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2011.09/29(Thu)

サンクタム

『アバター』で映画界を新たなるステージへと導いたジェームズ・キャメロンが製作総指揮を務めるアドベンチャームービー。洞くつの中で展開される脱出劇が、キャメロン自らが改良したフュージョン・カメラ・システムによって臨場感たっぷりに描かれていく。
ストーリー:南太平洋にぽつりと浮かぶ島にある、熱帯雨林の奥地に広がる洞くつ。その地は、人が足を踏み入れてはいけない聖域(サンクタム)の様相を呈していた。そんな洞くつの謎に挑もうと探検隊がダイビングによる調査を試みるが、巨大なサイクロンが襲い掛かり……。(シネマトゥデイ)

Sanctum.jpg


公開から日にちが経った平日だったからかな。。。観客が10人くらいしかいなかった。人気ないのかしらん?

出演者が知らない人ばかり 主演のリチャード・ロクスバーグという人だけは見たことがあるような気が。。。。家に帰ってから経歴を調べてみると、彼の出演作を3本見ていた。まっ、あまり印象に残っていないんでしょうね 知らない顔ばかりなので、始めの方は人物の相関関係がわからなくて、難儀しましたぞえ 最近、老化が進んだからでしょうか、人の顔が同じに見える いきなり場面が変わると、誰が誰やら判別不能でありまする。

で、30分経ったくらいから顔の違いがわかりました 一番年をとっているのがベテラン探検家フランク(リチャード・ロクスバーグ)、一番若いのが彼の息子ジョシュ(リース・ウェイクフィールド)、フランクよりも少し若いのが大富豪の実業家カール(ヨアン・グリフィズ)、その恋人がヴィクトリア(アリス・パーキンソン。ストーリーは単純なので問題なし。『ポセイドン・アドベンチャー』(72)と似たような展開のサバイバル劇です。舞台が海から洞窟に変わっただけ。あとは3D映像を堪能するのみ!

フュージョン・カメラ・システムを使っているのが売りらしい。なるほど、映像は素晴らしかったですよ 地下洞くつの奥ゆき、水の厚みと流れが、3Dならではの技術によって表現されていました。お後がよろしいようで
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15:05  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2011.09/21(Wed)

切腹

映画館で『一命』の予告を見た。「えっ、これって『切腹』のリメークじゃないの?」チケット売り場で渡された冊子にも、『一命』が紹介されていた。監督は三池崇史とある。この監督の作品を一作たりとも見ておらず、どんな作風なの全く、わかりませぬ。

予告と冊子と公式サイトを見て思った。「なんちゅうことをしてくれる!」私にとって『切腹』(1962)は邦画ベスト1作品。あの名作中の名作をリメークするとは・・・。大胆不敵なこと、この上なし。その勇気だけは褒めてあげませう。でも、解説の類には映画『切腹』の記載がない。原作はともに『異聞浪人記』だが、過去に映画化されていることに触れていないのは不自然。『切腹』の公開から50年も経てば、この映画を知る観客が少ないとよんだのかな?うがった見方をすれば、比較されるのを恐れた?映画の格の違いは火を見るよりも明らかである。

line088.gif


seppuku_1.jpg
監督:小林正樹
原作:滝口康彦
脚本:橋本忍
撮影:宮島義勇
出演:仲代達矢 岩下志麻 石浜朗 三国連太郎 丹波哲郎


 








激しくネタバレしています

監督は『人間の條件』『東京裁判』の小林正樹。脚本は『羅生門』『生きる』『七人の侍』『日本のいちばん長い日』などを手掛けた橋本忍。主演は仲代達矢。原作の短編時代小説を素材にはしているが、橋本忍の脚本は凝った話術を織り込み、仲代達矢の「語りの芸」をもって、本作を重厚な物語にたらしめている。仲代の底冷えするような目つきと声色に、尋常ならざるものを感じる。劇中の人物の表向きの顔と、その下に隠された複雑な内面との間の緊張関係がヒシヒシと伝わってくるのだ。

