔でこちらを覗いている。「ぼくらが作った日本は今も輝いている?」とでも言っているようだ。

原作の冒頭「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」というナレーションに久石 譲さんの音楽が加わる。続いて、明治を映し出す古ぼけた写真と映像の数々。ここからは司馬さんの「あとがき」が引用されている。

明治維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。た(だ)れもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として その新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

ドラマであるから、当然、脚本家はいるであろうが、司馬さんの、この名文を超える文など書けようはずもない。司馬さんへの敬意を込めて、原文をそのまま使ったのが良かったと思う。このナレーションンにまず感激した。司馬さんの文章は日本人の感性に響く言葉で構成されている。原作の解説文を書いている島田謹二氏の言を借りれば、「日本人が胸のおくに一様に隠し持つ一ばん深い基調音を低音でしのび鳴らしながら、読者の心をえもいえぬ感動へ導いてゆく」のだ。(解説も名文です)久石 譲さんの音楽は司馬さんの世界を音で表現し、視聴者の気分を高める。

司馬さんは明治の明るさは「楽天主義」からきているという。このドラマは滑稽なほどに楽天的な連中が、ヨーロッパ先進国と対決し、どのようにふるまったかという物語である。私の年代は「日露戦争」について、学校では詳しく教えられていない。おそらく、日露戦争における勝利が太平洋戦争への導火線になったと考える人がいるからなのだろう。日本は勝った。それを考え違いした後世の人々の愚行によって、日本人というものを全否定してしまうのは悲しい。ドラマが日本人の気質を考え直すきっかけになればと思う。

photo01.jpg

登場人物たちが皆明るい。とんでもなく貧乏なのに楽しそうだ。秋山家の好古・真之の兄弟愛が心を打つ。父親の伊東四朗さんの、おとぼけぶりが可笑しい。兄弟が下宿する家・・・なにもあそこまでのボロ家に住まなくても(笑)。イヤ、それが明治の軍人魂なのだろう。真之が東京へ出発するとき、お徒士組頭が、はなむけの言葉を送るのが滑稽。近代国家をめざす明治に封建制度がしぶとく残っている。子規を演じている香川さん、あんな中学生はおらんぞなもし。どうみたって30歳は超えてるでしょうが(爆)。

注目の初回。丁寧な作りに製作サイドの意気込みを感じた。司馬さんも、雲の上からOKサインを出してくれているのでは・・・。
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テーマ : NHK - ジャンル : テレビ・ラジオ

タグ : 坂の上の雲

17:13  |  日露戦争  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2009.11/26(Thu)

イングロリアス・バスターズ

inglourious-basterds.jpg

ナチス占領下のフランス。家族を殺された少女・ショーシャナ(メラニー・ロラン)は、劇場の支配人として身分を隠しながら、ナチスを根絶やしにする壮大な復讐計画を進める。時を同じくして、アルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)率いるユダヤ系アメリカ人兵士の特殊部隊が、各地でナチスを次々と始末していた。その残虐な手口から“バスターズ”と呼ばれ、恐れられる彼らは、ドイツ人女優になりすました英国スパイと共に、打倒ナチスの極秘ミッションに参加する。周到な復讐計画を進めるショーシャナと、ナチスを片っ端から始末するバスターズ。それぞれの作戦が、劇場で開催される、ヒトラー総統を招いたナチのプロパガンダ映画のプレミア上映会で交錯する…。『パルプ・フィクション』などで知られるクエンティン・タランティーノ監督作。ブラッド・ピットがならず者軍団を取り仕切る中佐役を演じる。(シネマカフェ)

新作映画の場合、ネタばれしないように注意しなければいけません。しかし、ストーリーをカットしてしまうと、未見の方には何のことやらさっぱりわからない(汗)。そこで、映画紹介サイトさんの解説文を拝借することにしました。書く方も読む方も手っ取り早いですものね。

