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2012.04/30(Mon)

小津さんの北鎌倉

大型連休3日目の今日、北鎌倉へ行ってきました。第三京浜~横浜新道~保土ヶ谷バイパス・・・全く渋滞がありませんでした 

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小津作品に何度か登場した北鎌倉駅の今

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円覚寺にある小津さんのお墓

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旧小津邸に続く浄智寺の脇道

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タグ : 小津安二郎

22:32  |  ワンコとお出かけ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.04/27(Fri)

彼岸花

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小津監督の最初のカラー作品。アグファのカラーシステムで撮られている。これがどういったものなのか、よくは知らないが、オープニングにそうクレジッされていた。

東京駅の赤レンガの駅舎、そしてプラットホームが映し出される。新婚旅行に出かけるカップルを見た二人の駅員が「大安かな、新婚旅行随分行くじゃないか」「でも綺麗な嫁さんっていねえもんだな」と、花嫁の品評をおこなっている。

画面は東京ステーションホテルの窓から見たホームに切り替わった。フェード・イン、フェード・アウトを使わない小津監督は、シーンを移行させる際には風景のショットを挿入し、それによって場所の説明をおこなうことが多い。かすかに流れる「高砂」、カメラはホテルの披露宴会場を写す。来賓として佐分利信さん、北竜二さん、中村伸郎さんがいる(笑)。平山(佐分利信)が挨拶に立った。自分は見合い結婚だったから、恋愛結婚の新郎新婦が羨ましい・・・みたいなことを、ソツなくさらりと言っている。場面は小料理屋に移る。披露宴の後なのだろう、例の三人はモーニングのままだ。女将(高橋とよ)を巻き込んでのバカ話が面白い。

平山の家では、先に帰っきた妻の清子(田中絹代)が着物を片付けている。ここで目を引くのが調度品の配置。畳に置かれた赤いやかん、花瓶にいけられた赤いバラ、赤いテーブル。小津監督がアグファを採用したのは、渋い赤色を表現するためだったと聞く。本作ではいろいろな赤色が登場し、そのどれもが美しく発色し、ポップな画面を作り出している。赤とともに、緑も頻繁に顔を出す。会社の社員椅子、タクシーのボディ、干してあるタオル、廊下のバケツなど。女優陣の着物や帯、スカートにも注目してほしい。赤と緑のオンパレードだ(笑)。

物語はたあいない。平山にはそろそろ嫁にやらねばならない年頃の娘・紀子(有馬稲子)がいる。ある日のこと、一人の青年(佐田啓二)が会社にやってきて、会うなり、紀子さんと結婚したいと言い出した。谷口と名乗った青年は節子の同僚だ。広島への転勤が決まったので、立つ前に結婚の承諾をとりつけたいらしい。平山の顔が険しくなった。物分かりのよさそうな人間に見えた平山だが、いざ、身内のこととなると話は別みたいネ。人様の結婚式のスピーチでは、恋愛結婚がいいと言ってたのに(笑)。母親の清子はなんとか、仲を取り持とうとする。しかし、平山は頑なに反対し、認めようとしない。その様子がユーモアたっぷりに描かれているのだが、旅館の女将・初を演じた浪花千栄子さんが、抜群のコメディエンヌぶりを発揮しており、作品のもつ喜劇性を高めている。支離滅裂なおしゃべりからは、何が言いたいのかさっぱりわからない(笑)。

屁理屈をこね、駄々っ子のように反対する平山。見かねた初の娘・幸子(山本富士子)は策を弄して結婚話を進めてしまう。面白くない平山は、結婚式に出ないと言いだした。ここで、いつもは穏やかな妻の清子が語気を強めて意見する。「あなたはなんでもご自分の思うようにならないとお気にいらないのよ。あなたの言う事は矛盾だらけよ」。言いかえす言葉が見つからない平山は「矛盾がないのは神様だけだ、人生は矛盾だらけだ、矛盾の総和が人生だ」と居直った(笑)。まっ、結婚式には出席するのだけれど。。。その模様は描かれていない。節子の花嫁衣装のお披露目もなし。冒頭の結婚式シーンと被るからだろう。

