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2011.05/19(Thu)

ブラック・スワン

この映画に登場するのは親も子も男も女も皆、バレエの世界の人間たちである。それもニューヨークのバレエ・カンパニーという、至極小さな空間を扱っている。物語はバレエの世界に設定されているが、その芸術性を追求したり、プリマ役をめぐっての凄まじい争いを描く・・・といった趣向には走っていない。バレエのシーンは美しさよりも、葛藤が色濃くにじみでたものとなっており、心理劇として仕立てあげるためのツールにすぎないのだ。繰り返し言う。本作は芸能世界を人生や社会とひとつにして楽しませつつ、観客を陶酔させながら問題を提起するといった類のものではない。作り手の視線はただただ主人公の内面にのみ注がれ、人間の本質を深く掘り下げることに執着している。これは哲学の範ちゅうに属すると言ってよいだろう。

Black_Swan.jpg

先日、池田清彦先生の『正しく生きるとはどういうことか』を読んだ。この先生、構造主義生物学を唱え、多くの著書がある大先生なのだが、何をトチ狂ったか(笑)『ホンマでっか!?TV』に出演し、さんまさんと可笑しなトークを繰り広げていらっしゃる。話を本と映画にもどす。先生によると「人が生きるということは、欲望を解放すること」だそうだ。時として人は、自分の欲望を解放するために手段を選ばなくなる。『ブラック・スワン』のニナ(ナタリー・ポートマン)が正にそれ。「白鳥の湖」の主役を完璧に演じきりたいという欲望が幻覚を生みだし、しだいに彼女を追い詰めていく。映画は幻覚を巧みに挿入し、清純さの中に潜む邪悪を浮き彫りにする。白鳥と黒鳥は彼女の中に共存しており、黒鳥は幻覚として姿を現す。世の中の大半の人は好むと好まざるとにかかわらず、黒鳥的要素を自己制御し、幻覚をフィクションと捉え、当たり障りのない生き方を選ぶ。しかし、ニナ(ナタリー・ポートマン)は違った。完璧への執着心を強め、幻覚と実像の境界線が曖昧になっていく。何が彼女を突き動かしているのだろう?芸術家のサガか、ライバルへの嫉妬か、過干渉の母親への反発か・・・・。

「善く生きるとは自分の欲望を最も完璧に解放すること」だとしたら、ニナ(ナタリー・ポートマン)がラストで見せた表情はそれを物語っている。「善い」の内容は人によって全く違う。ニナは善く生きた。しからば、映画はハッピーエンドで幕を閉じたと言えまいか。
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テーマ : 映画 - ジャンル : 映画

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