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2012.06/07(Thu)

出来ごころ

昭和八年公開のサイレント作品。「遊女は客に惚れたと云ひ 客は来もせぞ又 来ると云う」と、浪曲師が語る。といっても、サイレント映画であるから、口演は字幕だ。桟敷の客は団扇で仰ぎながら、浪花節に聴き入っている。カメラは客の一人一人を、クローズアップしていく。喜八(坂本武)は、寝てしまったせがれの富夫(突貫小僧)を起こそうとしている。一緒に来ている次郎(大日方傳)が「ガキに浪花節は猫に小判だ!ほっといてやんなよ」と、喜八を制した。次郎は、いなせで男前。阿部寛さんに似てるかな。喜八はと言うと、人は良さそうだが、がさつで、だらしがなさそう。その風体に彼の暮らしぶりが見てとれる。浪曲が終わり、外へ出ると、大きなバスケットをさげた若い女が、所在なさげに立っていた。訳あり風の女に、喜八は興味をもつ。聞けば、失業して泊まる所もないと言うではないか。気のいい喜八は、次郎が止めるのも聞かず、春江の世話を焼き始める。一膳飯屋の「おとめ」(飯田蝶子)に彼女を預けた。

喜八と次郎は同じビール工場で働き、同じ長屋に隣同士で住んでいる。正反対の容姿と性格のふたりだが、非常に仲が良い。やもめの喜八は息子とふたりで暮らし、次郎は独身生活を送っている。息子の富夫は、素行は悪いが勉強が良くできるしっかり者。朝は早く起き、「チャン、工場に遅れるよ」と父を起こす。ただ、その方法が乱暴で笑ってしまう。揺り動かしても起きない父のスネを棒で殴る。ついでに(?)に隣の次郎の所へ行って、彼のスネにも一撃を食らわす。そして、家に戻り、父親の着替えを手伝う殊勝な息子なのである(笑)。おとめは言う。「ガラクタなとっつあんにしちゃ 出来過ぎた子供だよ」

文盲で教養のない父を反面教師にしているのだろうか。ダメな父親としっかり者の息子という設定は、アメリカ映画『チャンプ』の翻案だと聞く。私はリメイク版『チャンプ』しか観ていないが、なるほど、そういうアメリカテイストを含んだ人情劇となっている。それをコテコテの日本映画に仕立て直せたのは、小津監督がアメリカ映画に精通していたからだろう。

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喜八は春江に淡い恋心を抱く。しかし、彼女は若くて男前の次郎に心を奪われており、喜八の恋ははかなくついえさる。そんな事情を知らないおとめは喜八に、次郎と春江の仲を取り持ってほしいと頼みにきた。次郎を好いている春江を、次郎が寄せ付けないと言う。喜八の気持ちを知っている次郎は、自分に春江の気持ちが傾かないよう、春江を遠ざけているのかもしれない。喜八は気持ちを切り替えて、ふたりを結びつけようと、躍起になる。次郎に言った一言が可笑しい♪「きっと つがいにして見せるから そう思へ!」本作には洒落た台詞が数多く飛び出す。トーキーだったら、どんな風に耳に入ってくるのかな?小津監督がトーキーへ移行するのは、本作の3年後『一人息子』である。

ある日のこと、富夫は学校の友達に、「おまえの父ちゃんは馬鹿だ」と言われ喧嘩し、泣きながら家に帰ってくる。怒りが収まらない富夫は、鉢植えの葉っぱを1枚残らず、ちぎってしまう。それに腹を立てた喜八が富夫の頭を叩くと、「工場へも行かないでお酒ばかりのんで!」と逆襲に出た。今まで押さえてきた不満が爆発したのであろう、何度も何度も喜八をぶち、大声で泣き出す。息子の気持ちに気づいた喜八も、「坊や 勘弁しなよ」と泣く。父の涙をそって拭ってやる小さな手。そして富夫は父の胸に飛び込む。突貫小僧がいい!観ているこちらも、もらい泣きした。観客を泣かせるには、自然に泣けてくるシチュエーションを丹念に成立させ、また、そういう雰囲気がじっくりと醸し出されていなければならない。涙なくしては見れない素晴らしいシーンだ。

こうして、絆を深めた親子であるが、突然の不運に見舞われる。富夫がお腹をこわして死にそうになったのだ。喜八は富夫にいっぺん位は、大金持ちの気持ちにさせてやりたいと、50銭やる。富夫はもらった金で駄菓子を買い、いっぺんに食べてしまった。「親ひとり子ひとりだ、早まって先にのびてくれるなよ」と息子の手をとる喜八を見て、また涙が出てきた。宵越しの銭は持たない主義の喜八には、富夫の入院費が払えない。すると、周りの者は自分を犠牲にして金を作ろうとする。ラスト30分は心に食い込んでくるシーンの連続であり、決して浅くない感慨を胸の中に確認した。

本作には善人しか出てこない。それも皆、ものすご~く、良い人ばかりだ。現代からみれば、本作に描かれている世界は、一種ユートピアである。富夫が病気になった時、長屋の住人はたいそう心配し、親子を見舞うだけではなく、付き添ってもくれる。社会が子供を見守り育てていた時代を、リアルタイムで描いた映画にお目にかかれたことを幸せに思う。


タグ : 小津安二郎

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2012.06/03(Sun)