結婚式を終えた平山は、蒲郡で開かれた中学のクラス会に出席する。小津映画の宴会に欠かせないのが歌。皆で合唱するパターンと笠さんの独唱パターンがある(笑)。本作では笠智衆さんが詩吟を披露している。皆に催促され「じゃ、やるか、ちょっと時代がずれとるぞ」と言ってから姿勢をただし「楠正行如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す」と断りを入れ始まった。アハハ、いいなぁ。笑っちゃう。笠さんの詩吟を、神妙な顔で聞き入っている連中を見たら、余計に可笑しくなってきた。小津映画の風物詩ですな(笑)。続いて、中村伸朗さんが「青葉茂れる桜井の~♪」ときた(笑)。それから全員で合唱だ。心をひとつにして・・・というところか。クラス会の帰りに京都の初の旅館に寄った平山は、その足で広島の娘夫婦の所へいく。車中で「青葉茂れる桜井の~♪」と口ずさむ平山。わだかまりは解けたようだ。映画は列車が走りぬけていく映像で終わる。めでたし、めでたし。

タグ : 小津安二郎

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2012.04/23(Mon)

下妻物語

BSにて鑑賞。山本晋也監督と全く同じ感想を持った。見始めて思ったこと・・・映画をなめてるのか(笑)。

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冒頭、いきなり妙なアニメが出てきて「アタイのマシンが火をふくぜ」と、きた ひとりの少女がバイクを走らせている。真っ直ぐな農道を爆走するバイクの前に軽トラが現れ激突 フロント画面に叩きつけられた少女は、ゆっくりと空に舞う。「さようならダメ親父、さようならおばあ様、さようなら牛久の大仏様、私はロココ時代のおフランスに生まれたかった」ナレーションは続く。「てな訳にはいかないので、時間を巻き戻して・・・・・」との断りがあって、ロココ時代のことやら、少女の生い立ちやらが、今の生活やらが、語られていく。荒唐無稽も甚だしい。録画を消去しようと、リモコンを手にとった。もともと、見るつもりはなかったんだし。でも、山本晋也監督が土屋アンナが良いと言ってたな。。。。彼女が登場するまで、この不愉快な映像世界に付き合ってみることにした。

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待つこと20分、やっと土屋アンナが出てきた。本人より先に、お手紙が登場する。桃子のヴェル○ーチを売って欲しい書いてある。ひらがなだらけ、へったな字(笑)。オツムの程度がわかる。桃子は差出人の白百合イチコは小学生か中一ぐらいの子供だと思い、自宅に来るよう返事を書く。そして、イチコちゃんがやってきた。が、現れたのは、桃子の想像していたイチコ(イチゴ)ちゃんとは様子が違う。ピポピポピポピポ~♪バイクのエンジンが土煙を巻き上げている。金髪にサングラス、超ロングのスカートにぺったんこのカバン。ひと昔のスケバン姿のイチコちゃんが桃子ちゃんのもとへ、ゆっくりと近づいてきた(笑)。これが、ロココ姫・桃子とヤンキー娘・イチゴの出会い

土屋アンナちゃんが良かった!彼女が登場してからは、そのキャラにすっかり魅惑され、映画に吸い寄せられてしまった。映画の表現方法はメチャクチャでも、ハートに響くものがある。まさか、この手の映画で泣くとは思わなかった。恋に破れたイチゴが顔を覆って泣くシーンに、もらい泣きした。台詞がイケてる。「なぁ桃子、女は人前で泣いちゃいけないんだよ」そうは言ったものの、涙を抑えきれず、震えながら声をころして泣く。普段、突っ張ってるイチゴの純情に泣けた。

特殊な環境に育った桃子は、人と人との関わりがわかっていない。誰かと寄り添って生きていくのが苦手なのだ。だから、いつもマイペース。かたやイチゴは仲間とつるんで走るが大好きな寂しがりや。全く正反対のふたりの会話は噛み合わない。が、イチゴのちょっと残念なオツム(←失礼)と、天然ボケの桃子・・・ふたりとも軌道を外れた生き方をしているという点では、同じ種族なのかも(笑)。やがて、ふたりは心を通じ合わせるようになっていく。

本作では登場人物は極端にデフォルメされ、それに同調するようにアニメーションがインサートされている。始め、こうした演出に違和感を覚えたが、観終わる頃には、さわやかな気持ちになっていた。中島哲也監督のユニークな手法は、描かれている物語ないし状況の、質的な純度を高める方向へ機能している。また、深田恭子、土屋アンナ宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ、生瀬勝久、岡田義徳、本田博太郎、樹木希林らの演技のアンサンブルが、鮮やかにまとめられているのは監督の力によるところが大きい。最後まで観て良かった!