映画の始まりはマカロニ・ウエスタンのよう。セルジオ・レオーネの作風っぽいなぁ。壮大な音楽とともに映し出される荒野の一軒家、その周りは風と土の匂いが充満しています。ここに馬に乗った無法者が登場し、善良な農夫に銃をつきつけると思いきや、やって来たのはナチ。もちろん、馬なんぞには乗ってはおりません。サイドカーから出てきたのは狡猾そうなナチ野郎です。ナチが出てくるのだけれど、戦争映画でないところがミソなんですね。映画大好きタランティーノ監督ワールドが広がっております。

ナチ退治の映画には大義名分があって、無私の主人公が悪に立ち向かう・・・・という図式が一般的ですが、本作のユダヤ系アメリカ人兵士たちは個人的な恨みをはらすため、嬉々としてナチ狩りを行っています。アメリカ=正義の味方でないところがユニークだと思いました。彼らは戦利品としてナチの頭の皮を剥ぐ。アメリカ先住民と白人の戦いを第二次世界大戦でやってしまうというのは時代錯誤も甚だしく、イカれているとしか言いようがありません。西部劇のパロディなんでしょう♪タランティーノ監督の場合、暴力の描き方そのものが見せ場なのだから、皮剥ぎや殴り殺しといった悪趣味も許されるのかな。

でもって、史実とは全くかけ離れた荒唐無稽な話が延々と続いた末の最終章・・・ズッコけました。可笑しかったぁ。だって、木端微塵だもん。良い人が生き残り悪い人は死ぬとは限らないのですね。最終的に生き残ったのは小悪党。映画のオチとしてグッドです。ラストの痛そうなシーンを正視することができず、目をつぶっていたら、映画が終わってしまいました
アホな私・・・。
16:33  |  映画  |  TB(1)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2009.11/14(Sat)

マイケル・ジャクソン THIS IS IT



2009年6月に急逝したマイケル・ジャクソンが、同年夏にロンドンで開催するはずだった幻のコンサート「THIS IS IT」のリハーサルとその舞台裏を収めたドキュメンタリー。100時間以上に及ぶ楽曲とパフォーマンス映像や、舞台裏でのマイケルの素顔を記録。監督は、ロンドン公演そのものの演出も務めていたケニー・オルテガ。(eiga.comより)

line001.gif

この手の映画はスクリーンで見ないと、お話になりません。音響も大事な要素ですから。ということで、遅ればせながらの観賞です。

実は私、マイケル・ジャクソンの初来日ツアー(ジャクソン・ファイブ時代を除く)に行ってるのですよ。横浜スタジアムに二回。一回はアリーナ席、もう一回はスタンドで見ました。後楽園球場のコンサートも行ったような気がするのですが、こちらは記憶が曖昧です。当時は広報関係の仕事に就いていたので、チケットは人に配るほど手に入れることができました。身銭を切ったチケットならば、それなりに思い入れもあったでしょうが、そうでないと印象に残らないものですねぇ。コンサートの内容はほとんど覚えておりません。かろうじて、ムーンウォークに会場が沸いた様子は記憶に残っています。マイケルに会ったスポンサー企業の担当者が「マイケルと握手したんだけど、すごく柔らかな手だったよ」と言ってました。

あの頃のマイケル・ジャクソンは存在そのものが社会現象でした。類まれな才能は世界中から賞賛を受け、アルバム『スリラー』は驚異的なヒットを飛ばしました。そんなマイケルの変遷は皆の知るところです。偉大なアーティストであるにもかかわらず、ゴシップのネタにされ、彼の鼻をネタにしたコントを演じる芸人もいました。日本においてはマイケルの評価は失墜したと言えましょう。そんな時に飛び込んだ訃報。それに続くドキュメンタリー映画の公開。再びマイケルは私たちの前にアーティストとして蘇ってくれました。不謹慎を承知で申すならば、この映画によってマイケルは『死に花』を咲かせたのではないでしょうか。彼の生きる場所はステージしかなかったのかもしれません。

