fc2ブログ
2012年02月/ 01月≪ 1234567891011121314151617181920212223242526272829≫03月

2012.02/21(Tue)

ドライビング・MISS・デイジー

窓から差し込む光が部屋の調度品を照らす。鏡の前で身じたを終えた老婦人は、黒人メイドに「買い物に出かけるわ」と告げて外へ出ていく。長い廊下と階段が屋敷の広さを表している。背筋をピンと伸ばした老婦人デイジー(ジェシカ・タンディ)は、さっそうと愛車クライスラーに乗り込み、エンジンをかけた。が、その後がいけない。ギアを入れ間違えて、車もろとも隣の敷地につっこんでしまう。デイジーに怪我はなかったが車は破損した。心配した息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、母専用の運転手を雇うことにした。そしてやって来たのがホーク(モーガン・フリーマン)だ。

Driving.jpg

本作はデイジーとホークが共に歩んだ25年の歳月を静かに描いている。そこには淡々とした日常があるだけ、作為的な絵空事のアクシデントはない。画面に説明的なスーパーが一切入らないのが良い。時の流れは、デイジーの乗る車の変遷が教えてくれる。クライスラー、ハドソン、キャデラック、そして最後がベンツ。彼らの住む場所や思想、生い立ちは、言葉のはしばしや小道具に、さりげなく織り込まれてる。説明が省かれた場合、優れた演技者は、画面にない部分、これと明確にはしないまでも、ふんわりとふくらませてくれる。ジェシカ・タンディとモーガン・フリーマンの演技がそれだ。丹念に作られた映画を丹念に観る・・・こういう映画が少なくなったように思う。世の中がせわしくなった分、せめて映画を見ている間ぐらいはゆっくり、時を過ごしたいものだ。

この映画を劇場で観てから20年以上経つ。昨日BSで放送されたのを久しぶりに観たが、公開時とは違う感想を持った。それは、本作に描かれる「老い」が人ごとに感じられない年齢に、自分がさしかかったらだろう。残りの人生を豊かにしてくれる友の存在は貴重だ。

デイジーがホークに出会ったのは72歳、この時ホークは60歳だった。時代は1948年、アトランタ。アトラントと言えば、『風と共に去りぬ 』の舞台となった所。黒人差別の強い土地である。映画の中でホークが言う「給油所のトイレは黒人禁止なんです」。これと呼応するように、劇中、キング牧師の演説が流れる。「変化の時代における我らの最大の悲劇は、悪意に満ちた人々による中傷や暴力ではない、善意ある人々の沈黙と冷淡さです」デイジーは小さくうなずきながら聞いていた。

デイジーはユダヤ人で、彼女もまた、差別される側の人間だ。亡き夫とその父の起した事業が成功し、富を得た成金の未亡人である。誇り高い元教師のデイジーは、そのことを気にしている。だが、ユダヤ人であることには少しの引け目も感じていない。同じく、ホークは黒人に生まれてきたことを恥じていない。世の中をあるがままに受け入れ、人を恨んだり、腹を立てたてるということを知らない男なのだ。気難しいデイジーの不愉快な態度も、ゆったりと包み込んで許す。違っているようで、根幹の部分で響き合うものがあったのだろう、段々とふたりは心を通わせていき、ついには、デイジーの口から「ホーク、あなたは親友よ」という言葉が出る。それを聞いた時のホークの、誇らしげな表情が心を打つ。ふたりが真の信頼関係で結ばれた瞬間だ。

ホームに入居したデイジーを見舞うため、車を走らせる息子ブーリーの横にホークが座っている。運転手のホークは、もういない。デイジーのベスト・フレンドとして助手席にいるホークを見て胸があつくなった。ホームでデイジーが息子に言った台詞が可笑しい。「ブーリー、看護師と遊んでらっしゃい」ブーリーは、もう老人になっているが、デイジーの目には子供に映っているのだろう。子供抜きで密かに話したかったことは・・・。「今も息子から給料を?」「ええ、毎週」「いくら?」「それは彼と私だけの秘密です」「ボッタクリね」このやりとりは、随分昔にもかわされていた。ボケて口に出した言葉かと思ったが、続く台詞を聞いて、ホークへの思いやりだとわかる。「元気なの?」「なんとかやっています」「私もよ」「それが人生というものです」ふたりの会話は過酷な老いを感じさせない。デイジーに感謝祭のパイを食べさせるホーク。どこまでも優しい映画である。

スポンサーサイト



16:33  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
 | HOME |