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2012.02/27(Mon)

君の名は

菊田一夫のNHK連続ラジオドラマの映画化。東京大空襲の混乱のさなかで出会い、半年後の再会を約束して名前も告げずに別れた男女の悲恋を描いたメロドラマ。約束の日、数寄屋橋の上で真知子を待つ春樹だったが、真知子は叔父に強制された縁談のため、佐渡島に向かう船上にいた。約1年後、う余曲折を経て2人はやっと再会を果たすが、真知子は別の男性との結婚が決まっていた。その後、真知子の夫の前に春樹が現れる。(解説より)

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初見。淡島千景さんが出演していなければ、観なかっただろうなぁ。メロドラマと韓琉ドラマは苦手なんです。もっとも、韓琉ドラマは一作たりとも見たことがなく、評価しようがないのですが 韓国の役者さんはヨン様(フルネームは知らない)と、チェ・ジュウさんと、グンソクさん(名字不明)しか知りません。私、時流に乗りそこなった希少種でござります。

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さて、映画。『君の名は』の知名度は高いと思う。ラジオ・ドラマが始まると銭湯の女風呂から人が消えたという話が有名だ。その後、映画化されると、ヒロインが巻いていたストールが真知子巻きと呼ばれ流行したことも知っている。『愛染かつら』と本作が、スレ違いメロドラマ双璧だろう。『愛染かつら』はハッピーエンドと知った上で、先日観賞した。ラストシーンは泣けたなぁ。

冒頭の空襲シーンは迫力満点で、後宮春樹(佐田啓二)と氏家真知子(岸惠子)との運命的な出会いを大いにに盛り上げている。このふたり、一目惚れなのだろうか?一緒に生死をさまよったといっても、一晩だけ。美男・美女のとりあわせでなければ成立しない物語だ。美しいふたりが、霧の立ち込める数寄屋橋で、再会を誓って別れる・・・。なんて、ロマンチックなのかしらん 全編をおおう甘い音楽も耳に心地よく響く。 

11月24日に橋に行けばよいものを・・・。真知子は姿を現さなかった。事情があるにせよ、強い気持ちがあれば、春樹との約束は果たせたはず。そっか、あの時点では、好意は抱いても、愛情ではなかったんだ!美しい想い出として胸にしまっておきたかったのだろう。それに対し、春樹は来ぬ人をいつまでも待っていた。春樹とて、もし、真知子のことを本気で好きになったのなら、連絡先も名前も告げず、別れたりはしなかったと思う。ふたりの愛は、11月24日に再会できなかったことで、膨らんでいったのかもしれない。

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BSの再放送を観たのだが、三部作の第一部だけを放送したのかな?
そんなぁ、蛇の生殺でしょ でも、後の二作が放送されてもパスかな 結末は知りたかったので、映画サイトで調べると、一応ハッピーエンドみたい。よかった、よかった。
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13:06  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.02/24(Fri)

秋日和

父親と母親との役割の交換し『晩春』をリメイクしたような作品。『晩春』で娘役を演じた原節子が母親の秋子、その娘のアヤ子を司葉子が務めている。

美しい未亡人と結婚前の娘との心の交流が中心なのだが、ふたりを取り巻く3人の男たちの、お節介に目がいってしまう。秋子の亡き夫の同窓だった間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)たちが可笑しい。彼らによって、物語は喜劇風に展開していく。

オープニング画面は、出来たてホヤホヤの東京タワーのアップ。無声映画時代から活躍する巨匠も、時代の波に乗ったのかな(笑)。赤いタワーは天高く、誇らしげにそびえ立つ。寺の境内に響くツクツクボウシの音が初秋を教える。タワーが伸びる空も秋色だ。

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カメラは秋子の夫の七回忌法要が営まれる寺の中を映す。控えの間で、田口と平山が軽口を叩いている。湯のみの茶柱を見つけ、寺で茶柱が立ったから平山の細君が迎えに来るんじゃないかと笑う。平山の妻は4年前に亡くなったらしい。隣の部屋では秋子とアヤ子親子が、伯父周吉(笠智衆)の到着を待っていた。田口は現れた周吉をも巻き込んで、食べ物の話ばかりしている。田口はおっちょこちょいだ(笑)。

法要の夜、母娘は、三羽烏三馬鹿トリオ(馬鹿という意味ではなく親しみの表現)と食事を共にした。話題になったのは24才になるアヤ子の結婚。平山は心当たりがいると言う。母役の原節子さんは、穏やかに笑いながら「お願いしますわ、どうぞ」と頭を下げる。外交辞令で言ったのか、本心からか、この時点では判断しかねる。小津作品の劇中人物は、思うことと行動が一致しないことがよくあるからだ。

