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2012.04/11(Wed)

シコふんじゃった

フランス語のなめらかな語りが耳に心地よく入ってくる。カメラは大学の正門の全景を写し、次に門柱に寄り、そこに刻まれた「教立大学」の文字を捉える。さらに、教会の入り口に掲げられた十字架を仰ぎ見る。静物ショットを繋いでいく技法は、小津安二郎監督の影響だろう。周防監督の、小津監督への敬愛は広く知られている。

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構内に入ったカメラは授業風景を伝える。オープンニングのフランス語は、穴山教授(柄本明)がジャン・コクトーのスモウ論を朗読したものだった。コクトーの言葉を借りて、相撲の歴史と魅力が語られていく。「力士たちは桃色の若い巨人で・・・・」そして、軽妙な音楽とともに『シコふんじゃった』のタイトルが出る。「ふんじゃった」の文字だけ、桃色になっているのも小津風だ。

画面が変わる。軽薄そうな男が「沖縄スキューバツアー」の参加者を募っている。大学4年の山本秋平(本木雅弘)は、一流企業への就職が決まり、我が世の春・・・状態だった。(過去形ネ)しかし、何が起こるか分からないのが人生。秋平は、卒論指導教授の穴山教授に呼び出され、代弁による不正な単位取得を指摘される。「就職は?」「決まりました」「じゃぁ、何としても卒業しなくちゃね」「はい」「で、卒業できる?」「それは、もう先生次第で・・・」「それは君次第だ」ふたりの会話は、人物を正面から撮ったバストショットのカット・バックで撮影されている。

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穴山は自分が顧問を務める相撲部の対外試合に、秋平が出ることを条件に、卒業をさせてやると脅した持ちかける。秋平はこの提案を受け入れざるを得ない。イヤイヤながら、相撲部へ行くと、やや老けた(笑)相撲部員がひとり相撲をとっていた。青木(竹中直人)は、相撲部を守るため、大学に八年も在籍している。相撲を愛して止まない男だが、これまで試合に勝ったためしがない。「出たぞ必殺、内無双~!」と絶叫する青木を呆れて見つめる秋平・・・慣れないまわしを付けられ、戸惑いを隠せない。

ふんどしまわし姿で、いざ、出陣!といきたいところだが、試合に出るには、あと一人必要だと言う。団体戦は五人制だから最低三人いなければ試合が成立しないのだ。ふたりの必死の勧誘の結果、太っちょの田中(田口浩正)と、秋平の弟・春雄(宝井誠明)が入部する。これに留学生のスマイリー(ロバート・ホフマン)が加わりリーグ戦に臨むが・・・。

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弱小チームの奮戦・成長物語というのは、古今東西、多くの映画に取りあげられてきた題材である。野球、アメフト、アイスホッケーなどなど。だが、相撲は日本だけだろう。映画が作られた時は、若貴ブームで相撲への関心が高かった。だからと言って、相撲映画を作るとは(笑)。周防監督は、洗練されたユーモアのセンスでもって、相撲道を描いてみせた(笑)。詰まる所、心技体ですよ、何事も。全編に散りばめられた笑いに、頬がゆるみ心地よい気持ちになった。これまた小津っぽい。ちなみに、主人公の「秋平」は、小津作品に良く出てくる名前「周平」と監督が好きな「秋」を合成したのかな?

ps:スマイリー君の「Wait!」に涙がどっと出てきました♪

タグ : 映画感想

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2012.04/09(Mon)

父ありき

物売りだろうか、荷を背負った者たちが、土塀の続く道を歩いている。小津監督らしい絵画的なショットで、映画の幕が開く。続いて、一軒の家の朝の風景が映される。袴姿の少年が口笛を吹きつつ、干してある手ぬぐいに手を伸ばし、それを帯に挟んだ。手慣れた感じがよく出ている。「お父さん、靴墨もうのうなった」父親は出勤準備の手をやすめることなく「そうか、じゃぁ、今日買ってこよう」と答える。なにげない親子の会話がふたりの平穏な生活を語っている。母を亡くした堀川周平(笠智衆)は男手ひとつで息子の良平(津田晴彦)を育ててきた。周平は金沢の中学校の教師、良平は小学六年生。連れだって歩く後ろ姿が微笑ましい。親子だなぁ。。。