寛永七年五月十三日晴れ・・・。映画は「井伊家の覚書」の朗読で始まる。井伊家の日常の補足として、元芸州広島・福島家の浪人が訪ねてきたことに触れている。舞台が井伊家というのがミソ。初代は関ヶ原の戦いの際に、豊臣家に縁のある大名を徳川側につける工作をしたことで知られる井伊直政。画面は直政が着用したであろう甲冑と刀を大きく映しだす。モノクロ映像だが、おそらく朱色であろう。井伊家は赤備えで知られた武勇の家。(もっともこれは武田家の飯富虎昌の模倣、パクリ)芸州福島は豊臣秀吉の寵臣福島正則が創設した藩である。正則は関ヶ原の戦いで東軍側につき、戦後芸州を得たが、後に徳川家の策略によって改易(お家の解体)の憂き目に遭う。徳川の重臣である井伊家と、徳川家に滅ぼされた福島家。物語の背景にある両家の因縁を頭に入れておくと、さらに面白みが増すと思う。

さて、井伊家に現れた浪人(仲代達矢)。その後ろ姿は魂の抜け殻のようで、諦観の境地にあるようにも見えた。取次の者に、津雲半四朗(つぐもはんしろう)と名乗った上で「主家の没落後、生活は困窮し、志もないまま惨めに生きてきた。恥をさらすより、潔く切腹して果てようと思うので、井伊家の玄関先を貸してほしい」と願い出る。それを聞いた井伊家家老職の斎藤(三国廉太郎)は忌々しく思いながらも、半四朗と面会し「千々岩求女(ちぢいわもとめ)を知っているか」と問うた。半四朗は表情を変えず「存じませぬ」と答え、切腹の座につく。

徳川家光の時代の話である。大阪の陣の後、江戸には食いはぐれた浪人が少なからずおり、彼らの中には大名屋敷の門をたたき、「切腹」をちらつかせ、金を恵んでもらう輩がいた。井伊家の家老が口にした千々岩求女(ちぢいわもとめ)もその一人だった。井伊家は見せしめに、狂言と知りながら求女に、竹光(たけみつ)での切腹を強要したのだ。武士の情けどころか、武士の面目を踏みにじり、皆でなぶり殺しにした。武士にとって「切腹」は死の演出である。戦国の世は死ぬのが当たり前の時代だった。どう死ぬか、どうせ死ぬならカッコよくというわけで「おのれを潔くする」という意識につながっており、一種の美学といってよいだろう。天下泰平の世になった時、その美意識は武士道として受け継がれた。しかし、井伊家は「お家」の安泰をいいことに、武士道から外れた行為に走ったのである。大阪の陣を経験し、死を体感した半四朗には井伊家の仕打ちが許せなかった。求女(もとめ)は半四朗の娘婿だった。

庭先に坐した半四朗は介錯人を指名し、その到着を待つ間、求女(もとめ)と自分の身の上話を始める。映画は半四朗の回想を核に旋回していく。話の最後、笑顔ながらに語った事実に、井伊家の者たちは青ざめた。求女(もとめ)の死に深く係わった連中の負面目、不始末・・・死をもってあがなえと迫る。半四朗からみれば、実践の経験を得ぬ剣法は畳の上の水練、井伊家の家風も所詮、武士の面目だけを飾るものだと笑いとばす。理不尽な切腹を強いられた婿の無念を晴らすため、仇を切腹に追い込む・・・半四朗の復讐は手の込んだものであった。そして自らは武士の死に様を、井伊家の連中に見せつけて死ぬ。武士にとって刀は魂、半四朗はその刀を振りかざし、壮絶な斬り合いの後、切腹して果てた。

本作には原作を凌ぐ面白さと深さがある。仲代は呆けたような表情から絶望や怒りへと表情を変えて見せる。そこから、物語の進展を読もうとするも、意表をつく展開に予想は覆され続ける。仲代は自分の体温を帯びた言葉で語っていく。その語りは観る者を映画の世界へ引きずりこむ魔力をもつ。半四朗は、身なりはみすぼらしい浪人ではあるけれど、高潔さと精神の肉質のひきしまった存在感を感じさせる人物である。半四朗に武士の情念を見た。

この映画の素晴らしさは多岐にわたっている。複雑に入り組んだストーリー、脚本を埋め尽くす見事な台詞、陰影を映し撮るカメラ、悲壮に漂う尺八の調べ、そして他を圧する仲代達矢の渾身の演技。パーフェクトだ。原作にはない半四朗の立ち合いが三池崇史監督の「一命」にもあるようならば、「切腹」のリメークだと思う。映画「切腹」に触れない理由が知りたい。