一枚のハガキ

昭和19年夏、天理教本部に掃除部隊として、呉海兵団100人が集められていた。将校らしき男は、任務を終えた彼らのことを「おっさん部隊」と呼んでいる。国民兵が召集されるほど、戦局は悪化していたということだ。掃除が終わったのだから、故郷に帰してやればいいと思うのだが、戦時中ではそうもいかない。100人は次なる命令を受け、60人はフィリピンのマニラに陸戦隊として、30人は潜水艦の乗務員として、10人は宝塚に掃除部隊として、それぞれの任務に就くことになった。その振り分けは上官のくじで行うというのが、なんともやるせない。

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この映画は100人の中で生き残った新藤監督の、実体験をもとに作られている。新藤監督は『愛妻物語』で亡くなった妻のことを、『落葉樹』で母親のことを、『石内尋常高等小学校 花は散れども』で自分の少年時代を描いてきた。そして、最後の映画で戦争未亡人のことを取り上げたのは、それが生き残った者の使命だと思ったからだろう。家族への感謝を映画にしてきた監督が、大事な家族を奪ってしまう戦争の悲劇を渾身の力を込めて訴えている。

松山啓太(豊川悦司)は、戦友の森川定造(六平直政)から一枚のハガキを見せられる。「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません 友子」それは定造の妻からのものだった。この短い文面が伝えるものは重い。夫婦は毎年、祭りを一緒に楽しんでいたのだろう。ささやかな幸せがあったに違いない。戦争はふたりの日常を奪い、夫は命までも奪われようとしている。フィリピン行きが決まった森川は死を覚悟し、松山にハガキを預けたのだった。友子にハガキを見たこと、そして、例え死んでも霊魂となってお前の元に戻ってくると伝えほしいと・・・。

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フラッシュバックによって、出征の様子が映し出される。「祝出征 森川定造」のノボリと、わずかな村人たちに見送られた森川は、同じ場所で同じメンツによって、英霊として迎えいれられた。日本中でこのようなシーンが繰り返されたのだろうなぁ。天涯孤独な人というのは少ないだろうから、死んだ人の数だけ悲しみがあったと思う。残された人々にとって戦争は、玉音放送で終わらせられるようなものではなく、その後も悲しみと苦しみは続いたに違いない。名誉の戦死と褒められて、喜ぶ遺族はいないだろう。友子(大竹しのぶ)は憮然としている。ナタをふりおろし薪を割る姿が、大根を乱暴に切る姿が、戦争への怒りを表している。新藤監督はセンチメンタリズムに走るような演出をしない。泣き崩れるだけが悲しみの表現ではないのだ。友子は一緒に暮らしている舅(柄本明)と姑(倍賞美津子)の願いを聞き入れ、次男の三平(大地泰仁)と再婚するが、彼もまた、招集され帰らぬ人となった。気落ちした舅は心臓発作で死に、後を追って姑は首を吊る。戦争によって一家が消滅してしまった。

それから数年が経った。絶望の中で暮らす友子のもとへ、生き残った啓太がハガキを持って訪ねてくる。啓太も戦争に人生を狂わされた人間である。戦争が終わって広島に広島に帰ってみると、妻は実の父と駆け落ちし、家はもぬけのカラだった。気持ちの整理をつけられない啓太は、日本を離れブラジルへの移住を決意する。その前に戦友との約束を果たすため、やってきたのだ。友子は亡き夫の戦友をもてなす。といっても、水道も電気も引けないほどの赤貧生活を送る友子に、満足な接待はできないが、食事を出し、川から水をくんできて風呂を沸かす。天秤棒で水を運ぶシーンが『裸の島』の、それと重なる。なお、『落葉樹』に出てきた大蛇の舞いは、本作でも披露されていた。

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亡くなった定造の話をするふたり。ここからは舞台劇のような演出になっている。新藤監督は、お互いの感情を吐露したような激しい台詞を掛け合わせ、そのやりとりを白熱させていく。時に大竹さんは、ここぞという肝心な瞬間に、映画ならではの鋭い緊張を、画面の隅々にまでゆきわたらせ、観る者の感性にゆさぶりをかけてくる。新藤監督は溝口健二監督に「芝居は大きくかきたまえ」と言われたそうだ。芝居を誇張するということの核心は「構成をひきしめる」ということらしい。

啓太と話すうちに「戦争の呪いつつ、この場所で野垂れ死にする」と言っていた友子の心に変化が生まれる。ブラジルへ行く啓太を「弱虫!ブラジルに逃げていくんですか、94人の魂が許しませんよ」と罵る。死んだ者は不幸だ。そして生き残った者もまた、生かされていることに苦しむ。死のうが死ぬまいが、戦争は不幸な人間を生み出す。だから、戦争はしてはいけないのだ。そういう簡単なことがわかっていないから、今もって地球上から戦争が消えない。

心を通じ合わせた友子は啓太は、一緒にブラジルへ渡ろうとするが、いざ、家を出る段になって混乱をきたす。抑え込んできた気持ちが爆発してしまったのだろう。戦争でめちゃくちゃになった家は、友子の過失によって燃えてしまった。焼け跡に残されたふたりは、逃げることを止め、今自分たちが立っている大地に根をはって生きる覚悟をする。一歩、一歩、懸命に生きてゆく・・・こういう力強さが命をつないでいくのだと思う。

タグ : 新藤兼人

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