さてさて、映画の感想・・・。
マイケルと同世代の私としては映画に陶酔するというよりも、今までの人生を振り返りつつ、画面を眺めていました。マイケルを観に行った時の人間関係が思い出されてくるくる・・・。あの人今頃どうしてるんだろう、あの時、ああしていたら・・・・といった雑念が次から次へと現れてきて、映画に没頭できませんでした。昔のヒット曲を聞くと当時のことが思い起こされるってヤツですよ。で、目の前に映る50歳のマイケルはこの世にいないと思うと、若くして亡くなった知人を思いシンミリしてしまう。人間は儚いものだとタメ息も出る。寿命だと言ってしまえばそれまでなのですが。

そうそう、リタ・ヘイワースの『ギルダ』とボギーの『三つ数えろ』が挿入されてました。これらの映画のシーンにマイケルが登場するような加工がされているのです。おそらくコンサートで使う予定だったのでしょうね。マイケルに復活コンサートをさせてあげたかったなぁ。ファンも楽しみにしていたことでしょう。今は亡きング・オブ・ポップに合掌。

タグ : 映画感想

17:20  |  映画  |  TB(1)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2009.11/09(Mon)

お久しぶりです♪

長らくお休みさせていただきました。ジャック・ニココルソン関連のホームページの模様替えは割と早く作業を終えたのですが、武田信玄関連のホームページの見直しに時間がかかってしまいました。なにぶん、2年間ぐらい放置していたサイト、今見ると何から何まで気に入らない!この際、作り替えようと思い立ち、ホームページ作りに没頭しておりました。終わったのが10月の下旬、疲れました~。誰に頼まれたわけでもないのにね(笑)。ホームページを作るのは苦しく、かつ、楽しい作業です。

実はお詫びしなければいけないことがあります。今まで当サイトでは映画関連のことを中心に綴ってまいりましたが、これからは映画にとらわれることなく、もっとさまざまなことに目を向けていこうと思っています。ズブの素人が評論家気取りでブログにレビューを書くことが気恥ずかしくなったのですよ。ブログはネット上の日記ですから、映画に関しては評論などではなく、あくまでも観想文であるべきなのではなかろうか・・・と。そう思うに至ったのは一冊の本との出会いでした。田辺聖子さんの映画エッセイ『セピア色の映画館』には素朴な映画賛歌が綴られています。その中に「映画評論がむつかしくなるのは、元来、映画の本性が大衆芸術であって、理論武装にはそぐわない体質をもっており・・・・」という箇所がありました。また長部日出雄さんの解説文にもドキリとさせられました。以下、抜粋文です。

作中の世界に完全に没入し、感情移入して、相手とともに泣き、ともに笑って、心ゆくまで興趣を堪能し、陶酔する。好きなスターが出ていれば、それだけでもう十分で、愚作とか駄作というものは存在しない。当時のわれわれが、映画を語るのは、いかにも客観的に批評したり、欠点を指摘したりすることではなかった。ただひたすら、ここがよかった、あそこが面白かった。いやそれよりも・・・・と、たがいに賛辞を競い合う。

その通りだと思います。ときどき「ダメダメ映画」などという表現を使う自称評論家がいますが、好き嫌いはあっても、ダメという形容は使うべきではないと思うのです。となると、過去の自分の映画記事も決して褒められたものではありません(汗)。そこで、今までの映画関連記事は『ジャック・ニコルソンの館』の方へ移動しました。それに伴い、頂いたコメントがブログから消えてしまい、本当に申し訳なく思っています。今後は心機一転、素直な映画感想文を心がけますので、引き続きよろしくお願いします。

*ブログにアップする予定だった記事をリンクしておきます。
炎のランナー トランザム7000 ナイル殺人事件 ネットワーク チャンプ M★A★S★H フューリー イヤー・オブ・ザ・ドラゴン ポルター・ガイスト ペーパー・ムーン 1941 
16:22  |  一般  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
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