周平の授業風景を、小津監督ははしょらず見せてくれる。「AECの角度がBCDと等しく・・・二等辺三角形になるから・・・」映画で幾何学を学ぶとは(笑)。『長屋紳士録』の覗きからくりもそうだったが、全部やりきっていまうところが小津さんらしい。背筋を伸ばしテキパキと教えていく周平を演じる笠さんの、さっそうとした姿。いつもの温和な笠さんとは別人のようだ。事業を終えた周平先生は、生徒たちに修学旅行の注意点を伝える。東京、湘南、箱根の旅。東京では明治神宮と靖国神社に参拝すると言っている。戦時色濃厚な時代の作品だけに、小津監督も、それなりに気を使ったようだ。滅私奉公というテーマがちらつく。しかし、静寂にみちた本作を、国策映画の部類に入れてしまうのには無理がある。小津監督の世界は、しっかり守られていると私は思う。

修学旅行の生徒たちは、鎌倉の大仏の前で記念写真を撮る。小津作品において、記念写真は別れの儀式であり、家族の離散や死を暗示する。本作では生徒の一人が、ボートで芦ノ湖に出た生徒がおぼれ死ぬ。責任を感じた周平は、教師の職を辞し、息子を連れて故郷の信州・上田を訪ねる。周平は金沢を引き上げ、村役場で働くことになった。父の決めたことに、息子は素直に従う。小さな寺の一室で針仕事をしながら、息子に勉強を教える父が、なんともユーモラスだ。頭の油を針につけて縫い物をしている。笠さん、『ひとり息子』では、割烹着を着ていたっけ(笑)。

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周平は良平を中学、そして大学まで行かせるつもりだ。中学は家から離れた所にあるため、良平は寮へ入ることになった。これが親子の別れの始まりだった。父は息子を学校へやるため、給料の良い東京の仕事に就く。卒業後した良平は仙台の帝大に進み、秋田で教員の仕事を得た。一緒に住むことを強く望みながら、叶わない親子。それだけに、たまに会った時は、遠距離恋愛中の恋人同士のように振る舞う。温泉旅館では、一緒に湯につかり、近況を楽しそうに話す。釣りをするシーンの同じ動作の反復は、観る者に親子の気絆を深く印象付けるものとなっている。良平の父への気持ちは募るばかり・・・。秋田での仕事をやめ、父親と東京で一緒に暮らしたいと言いだす。それを聞いた周平は「そんなことは考える事じゃない。そりゃ、お父さんだってお前と一緒に暮らしたいさ、だが、そりゃ仕事とは別のことだ。いったん与えられた仕事は天職だと思わないといかん、人間は皆、分がある。その分は誰だって守らにゃならん・・・・」と諭すのだった。ここは本作の山場で、時代の空気を背負っているような台詞が続く。自分が成し遂げられなかったことを、息子に託す気持ちも読み取れる。

周平の言葉を素直に受け入れた良平が、次に父に会うのは徴兵検査に合格し、上京した時だった。父は良平に金沢時代の同僚の娘ふみ(水戸光子)との結婚を勧める。照れながら、ここでも息子は父に従う。短く刈られた良平の頭を見て、戦時中であることを再認識させられた。小津作品には説明が入らない。こうしたショットの断片をかき集め、状況をつかんでいかねばならない。描かれていない余白を埋めていくのは観客の作業なのだ。

良平の滞在中、父が突然倒れた。画面は病院の庭に変わる。手入れの行き届いた芝生には、鉢植えの花とジョーロ、白い犬小屋(?)が置かれている。これは『麦秋』の中で淡島千景さんが言ってた世界だ。およそ、病院らしくないモダンな光景は、何を語っているのだろう。カメラは病室へと入り、ベッドに横たわる周平を映す。傍らには良平とふみ、周平の元同僚、かつての教え子の姿がある。「お父さん、お父さん、わかりますか?」という呼びかけに、かぼそい声で「いい気持ちだ、眠い、良平しっかりやりなさい、何も悲しいことはないよ、父さんは出来る限りのことはやった、私は幸せだ」とつぶやきながら次第にまどろみ、そして息絶える。穏やかな最期。しかし、鮮明に描かれた臨終シーンに涙が出てきた。尊厳ある死であっても、やはり悲しい。秋田へ向う夜汽車に良平とふみが向かい合って座っている。おそらく、結婚したのだろう。良平はふみの父親と弟を秋田に呼び、一緒に暮らすつもりだ。父との別れを経て、良平は新たな家族をもつことになった。網棚に置かれた父の遺骨が若夫婦を見守っている・・・。
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2012.04/05(Thu)

