2012年06月/ 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

--.--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2012.06/27(Wed)

落第はしたけれど

昭和五年に公開されたサイレント作品。

rakudai.jpg

カメラは、地べたに座って勉強している学生を次々と写していく。試験前の悪あがき?(笑)皆、必死だ。苛立っているのだろうか、一人の学生が「兎に角 君は紳士的ぢゃないよ」と、相手を罵倒し、突き飛ばした。その騒ぎを聞きつけ、たくさんの学生が二人を囲む。いさかいの原因は、試験の回答を教えると言っておきながら、試験場へ入ると、一つも教えてくれなかったからだと言う。

試験の開始を知らせるベルに、学生たちは教室に入ってゆく。何やら、ふざけた歩き方をしている連中がいる。小津さんのギャグだろう(笑)。試験中の様子も、ギャグ満載だ。前の席に座っている友人の上着をまくって背中に書いてある解答を写したり、試験管の背中に解答を張り付けたり・・・!必死のカンニング作戦にでるが、上手くいかない。撃沈。明日こそはと、リベンジを誓い、ヘンテコなスクラムを組むカンニング五人衆だった(笑)。あっ、ふざけた歩き方をしていたのは、この五人だったんだ!バカだなぁ。

画面は変わって、下宿で試験の準備にいそしむ学生たちの様子が映し出される。役名はないが笠さんの姿も♪高橋(斉藤達雄)は、せっせとシャツに解答を書いている。高橋が眠気覚ましに何か食おうと提案し、向かいの喫茶店から出前を取る。店員役で田中絹代さんが出ている。今まで見た中で一番若い田中さんだ。高橋と特別な関係にあるようで、「あなたの試験の終わる迄には、できあがってよ」と、編みかけのネクタイを見せた。ネクタイは社会人の証、果たして、高橋は卒業試験を乗り越えて社会に羽ばたけるのか?

カンニングシャツも完成し寝入った高橋に悲劇がおこる!下宿屋のおばさんが、高橋の特別なシャツを学生たちの汚れものと一緒に、洗濯屋に出してしまったのだ。そりゃ、そうだよなぁ。シャツはカンニングペーパーじゃない、白いのが由緒正しい姿なのであります。何も知らない高橋は、余裕の表情を浮かべ言う。「試験なんて要するにコツだよ」知~らない(笑)。

焦ったのは高橋だけではなかった。カンニング五人衆の、後の4人も血相を変え、他の学生にノートをみせてもらうも、時既に遅し。出された問題に手も足も出ない。高橋の心情を表すような、ショットが顔を出す。絞首刑のロープに見えたのは、電球の紐の結び目だった(笑)。卒業の可否が張り出されたが、その中に高橋の名前はない。カンニング五人衆は、そのまま落第五人衆になった(涙)。そして、諦めのラインダンスを踊る。そういうことしてるから、落ちちゃうんだよ!

高橋と同じ下宿の連中は無事に卒業することになり、その祝賀会を宿のおばさんが開いてくれる。祝いの宴も、高橋のことがあって、お通夜の席のよう。。。季節は春、桜が咲きほこる道を、新しいスーツに身を包んだ一行が歩いている。彼らには職探しの春、どの顔も希望にあふれている。高橋の下宿にやってきて「今日は謝恩会を兼ねてピクニックに行くんだから悪く思うなよ」なんて、無神経な事を言うヤツもいる。人間、その立場にならないと、なかなか相手の気持ちは分からないものだ。

卒業することと就職することは別なこと。本作が公開された1930年は、世界的に不況の嵐が吹いていた。意気揚々と卒業した連中は、4月の半ばになっても就職先が決まらない。高橋の所には仕送りが届き、卒業生の所には不採用の通知が届く。例のカンニング組はというと・・・。ヘンテコダンスをしたり、応援練習をしたりと、それなりに忙しそうである。一方、卒業組は暇はあれども金は無し。下宿でクサっている。大隈講堂を見て呟く。「もう一度、学校に行きたくなったなぁ。」そうそう、学生時代は人生で一番楽しい時なのだ。あ~、私もあの頃に戻りたいな。。。



スポンサーサイト

タグ : 小津安二郎

09:14  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.06/23(Sat)

小早川家の秋

ネオンが明かりを灯し始め、夜の到来を告げる。バーのカウンターで、蝶ネクタイの男(森繁久彌)が女給相手に酒を飲んでいる。誰かを待っているようだ。店に入って来た男(加藤大介)に「なんや、君ひとりか」と不満そうに言った。待ち人は女性なのだろう。遅れてやってきた美人(原節子)を見て、鼻の下を伸ばす。ストーリーに関係のない森繁さんが、どうしてオープニングに出てきたのだろう?唐突な感じがする。宝塚映画で撮影したからかな?