母娘を見送ると、三馬鹿トリオは下世話なオヤジと化す(笑)。まず、原さんの変わらぬ美しさに触れ、次には母と娘のどちらがいいか、品定めをしている。「ありゃ、いいよ」「おふくろだろ、ありゃ、いいよ、色気が出てきた、娘もいいがね」と、間宮と田口はおふくろ派、ひとり平山は娘の方がいいと言っている。だが、平山の言葉を額面通り取るわけにはいかない。間宮と田口には妻がいるが平山は独身で、母親は結婚相手になり得るから、迂闊なことは言えない。言葉と本心が、うらはらであることが、彼らのやり取りにも感じられる。秋子は三人の、学生時代のマドンナだった。

三馬鹿トリオは、アヤ子の結婚相手捜しに奔走する。亡き友人の娘だからということもあろうが、縁談話をエサにして、秋子とかかわっていたいのだと思う。まったく、男というものは(笑)。しかし、肝心のアヤ子は、結婚に乗り気でない。理由は『晩春』の紀子と同じ、母と離れられないのだ。

アヤ子が結婚をためらう理由を知った三馬鹿さんたちは、母親をまず、再婚させようと計画する。田口は「ふたり一緒に片付けるんだ」などと言っている。それには秋子に再婚の意志があるかどうかを確認しなければいけない。そのお役は田口が引き受けることになった。さて、問題は再婚相手。「平山はどうだ」と、間宮がからかい気味に聞く。「冗談じゃない、そりゃ、困るよ、旧友の細君と結婚するなんて不道徳な」と言う平山。それを聞いた間宮も田口は、それ以上、話を進展させることなく、話題を変えた。なのに平山は、話をもどして、秋子に自分の名前を出してはいけないと念をおしている。本当は結婚したいんだ(笑)。

翌日、平山は間宮の会社へ行き、天気がいいとか、地震があったとか、障りのない話をした後に「こないだの話ねぇ」と切り出す。間宮は「なんだい?学生の就職のことかい?なんだっけ?」「再婚相手の話だよ」「あぁ、誰かいい人がいたかい?」「おれもいろいろ考えたんだ」「何を?」「あの時、おまえが言ったことを」「なんだっけ?」間宮は平山をからかっているのだ。平山は恥ずかしそうに、秋子の再婚相手に立候補した。やっぱりね、そうだと思った、そりゃ思うよ(笑)。

この後、話は変な方向に進み、母が再婚すると勘違いした娘は、秋子のことを「大嫌いよ、汚らしい」と激しくなじって家を飛び出す。アヤ子の拒絶反応は『晩春』の紀子とそっくりである。アヤ子は友人の百合子(岡田茉莉子)のもとへ行き、母親の話をする。百合子は再婚を許すべきだと諭した。その後、百合子は三馬鹿トリオを訪ね、事の真相を知る。間宮と平山の浅知恵が事態をややこしくしたのだ。地位も名誉もある、いい年した三人の男が、若い百合子に叱られるのが愉快。「いったい、何が面白いんですか!そんなことして」。誤解も解け、今度は百合子を巻き込んで、母娘の結婚計画が始まる。仕切り直しですネ。

アヤ子は、かねてから交際していた後藤(佐田啓二)と結婚することになった。母と娘は周遊券を使い、想い出作りの旅をする。伯父周吉(笠智衆)が伊香保で経営する旅館にも立ち寄った。枕を並べて、しみじみ語り合うふたり。この時、カメラが映した原さんの横顔の美しさにハッとした。小津監督は人物を正面から捉えることが多い。美貌の女優も、40歳になれば、正面のショットはキツイものがあっただろう。だが、小津監督は女優を美しく撮ることよりも、自分の流儀を尊重している。それに応じた原さんは立派だと思う。

娘を嫁に出し、ひとりアパートに帰った秋子は、さすがに寂しそうだ。でも、かすかに微笑んでいるようにも見える。そうそう、あの三馬鹿トリオはアヤ子の結婚式帰りに、祝杯をあげていた。散々、人の家をかき回しておいて、面白かったと笑っている。まったく~。三馬鹿トリオの悪ふざけは、重いテーマをふくんだ作品に、活力素的役目をはたしたということで、許してあげよう(笑)。喪服で映画に現れた母と娘は、最後、白無垢と留袖で幕を閉じた。
14:09  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.02/21(Tue)

ドライビング・MISS・デイジー

窓から差し込む光が部屋の調度品を照らす。鏡の前で身じたを終えた老婦人は、黒人メイドに「買い物に出かけるわ」と告げて外へ出ていく。長い廊下と階段が屋敷の広さを表している。背筋をピンと伸ばした老婦人デイジー(ジェシカ・タンディ)は、さっそうと愛車クライスラーに乗り込み、エンジンをかけた。が、その後がいけない。ギアを入れ間違えて、車もろとも隣の敷地につっこんでしまう。デイジーに怪我はなかったが車は破損した。心配した息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、母専用の運転手を雇うことにした。そしてやって来たのがホーク(モーガン・フリーマン)だ。