幕末太陽傳

けたたましく犬が吠える中、馬に乗った二人の外国人が、通行人を蹴散らし駆け抜けてゆく。それを追いかける三人の侍。馬上の外国人が振り向きピストルの弾を放つ。それにひるんだ侍が落とした懐中時計を、すかさず一人の町人(フランキー境)が拾った。時計を手につぶやく。「物騒な世の中だい」こうして、映画は賑々しく幕をあける。『幕末太陽傳』のタイトルがクレジットされると、画面は昭和の品川へ飛ぶ。

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ナレーションが品川の今昔を語る。東海道五十三次一番目の宿場・品川には遊郭があった。今(映画製作当時)は16軒の店が営業しているが、売春防止法のあおりでを受け近々閉店される。354年の伝統を持つ歴史の幕がおろされるのだ。幕末の頃は100軒に近い遊女屋に千人以上の女がいた・・・という説明が入る。本作は喧噪の世に生きた人々の、可笑しくも哀しい群像劇である。

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監督は川島雄三。『真実一路』と『洲崎パラダイス赤信号』の二本を最近見たのみで、その作風は良く分からないが、『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』(藤本義一著)は読んだ。タイトルがイケてるでしょ♪「サヨナラだけが人生だ」は井伏鱒二による唐詩の訳で、川島監督はこれを好んで使ったという。川島監督は藤本氏に「私は二十歳で小児麻痺に罹った。二十歳で小児麻痺になったのはルーズベルトと僕だけだ」と奇妙な誇りを示したそうだ。山本監督は「筋ジストロフィー」と言っていた。おそらくそれが本当の病名だろう。川島監督は生きていることを、かみしめながら日々を送っていた。日常のおふざけも、作品の戯れも、生きていることを実感するための方便だったのではないだろうか。死を恐れると同時に生を慈しんでいた監督を、私は愛しく思う。

川島監督はトイレのシーンを、どの作品にも入れた。「人間、小便を垂れ、糞をこくのは、何よりも生きている証拠なのです。」と言って・・・。滑稽なシーンに込められた監督の思いを知ると切なくなる。「日本軽佻浮薄派」を名乗ってふざけ、どぶろくを好み、太宰治を憎んだ。大正七年、下北半島に生まれ、昭和三十八年、東京は芝公園のアパートでひっそりと死んだ。享年45。

さて映画。軽妙な小品を多く手掛けてきた川島監督が勝負に出た大作だ。BSの解説によると「居残り佐平次」「芝浜の革財布」「品川心中」といった古典落語のネタをを取り入れ・・・とある。「芝浜の革財布」の財布は高杉晋作の懐中時計に置き換えたのだろう。

舞台は幕末動乱期の品川遊郭街。「相模屋」へ佐平次様ご一行が、さっそうと入っていく。店の者に芸者も料理も酒も、ふんだんに持ってこい命じている。その口調が落語家っぽい。仲間のひとりが「兄貴、大丈夫かい?たった、一分しかないのに」と、不安を口にする。一分といったら、今の一万か二万円くらいだ。しかし、佐平次は、飲めや歌へのドンチャン騒ぎを始めた(笑)。で、いざ支払いの段に及んで「一文も持ってない」と涼しい顔をしている。飲み食いした分は働いて返すと言う。

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なかば強引に遊郭に居ついた佐平次だが、要領よく立ち回り、皆から重宝されるようになる。調子が良くて愛嬌があって、人を惹きつけてやまない男を、フランキー堺がさっそうと演じている。楽しそうに縦横無尽に動きまわる姿は、見ていて気持ちが良い。しかし、佐平次は肺を患っており、ふとした折に寂しそうな表情を見せる。山本監督は、川島監督が佐平次に自身を投影したと言っていたが、まるで自画像だ。いくら明るく振るまっても、中に抱え込んだ孤独は日増しに重さを増してくる・・・。病の佐平次を登場させることにより、自分が死に直面していることを、人に知ってほしかったのかもしれない。いや、病気があっても佐平次のように威勢よくやっていきたいという願望か。