タグ : 映画感想

10:00  |  映画  |  TB(1)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.04/19(Thu)

浮雲

昭和二十一年初冬。引きあげ船から下りてくる人たちの中に、幸田ゆき子(高峰秀子)の姿があった。画面は東京の焼け野が原を歩くゆき子を映す。戦禍を免れた家がわびしく点在している。ゆき子が一軒の家の前で足を止めた。表札には「代々木上原 富岡兼吾」の文字。来訪を告げると老婆が出てきた。おそらく、この家の主・兼吾の母親だろう。続いて妻らしき女性が、いぶかしそうな顔をして出てきた。名前を聞かれたゆき子は、一瞬、視線を落とし「農林省のものですけど」と答えた。すると、妻はゆき子の頭の先からつま先まで視線を走らせた後、疑念を込めて「はぁ?」と聞き返した。どう見ても、農林省の役人には見えないからだ。ゆき子は咄嗟に「使いにまいりました」と言って、兼吾を呼びだす。兼吾はゆき子に目配せし、外へ行く。ふたりが訳ありな関係であることを視線の動きが教える。巧みな表現だ。

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「元気だね、仏印のことを思うと内地は寒いだろう」「電報ついて?なぜ、返事くださらないの」ゆき子は、ねっとりとした口調で聞く。ふたりの会話とフラッシュバック映像によって、おおよその状況がつかめた。ふたりが知り合ったのは、戦時中の仏印(フランス領インドシナ)。兼吾は農林省技師として働いていた。そこへ、ゆき子がタイピストとして赴任してくる。ふたりが深い仲になるのに時間はかからなかった。戦争の影も形も感じられない、洒落た洋館で働く職員たち。ゆき子は、この時の夢のような世界を引きずったまま、内地に引きあげた。戦後の混乱が、ゆき子の愛に拍車をかけたのだと思う。

兼吾はどうしようもない男だ。こんなヤツとかかわったら、ロクなことにならない・・・と、観客、いや、ゆき子自身が一番よく分かっているだろうが、どううしても別れられない。女にだらしなく、商売をすれば失敗する。ゆき子だって、褒められた女ではない。生活のためとはいえ、身持ちが悪すぎる。お互い、別の相手と肉体関係を持ちつつ、関係を続け、別れない。こういうのを腐れ縁と言うのだろう。刹那的な生き方しかできない男女の、捨て鉢な愛の描写が延々と描かれていく。江戸時代であれば、不義密通をした二人は、一緒に縛られて、重ねて斬られても文句は言えなかった。ゆき子と兼吾の恋愛には、そういう末路になりそうな危険をはらんでいる。

屋久島の営林署への赴任が決まった兼吾に「私も連れてって」と懇願するゆき子の愛がやるせない。長い長い旅路は逃避行のように見えた。行きついた先に幸せがあるとは思えない。途中、鹿児島で屋久島への船を待つゆき子が言う。「ずいぶん、遠い所へきたわね。ここからまた船に乗って一晩かかるなんて島流しみたい」「どうだ、帰るんなら、ここからちょうどいいよ」と、冗談とも本気ともつかない台詞をはく。この期に及んで、まだそんなこをと言う兼吾は大バカだ。

ふたりの屋久島行きは、ゆき子が病気になり、後らすしかなかった。病床にありながら、置いて行かれるのではないかと心配するゆき子が痛々しい。兼吾とめぐり会わなかったなら、どんな人生があったのだろう。はたから見れば、不幸な女と映るゆき子だが、真実の愛を知ったと思えば、少しは慰めになろうか。切ないなぁ。哀しいなぁ。小舟の中でふたり抱き合うように佇む姿が、観客をさらなる深みへと連れ込む。視覚的、感情的に力のある場面が続き、最後、ゆき子は死ぬ。愚かなふたりの愛が当時の世相を投影しているのかもしれない。戦後の荒廃を映画は語る・・・。紛うこと無き秀作。

タグ : 成瀬巳喜男

08:20  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.04/15(Sun)

早春

「○○冠」のネオンサインが消えかけている。通りはまだ暗い。静寂を破って走りぬけていく列車の轟音が、一日の始まりを告げる。続いてカメラは一軒の家の中を映す。ここでは、目ざまし時計のベルが朝の合図。杉山昌子(淡島千景)はゆっくりと身を起こし伸びをする。ゴミを捨てるため外に出ると、隣に住むたま子(杉村春子)と出くわした。「おはよう」「おはようございます」「ゴミ屋来なくて困るわね。」「ほんとに」区役所、何してるんだろう」。と、当たり障りのない言葉が飛び交う。家に入った「たま子」は夫にも、ハバカリ(便所)の電球を買ってくるのを忘れるなとか、流しの水をよく流しておけだの、他愛のない会話を続けている(笑)。どこにでもある日常を切り取ったショット。ドラマチックが出来事が起こる映画とは思えない。それでいいのだ。小津作品にストーリーはいらないのだから。