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本作はデイジーとホークが共に歩んだ25年の歳月を静かに描いている。そこには淡々とした日常があるだけ、作為的な絵空事のアクシデントはない。画面に説明的なスーパーが一切入らないのが良い。時の流れは、デイジーの乗る車の変遷が教えてくれる。クライスラー、ハドソン、キャデラック、そして最後がベンツ。彼らの住む場所や思想、生い立ちは、言葉のはしばしや小道具に、さりげなく織り込まれてる。説明が省かれた場合、優れた演技者は、画面にない部分、これと明確にはしないまでも、ふんわりとふくらませてくれる。ジェシカ・タンディとモーガン・フリーマンの演技がそれだ。丹念に作られた映画を丹念に観る・・・こういう映画が少なくなったように思う。世の中がせわしくなった分、せめて映画を見ている間ぐらいはゆっくり、時を過ごしたいものだ。

この映画を劇場で観てから20年以上経つ。昨日BSで放送されたのを久しぶりに観たが、公開時とは違う感想を持った。それは、本作に描かれる「老い」が人ごとに感じられない年齢に、自分がさしかかったらだろう。残りの人生を豊かにしてくれる友の存在は貴重だ。

デイジーがホークに出会ったのは72歳、この時ホークは60歳だった。時代は1948年、アトランタ。アトラントと言えば、『風と共に去りぬ 』の舞台となった所。黒人差別の強い土地である。映画の中でホークが言う「給油所のトイレは黒人禁止なんです」。これと呼応するように、劇中、キング牧師の演説が流れる。「変化の時代における我らの最大の悲劇は、悪意に満ちた人々による中傷や暴力ではない、善意ある人々の沈黙と冷淡さです」デイジーは小さくうなずきながら聞いていた。

デイジーはユダヤ人で、彼女もまた、差別される側の人間だ。亡き夫とその父の起した事業が成功し、富を得た成金の未亡人である。誇り高い元教師のデイジーは、そのことを気にしている。だが、ユダヤ人であることには少しの引け目も感じていない。同じく、ホークは黒人に生まれてきたことを恥じていない。世の中をあるがままに受け入れ、人を恨んだり、腹を立てたてるということを知らない男なのだ。気難しいデイジーの不愉快な態度も、ゆったりと包み込んで許す。違っているようで、根幹の部分で響き合うものがあったのだろう、段々とふたりは心を通わせていき、ついには、デイジーの口から「ホーク、あなたは親友よ」という言葉が出る。それを聞いた時のホークの、誇らしげな表情が心を打つ。ふたりが真の信頼関係で結ばれた瞬間だ。

ホームに入居したデイジーを見舞うため、車を走らせる息子ブーリーの横にホークが座っている。運転手のホークは、もういない。デイジーのベスト・フレンドとして助手席にいるホークを見て胸があつくなった。ホームでデイジーが息子に言った台詞が可笑しい。「ブーリー、看護師と遊んでらっしゃい」ブーリーは、もう老人になっているが、デイジーの目には子供に映っているのだろう。子供抜きで密かに話したかったことは・・・。「今も息子から給料を?」「ええ、毎週」「いくら?」「それは彼と私だけの秘密です」「ボッタクリね」このやりとりは、随分昔にもかわされていた。ボケて口に出した言葉かと思ったが、続く台詞を聞いて、ホークへの思いやりだとわかる。「元気なの?」「なんとかやっています」「私もよ」「それが人生というものです」ふたりの会話は過酷な老いを感じさせない。デイジーに感謝祭のパイを食べさせるホーク。どこまでも優しい映画である。

16:33  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.02/18(Sat)

長屋紳士録

戦地から復員した小津監督はノスタルジックな人情喜劇を作った。闇市、パンパン、ギャングものを扱った戦後風俗映画の全盛時に、小津風スタイルを貫いてくれたことが嬉しい。当時の人には脆弱な印象を与えたかもしれないが。

敗戦の日本、人々は混乱し心も荒んでいたことは想像に難くない。そんな時勢の中、小津監督は小市民生活の暗さに目を向けるのではなく、失われた古き良き時代の人情を描いた。本作には復興への願いが込められていると思う。国難を乗り切る時の絆の大切さは、昨年の東日本大震災を経験し多くの人が実感したことである。