さて映画。「小早川家の秋」と書いて「コハヤガワ」と読む。京都の造り酒屋の、今は隠居した老人の道楽物語である。演じるのは関西歌舞伎の中村鴈治郎さん。正直に言うと、私は鴈治郎さんが主役を務めた『浮草』があまり好きではない。(小津作品の中ではということ)旅役者に見えない中村雁治郎さんが、作品をダメにしたと勝手に思い、あの大きな顔に苦手意識を持った。だが、本作の中村鴈治郎さんは素晴らしい!!!娘に「なんじゃい」と、毒づく顔の可笑しいこと!『浮草』での悪い印象が吹き飛んだ。

kahayakawa_1.jpg

小早川家の当主・万兵衛(中村鴈治郎)は、店を娘婿に任せ、自分は好き勝手に生きている。最近は、いそいそと、何処かへ出かけていく。不審に思った大番頭(山茶花究)は番頭(藤木悠)に、万兵衛の後をつけさせた。向かった先は京都の、こじんまりした旅館だった。そこの女主人つね(浪花千栄子)は万兵衛の元妾。19年ぶりに会ったふたりは、老いらくの恋の花を咲かせる。つねの21才の娘は、万兵衛のことを「お父ちゃん」と呼んでいるが、親子かどうかは疑わしい。しかし、おつねも万兵衛も、そのことに頓着している風はない。今のふたりにとっては、どうでもいいことなのだろう(笑)。

kohayakawa_2.jpg

大番頭の報告を受けた長女の文子(新珠三千代)は、父親の放蕩ぶりが我慢できず、文句を言う。「昔、お母ちゃんを泣かしたようなことをもういっぺん、やんなはる気ですか!」そう娘に問い詰められると「なにがや、何のこっちゃい、わいを疑っとるのか、あほんだら」と、悪びれることなく言いかえす(笑)。反省してないんです、この老人。それも、わからないでもない。ちゃんと働いてきての今なのだから。

そんな万兵衛が心筋梗塞で倒れ、意識不明の危篤状態になる。心配する家族・・・。連絡を受けた東京に住む弟と名古屋の妹(杉村春子)もやってきて、今後のことなど話していると、万兵衛がフラリ、廊下に現れた!「よう寝たわ、ちょっとオシッコ」。呆気にとられている一同の横を、団扇であおぎながら通り過ぎていく(笑)。このシーンが抜群に可笑しい。いろいろあっても、万兵衛は周りの人間に愛されているのだ。

元気になった万兵衛は、凝りもせず、京都のつねこの元へ通う。孫とのかくれんぼ遊びに紛れて姿をくらますシーンも愉快。中村鴈治郎さんは、えもいわれぬ可笑しさを、体全体から発散している。あの歩き方(笑)。その後ろ姿に笑っていたら、とんでもないことが起こった。万兵衛が元妾の家で、再び発作して倒れてしまう。

次女(司葉子)と婿(小林桂樹)が、京都のつねの所へ駆け付けると、万兵衛は既に息を引きとっていた。つねは、万兵衛の体を団扇であおぎながら、最期の様子をたんたんと話す。枯れた悲しみが、微妙な心理の綾が、伝わってくる。遺言はなく「もうこれでしまいか、もうしまいか」と二度ほど言ったらしい。好き放題して、妾の家で死ぬ。らしいと言えばらしいのかな、幸せな人だと思う。しかし、死んでしまったら「しまい」だ。

本作には万兵衛の亡き長男の妻役で原節子さん、次女役で司葉子さんが出演し、並んで同じ動作を何度も見せる。しかし、本筋とは無関係な立場に置かれていて、存在は薄い。東宝系の映画ということで出演したのだろう。森繁久彌さんに至っては、もっと浮いており、出ない方がよかったのでは(汗)。キャスティングの問題はあるものの、愉快な映画だと思う。(主人公は亡くなってしまうけれど)あと、山茶花究さんの「ちゃうちゃう」が忘れられない(笑)。

タグ : 小津安二郎

09:30  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.06/19(Tue)

宗方姉妹

小津監督が松竹を離れて、新東宝で撮った作品。原作は朝日新聞に連載された大仏次郎の長編小説である。小津さんのトーキー映画は、DVD化されていない『淑女は何を忘れたか』を除いて全て観たが、本作は群を抜いて面白くない(汗)。『晩春』と『麦秋』に挟まれた時期に作られた作品なのだから、スランプに陥っていたとは考えられない。新聞連載小説の映画化がいけなかったのだろうか。