テーマ : 邦画 - ジャンル : 映画

タグ : 映画感想

09:50  |  映画  |  TB(0)  |  CM(14)  |  EDIT  |  Top↑

2011.09/10(Sat)

ライフ いのちをつなぐ物語

地球上に存在する生物の数だけ、生き方があり、それぞれ知恵と勇気を振り絞り、命をリレーするために「今」を生きている。原理的に言えば、すべての生物は食うか食われるかを前提とした他の生物との相互作用の下で暮らしている。既存の生物が死ななければ、新しい生命が生きていく資源もスペースもない。生物は子孫を残すことで「いのち」を過去から未来へ繋げていく。38億年前に地球上に生命が出現して以来、生命は延々と続いてきたわけだから、個体は死んでも生命そのものは不死なのかもしれない。「ライフ いのちをつなぐ物語」はネイチャードキュメンタリー形式でこの大原則を我々に教えてくれる。

original.jpg

冒頭、真っ白な世界が映し出される。けがれのない南極の氷の世界に「ウェッデルアザラシ」の親子の姿がある。母に寄り添う子アザラシのつぶらな瞳が印象的だ。春といえども、南極には冷たい風が吹きすさぶ。幼い体には過酷な世界だろうに、子アザラシは穏やかに母アザラシに身をゆだねている。厳しい環境の中での子育ては天敵から我が子を守るため。

monkey.jpg

南極から日本へと転じたカメラが次に捉えたのは、世界北限のサルとして知られている「ニホンザル」。ここにも吹雪に耐える親子の姿がある。ただ、このサルたちは寒さを緩める術を身に付けている。温泉につかるサルたちの表情が良い。静かに目を閉じ瞑想にふけっているのだろうか(笑)。

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コスタリカのジャングルに生息する「イチゴヤドクガエル」の生態も不思議だ。イチゴ色は毒を持つ印。大きさは親指の爪ほどしかないと言う。この小さなカエルは健気にもオタマジャクシを背負って落ち葉の水たまりに運び込む。1匹ずつだから効率の悪いことこの上ない。人間の目から見れば、ユーモラスな光景だが、当のカエルは必死。驚くことに、オタマジャクシにエサとして無精卵まで与えている。子育てするカエルなんて初めて見た!

本作は陸・海・空に暮らす様々な生物を、全大陸をまたいで紹介している。一つ一つを説明したいが長くなりそうなので手短に。。。。

ニシローランドゴリラの父親の奮闘、地下農場を営むハキリアリの勤勉、チームで狩りをするチーターの精悍、生涯に一度の産卵しかしないミズダコの献身、身を守るために石と化す小石ガエルの不思議、アイベックスの勇気と判断力、骨食う鳥のヒゲワシの創意工夫、フサオマキザルに脈々と伝わる文化、アフリカゾウの家族愛、カメレオンは高速舌で獲物を狙う、コモドオオトカゲは獲物の死を不気味に待つ、神業とも言えるバシリスクの水上走り、アカハシネッタイチョウのヒナへの想い、チリクワガタの投げは相手かまわず突進あるのみ(笑)、クラークカイツブリの愛のシンクロダンス、バショウカジキの背びれが海中に舞う、海上ではトビウオが飛ぶ、ハネジネズミの驚異の水面走り、ザトウクジラは闘争の後に命をはぐくむ・・・。

どのシーンも観る者の心に強く響く。決定的な瞬間を得るために莫大な時間が費やされているのは自明。カメラは動物の表情を深く追い、彼らに我々と同じような感情があるかのような錯覚を生む。何がそうさせるのか?目だ。何かを語っているような目、目、目。人間と動物は会話できない。しかし、目と目を合わせてコミュニケーション可能なぐらいには理解し合える。人間は言語によって相手の表情を読むことによって、より的確に意思疎通をしているのだ。ゴリラやチーターやサルといった哺乳類はもちろんのこと、カジキに追われる魚の目からも読み取れるものがある。本作は単なる記録映画ではなく、地球に生息する動物を題材にした壮大な物語と言えよう。命の抱擁を伝える秀作。

タグ : 映画感想

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