舞台は焦土と化した東京の下町長屋。為吉(河村黎吉)のもとに、同居する占い師田代(笠智衆)が浮浪児風の少年(青木放屁)を連れて帰ってきた。*奇抜な芸名ですね(^_^メ) 親と茅ケ崎から出てきて、九段ではぐれた少年を、巣鴨で拾ったそうだ。犬猫じゃあるまいに(笑)。今と違って児童相談所なんてなかったし、警察も迷子ぐらいでは動いてくれなかったのだろう。為吉は江戸っ子らしく「そんなもん、おまえさん、しろうことないよ」(「シ」と「ヒ」の混同)と言って、少年を家にあげようとはしなかった。困った田代は向かいの「おため」(飯田蝶子)の所へ、少年を置いてくる。だが、おたねも迷惑げ。「しっ、しっ」だの「めっ」と、怖い顔して追い出そうとする。しかし、哀しそうな少年を見て、一瞬、目の緊張を緩ませた。

画面は翌朝の風景に切り替わる。焼け野が原に干された一枚の布団。少年がおたねの家に泊まったことと、寝小便をしたことを物語っている。怒ったおたねは、為吉に文句を言うが、誰も少年を引きうけようとはしない。そこで皆で相談し、茅ケ崎に行って父親の消息を探ることになる。誰が行くかをクジで決めるのだが、為吉は、おたねに貧乏くじを引かせるよう細工した(笑)。

画面が転換し茅ケ崎の海が映しだされる。近所の者に話を聞くと、家を引き払い、消息はわからないとの返答だった。おたねは少年を茅ケ崎に置き去りにしようと、海岸を走って逃げる。着物姿のおばさんが、裾をまくって砂浜を走る姿の滑稽なこと(笑)。追いついた少年に、またまた「しっ、しっ」と、手で追い払う。それでもついてくる少年に目一杯の怖顔をするが怯まない。

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再び舞台は長屋。町内の寄り合いの席で、笠智衆さんがみせた芸に笑った、笑った。あれはなんなんだろう?長屋の連中は「のぞき」がどうのこうのと言っていたが・・・。茶碗を手に持ち、箸でチンチンチチン♪と鳴らしながら、節をつけて歌うのである。座にいる者も、唄に合わせてチンチンチチン♪、時たま「アッ、ドッコイ」と合の手を入れる。長屋の連中の嬉しそうな顔、笑ってる場合じゃないと思うんですけど。72分という短い尺なのに、笠智衆さんの語り芸に相当な時間を割いている。面白いんだな、これが。「りっぱなもんだね、たいしたもんだよ」(笑) この映画が大好きになった。

人の良いおたねは、少年と暮らすうちに情が移ったのだろう。当初は「おまえ」と呼んでいたのが「坊や」になり、動物園に連れて行ったり、写真を撮ったり、帽子やセーターまで買い与えて可愛がるようになる。自分ではそれを母性愛だと言うが、近所の友達は「孫とおばあちゃんだよ」とからかっている。「坊や」も「おばあちゃん」と言って「おばちゃんだよ」と、たしなめられていたっけ(笑)。

おたねが「坊や」を引きとって育ててもいいと思い始めた、そんな時、「坊や」の父親が姿を現す。九段ではぐれてから、方々を捜していたらしい。父親は、おたねに深々と頭を下げ礼を言った。出て行く親子を寂しそうに見送るおたね。そこへ為吉と田代がやって来る。これが長屋の良いところだ。普段から、互いを気にかけ、何かあると様子を見に来てくれる。ふたりが声をかけると、おたねは急に泣き出した。「アタシは哀しくて泣いてるんじゃないんだよ、坊やがどんなに嬉しかろうと思ってね・・・」「考えてみれば、アタシたちの気持ちが随分昔と変わっているよ。自分ひとりさえ、いいじゃすまないよ。」と、むき出しの主題を提示する。この部分はなくてもよかったのでは・・・。

子供がほしくなったと言う「おたね」に田代は、上野の西郷さんの銅像付近にいると微笑む。カメラが捉えた銅像の周りには、大勢の浮浪児がいた。ユーモアの感情で眺めた人間図を通じて、戦後の病根をついた作品である。



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2012.02/16(Thu)

訃報 淡島千景さん

今日の夕刊を開くと、淡島千景さんが亡くなったことを伝える記事がありました。ご高齢でしたので、驚きはありませんが、残念でなりません。アメリカ映画ばかりを観ていた私に、邦画の素晴らしさを教えてくれた『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』。その何本かに出演されていました。『本日休診』 『にごりえ』 『君の名は』(未見) 『真実一路』 『人間の條件』など。つい先日は『麦秋』を記事にしたばかりです。

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(数は少ないですが)私が見た作品の中では、『真実一路』で演じた、自滅への衝動的な本能に負けてしまった女むつ子が、一番心に残っています。悲哀の影をもつ女性を演じさせたら、淡島さんの右に出る女優はいませんでした。匂い立つ美しさは、情欲や嫉妬、怒りといった強烈な感性を表現する武器になっていたと思います。『にごりえ』の酌婦お力の色香、『本日休診』のお町の健気さも、人と惹きつける力を持っていましたね。ご冥福をお祈りいたします。
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