情景ショットで映画の幕があく。五重の塔は東寺だろうか・・・。舞台は京都、大学(京都大学か?)の医学部の教室で講義を行っている教授(斎藤達雄)が、自分の友人の症状を学生に説明している。教授の話に笑いがおこる。末期の胃がん患者の話のどこが可笑しいのだろう。胃がんを患っているのが、宗方忠親(笠智衆)で、彼は病気療養のため、京都の寺に逗留している。症状が悪化したため、教授は宗方の娘の節子(田中絹代)と満里子(高峰秀子)を東京から呼び寄せた。節子には失業中の夫(山村聡)がいる。古風な姉は陰気な夫の冷たい仕打ちに耐え偲び、現代的な妹は思ったことを口と態度に出している。対象的な姉と妹、これに、節子の昔の恋人(上原謙)が絡んで・・・というストーリーである。

kyoudai.jpg

姉が古風な女であることを印象づけるために、とってつけたように奈良の寺詣りシーンが挿入されている。この時の田中絹代さんは、溝口作品のヒロインのように振る舞う。これに対し、妹の満里子は神戸の元町というハイカラな街で輝きをみせる。京都、奈良、神戸とめまぐるしく場所が移動するが、それぞれの場所は独立して描かれており、ストーリーの繋がりが悪く、散漫な印象はぬぐえない。よくわからぬまま、舞台は東京へ移る。これによって、笠さんは作品から切り離される。本作は小津さんが得意とする父と娘の情愛ではなく、夫婦の間の複雑な心理を描いているのだから、笠さんの早々の退場は仕方がない。

本作の登場人物たちは、信念に基づき行動し、ストーレートに自分の意見を述べる。姉は妹に言う。「私は古くならないことが新しいことだと思うの。本当に新しいことはいつまでたっても古くならないことだと思ってるのよ。」んっ?わかるようなわからないような。。。小津さんは、ものをあまり言わせず、対象が自然に表すものを、そこはかとなく演出する人だけに、この台詞は不自然に感じた。

さらに、小津作品には珍しい移動ショットまで出てくる。カメラは並んで歩く田中絹代さんと上原謙さんに寄り添い進む。これは成瀬映画か!とツッコミたくなった(苦笑)。バックに流れる音楽はうるさいし・・・。高峰さんは、弁士さながらに語り、突然歌い出す。極めつけは山村聡さんの暴力シーンだ!田中さんを何度も平手打ちする!田中さんは『風の中の雌鶏』では、佐野周二さんに階段から突き落とされていたっけ。

以上、つらつらと書いてしまった(汗)。小説のリアリズムと映画のリアリズムは、基点を一にしていても、それぞれの形式を通じて表現された実体は、別物になるのかもしれない。

タグ : 小津安二郎

08:30  |  映画  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2012.06/15(Fri)

幸せへのキセキ

ベンジャミン・ミー(マット・デイモン)はコラムニスト、というよりも、突撃レポーターと言った方がいいのかも。ネタのためなら、ハチの巣だろうが、ハリケーンの中だろうが、独裁者の乗る飛行機だろうが、果敢に突進していく(笑)。他人の冒険物語を取材していくうちに、自分も冒険したくなったのか、、なんと閉鎖中の動物園つきの家を購入し、再開園に向けての準備を進める。本作は一つの目標に向けて心を合わせ、絆を強め、困難を克服していく人々たちの物語である。なせば成る 為さねば成らぬ何事も ということ・・・ネ♪

kiseki_1.jpg

ベンジャミンは半年前に愛する妻を亡くした。心の傷は未だ癒えていないだろうが、忙しい現実を前に、悲しみは整理されず、心の底に眠っている。14歳の長男ディラン(コリン・フォード)と7歳の娘ロージー(マギー・エリザベス・ジョーンズ)の世話と仕事、時間はいくらあっても足りない。メンタルケアの進まぬ中、家族3人の生活は機械的に動いている。そんなある日、ベンジャミンはディランの学校から呼び出しを受けた。彼は母の死後、3回も停学になっている。今回は描いた絵に問題があるとされ、とうとう退学を言い渡されてしまう。人物自分の仕事にも行き詰まりを感じていたベンジャミンは、妻の想い出が多すぎる街を離れ、郊外の静かな場所へ引っ越すことを思いつく。

不動産屋から案内されたハウスにベンジャミンの心が弾む。「なんて素敵な家なんだ!」ただ、その物件はいわくつきだった。なんと、動物園つき!躊躇するベンジャミンの背中を押したのは、クジャクに喜ぶ娘の姿だった。もしかしたら、動物が子どもたちの寂しさを癒してくれるかもしれないと・・・環境を変えたい気持ちはわかるが、少々、飛躍しすぎでは?と思わぬでもない(汗)。映画だから許される発想である。