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見どころ満載な映画である。女郎おそめ(左幸子)と女郎こはる(南田洋子)の本気としか思えない喧嘩はその一つだろうが、私は女郎おそめ(左幸子)が貸本屋金造(小沢昭一)を巻き込んで心中を企む(?)シーンに笑った。「ちょいと金ちゃん、おまえさん、これからワチキと心中するんじゃないかね」「ひと寝入りしたら億劫になってきたな」それでも、心中するための支度を整える。金蔵は家財道具を売り払い、おそめに着物を買ってきていた。が、自分は腰から下の服がない(笑)。カミソリに怯える金蔵を見て、泣き崩れるのが芝居がかっていて可笑しい。どこかの芝居小屋で、曽根崎心中でも観たのだろう(笑)。刃物はやめて、入水することになった二人は、桟橋を行ったり来たり・・・左幸子さんは運動神経抜群だ!フランキー境さんは、羽織を空中に放って、さっと着る芸当を、こともなくやってのける。ラスト、佐平次は墓場から逃げ出した。墓場が死者の場所ならば、佐平は死を免れた・・・と思いたい。幕末の猥雑さの中に弱者の哀しみを吐露した傑作。

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2012.04/04(Wed)

黄金

メキシコの町に流れてきたドブスとその相棒カーティンは老人ハワードと出会う。彼らは黄金探しの夢を追って、旅に出ることに。シェラ・マドレ山で砂金を見つけたものの、猜疑心のとりことなったドブスは独り占めを企み……。三人の男たちの旅を通じて人間の欲望を描き出す。ジョン・ヒューストン監督の実父ウォルターが好演し、アカデミー助演男優賞を受賞。(映画com)

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元の木阿弥(もとのもくあみ)とはどういうことか、本作を見ればわかる(笑)。10か月もの間、一心不乱に働いて、ようやく手にした黄金が、一瞬のうちに吹き飛ばされる話。ダッブス(ハンフリー・ボガート)の猜疑心が招いた結果だ。ボギーさんが一人悪者にされ、気の毒な気がしなくもないが、よ~く見ると、この人、悪人面だ。顔も大きいし(←失礼)。登場シーンからイケてなかった。文無しで、通行人に「アメリカ人にカネを」と、物乞いをしている。ヨレヨレの汚れた服と薄汚れた大きな顔、『カサブランカ』のトレンチコートはどこにしまったの?って聞きたくなった(笑)。働けばいいのに「靴磨きなんかしたらアメリカ人からバカにされる」とか言って、人生を放り出したような生活を送っている。が、建築工事で臨時の職を得た頃から、ダッブスの生活は波乱ぶくみになっていく。

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金を掘りあてるまでのダッブス(ハンフリー・ボガート)は、良い人とは言えないまでも、最低限の人格は保っているように見えた。仲間のハワード(ウォルター・ヒューストン)やカーチン(ティム・ホルト)と軽口をたたいて笑いもする。だが、話が分け前のことになると、表情が固くなった。天秤で金の重さを測るシーンは緊張が走る。登場人物たちの仲間割れを暗示するような音楽。われわれ観客は、台詞の断片から真意を探り始めるようになる。これは観客がダッブスと同化してしまったからに他ならない。誰が誰を、いつ、どうやって裏切るのか・・・詮索せざるをえなくなるのである。落盤事故に遭ったダッブスをカーチンが助けるシーン一つをとっても、仕立てが巧い。ワンテンポずらすことによって、カーチンの僅かな迷いをすくい上げている。そして、この純真そうな若者だって、何かのきっかけで、豹変するかもしれないと観客に思わせる。疑ってかかれば、ハワードの目つきも気になる。陽気な老人が時おり見せる厳しい表情。案外、クセモノなのかもしれない。

ハワードとカーチンは黄金の誘惑に負けなかった。しかし、ダッブスは良心の呵責を感じながらも、ふたりを裏切ってしまう。これは予想通りだった。次なる関心事はダッブスの末路。3人の盗賊に襲われるというのがなんとも皮肉だ。もし、金を持ち逃げせず、ハワードとカーチンと一緒にいたならば、ロバも宝も、そして命も奪われることはなかっただろう。夢が風に吹き飛ばされた時、ハワードは「神が我々に仕掛けた悪ふざけだ。黄金は結局大地に戻った。10カ月の苦労も笑って忘れよう」と豪快に笑い、カーチンは「別に気落ちしてないさ、出資金は失ったけど命まで失っていない。」と、ハワードにつられたのか、笑っている。そうそう、笑うしかないよね。思いっきり笑っちゃえ!命あっての物種だ。

キャスト:ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン、ティム・ホルト/監督:ジョン・ヒューストン/製作:ヘンリー・ブランク/原作:B・トレイブン/原題:The Treasure of the Sierra Madre/ 1948年アメリカ映画/上映時間:121分

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