昌子の夫・正二(池部良)は、なかなか起きようとしない。「もう時間ぎりぎりよ」と言われ、やっとお目ざめだ。時計を確認し「なんだい、まだ五分もあるじゃないか」と言っている。このふたり、まち子(杉村春子)たち夫婦のような、渋い関係になるには、まだまだ年月がかかりそう。かと言って、お熱い関係にも見えず、要は倦怠期に入った夫婦なのだ。昌子は夫に「つっけんどん」な態度をとっている。

画面は駅に向う人々の群れを映す。黙々と、皆、同じ速度で歩いている。路地から人が次々と湧いてきて、駅へと吸い込まれていく光景は、リアルな描写とは言い難い。これは、朝の通勤風景を抽象化した映像である。同じような背広やスーツに身を包み、9時から5時まで拘束されるサラリーマンの窮屈な生活が伝わってくる。構内には「八時二十八分 蒲田始発大宮行きでございます」のアナウンスが、繰り返し流されている。蒲田始発・・・始発というのがミソ(笑)。杉山の最寄りの駅は蒲田だとわかる。

プラットフォームの人だかりの中で、正二(池部良)は通勤仲間と挨拶を交わす。彼らは一緒にハイキングしたり、マージャンしたり、鍋をつついたり、楽しくつきあっている。正二は、この中のひとりの女性・金子千代(岸恵子)と、一夜を共にしてしまう。女は感が働く。口紅の付いたハンカチを処分し忘れる正二の迂闊さが、夫婦の危機を呼ぶ。んっ?もとい!正二の浮気が夫婦の危機を招いた。

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本作には夫婦生活と会社員生活の起伏が描かれている。昌子と正二は熱烈な恋愛の末に結婚し、子供が生まれたものの、その子は疫痢で死んでしまったことが、さらりと触れられている。若い正二の月給は多くない。昌子は生活をきりもりするのに精一杯で、生活を楽しむ余裕などない。亭主は結婚した頃の輝きを失くし、生活臭をプンプンさせている。あげくに浮気・・・昌子(淡島千景)は激怒し実家に帰ってしまう。

金子千代(岸恵子)は、昌子と正二夫婦の溝を深める存在として登場する。が、サバサバしていて、深刻な三角関係に発展する気配を感じさせない。おそらく、小津監督は夫婦問題も含めた、小市民の閉塞感を描きたかったのではないだろうか。日本経済の高度成長は既に始まっていたが、敗戦の残影も色濃くあった時代のように思う。正二は会社仲間、通勤仲間の他に、軍隊時代の仲間とも付き合っている。彼らとの宴会シーンが笑える。手拍子をとり、体を揺らしながら「ツーツーレロレロ ツーレーロー ツレラレトレ ファンランラン 君と僕とは卵の中よ 僕は白味で君を抱く・・・」と歌っている。例によってフルコーラスだ。話がしめっぽくなると、この「ツーツーレロレロ」で場を盛り返す(笑)。景気づけの歌なのだろう♪ 

映画にはサラリーマン生活の侘しさ、味気なさ、哀しさを示すエピソードが次々と挿入されている。丸ビル勤務を喜ぶも、病を得て死んでしまう同僚、社内闘争に敗れ左遷された元上司、脱サラし喫茶店を営む男、定年まじかの寂しそうな初老男、安月給を嘆く男などなど。小津監督はストーリーを紡ぐのではなく、ショットを積み重ねることによって、サラリーマンの抜き差しならぬありようを示している。植木等さんは「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌っていたが(笑)。

サラリーマンは会社の指示通りに動かねばならない。地方への転勤を命じられれば、それに従うしかないのだ。小津監督は、手っ取り早く正二の転勤で幕を引く(笑)。「ストーリーを重くみない」と発言した監督にとって、劇的な幕切れは意味をなさないのだろう。正二は都会の喧騒から離れた場所で今までの自分を見つめ直し、再生を誓う。その傍らには昌子がいた。

タグ : 小津安二郎

09:45  |  ジャック・ニコルソン  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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