本作には「実話を基にした・・・」という、ことわりがついている。こういう場合、実話の一部分をピックアップして描いていることが多い。本作も然り。実話と映画は視点が全く違う。実話は殺処分される動物を救うため、親の遺産を投じ、妻と一緒に再建を目指したが、妻は道半ばにして脳腫瘍で死んでしまうというもの。息子はとても良い子で父との確執はなく、ベンジャミンは息子に元気づけられて動物園の再建を目指す。息子ちゃんは「別に…」なんて、投げやりな言葉をはいて父親を困らせたりはしない。

kiseki_2.jpg

実話と映画が大きく異なることがいけないとは言わない。実話はあくまでも材料の一つであり、それを脚色して映画になるのだから。実話を忠実に再現するのであれば、キャメロン・クロウ監督の作家性が死んでしまう。映画には映画ならではの表現方法がある。全編をおおう優美で叙情的な音楽や、動物たちのクローズアップなどは、観る者の理解を助けれくれる。家族の再生物語としては、とても良く出来た映画だ。しかし、私は実話の方により強く惹かれる。希少動物を救うため、私財をなげうったベンジャミンという男の真意が知りたい。動物園の運営が莫大な利益を生むとは考えづらいから、やはり、動物を救いたい一心で再建への道を歩んだのだろう。

この映画を見るつもりはなかったが、本作の下敷きとなった話を伝えるTV番組を見て、映画への興味をもった。番組はベンジャミン本人へのインタビューと実際の映像からなる再現ドラマで構成されていた。ただ、ドキュメンタリー的なものも、編集者の主観が入るのだからフィクションである。そのことを踏まえて、原作本を読んでみたいと思っている。

タグ : 映画感想

07:28  |  映画  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.06/11(Mon)

近松物語

拍子木の澄んだ音が映画の開幕を告げる。原作は近松門左衛門の『大経師昔暦』。近松門左衛門と言ったら『曽根崎心中』が頭に浮かぶ。始まって早々、不義のかどで引き回され、刑場へ向う見知らぬ男女の姿が映し出される・・・結末を暗示するショットだ。うーん、後味悪そうだなぁ。どんな理屈をつけたとしても、主人公が磔になるのは辛いし怖い。気は進まなかったが、とりあえず見てみることにした。

chikamatu.jpg

京烏丸四条に店を構える大経師以春(進藤英太郎)は歴の発行権を独占し、名字帯刀を許されている。商売は繁盛しているのだろう、店の者は、皆、忙しそうに立ち回っている。誰ひとりとして同じ動きをしていない。以春にはおさん(香川京子)という美しい妻がいるが、店の女中に手を出す浮気者である。権威をみせつけるために腰にさした刀が、居心地悪そうに帯にぶら下がっている。品位のない男だ。おさんとは年齢が離れており、金で買った結婚であることは、絵面を見れば一目瞭然。それが証拠に、おさんの元へ実家の母が金の無心にくる。だが、以春は「金の無心なら断る」とおさんへ言い渡すのだった。困ったおさんは手代の茂兵衛(長谷川一夫)に相談する。それが悲劇の始まりだった。

おせんと茂兵衛は、互いの気持ちを知り、一気に愛の炎を燃え上がらせる。だが、封建社会にあっては禁断の愛だ。ふたりの純真さと、以春の欲深さを並列に描くことによって、おせんと茂兵衛の愛を際立たせている。また、おせんの兄というのが似ても焼いても食えないヤツで、彼の無神経な言動は観客に腹立たしさを植え付け、不義のふたりへの同情心を煽る。おせんの母、茂兵衛の父も、身を呈してまで子供を守ろうとはしなかった。おせんと茂兵衛は孤立した世界で、愛にすがるしかない状況に追い込まれていく。

溝口監督は音を大切にする監督なのだろう。緊張感や不安感を音の強弱と高低で表現している。おせんと茂兵衛が愛を深めるシーンでは、情感たっぷりに、笛の音が響く。水の音、風の音もゆるがせにすることなく丁寧に作りこみ、登場人物の心情を反映させている。宮川一夫のカメラワークも見事である。白と黒のコントラストが映画にメリハリをつけた。セットは細部に至るまで寸分たがわず当時を再現している。長谷川一夫一のねっとりとした演技は文句のつけようがない。一流の技術と一流の役者が作りあげた一流の映画である。だが、予想通りのラストに心が曇った。死への道行きを甘美なクライマックスとして描いているのだろうが、磔はちょっと。。。。雨月物語よりもずっと怖い映画。

タグ : 溝口健二

00:10  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | HOME |  NEXT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。