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2007.08/05(Sun)

相木市兵衛

風林火山の感想です。
真田幸隆と相木市兵衛の活躍が描かれていましたね。
真田幸隆は武田二十四将に数えられ、そこそこ有名だと思うのですが
相木市兵衛は知る人ぞ知る武将だと思いませんか?
武田信玄大事典によると、信濃先方衆で田口城主。騎馬80騎持。
岩村田大井氏の重臣依田氏の一族・・・・中略・・・・武田氏滅亡後は
相模北条氏に属して徳川氏方と抗争するが没落・・・・とあります。
ドラマでは、小堺かずきさんに似た俳優さんが、相木を演じています。
毎回、出番が多いので、ちょっと気になっています(笑)。

今回は真田幸隆が戸石城を攻略するために、大芝居を打っていましたねぇ。
真田は謀略家だと言われてますが、あそこまでやるかなぁ
あれじゃ、映画「スティング」や「オーシャンズ・シリーズ」の世界ですよ(笑)。
勘助も根来の坊主に化けてましたし・・・・爆
「ピンクパンサー」のクルーゾー警部ばりの変身術です。
武田は詐欺集団だったのでしょうか?!

23:52  |  大河ドラマ風林火山  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●確かに

兵法は謀多きは勝ち、少なきは負けると昔から言われてますね

特に信玄とか毛利元就の場合は、出兵はたいていの場合最後の詰のデモの色合いが濃いですからね

色、欲、義理等で敵方の陣営をズタズタにしといて、出兵によりそれを表面化させて文字通り、「戦わずして勝つ」というのが信玄の信条でもあり常套手段でもありましたからね

故に謀略と大軍による威圧で弱小勢力を潰してきた武田は、常に内乱や一向一揆との抗争で乱戦に慣れている越後勢に第四次川中島合戦で苦戦(作戦が外れたのもありますが)したのだと思います

もし、あの時に謙信が信玄とほぼ同等の兵力を率いていたとして、謙信も別働隊を武田の別働隊に当たらせのらりくらりと凌がせていたなら、きっと信玄の首と胴は離れていたのではないかと考えております
しんのすけ | 2007.08.06(月) 22:17 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

元就かぁ、厳島合戦ですね♪
元就のもとには、常に数十人の間者が働き、謀略を練っていたとか・・・・
信玄公も越後に間者を数多く送り込み、かく乱していたらしいし(笑)
信玄・元就・幸隆、みな謀略家ですね。ついでに川越夜戦の氏康も付け加えたいです。
>謀略と大軍による威圧で弱小勢力を潰してきた武田・・・・言い当ててますねっ

第四次川中島は、戦争目的を達したという点では
武田の勝利だったかな・・・と思っているのですけど
本陣に切り込まれるほど、苦戦したこともたしかですね。
信玄公の首と胴が離れず、よかったと思っていますよ。
武田と上杉の兵力差がなかったならば、信玄公は決戦を避けたかもしれませんね。
(期せずして遭遇したという説もありますが)
勝つとわかっている戦しかなさらない方ですから(笑)
マーちゃん | 2007.08.06(月) 23:05 | URL | コメント編集

うちに相木家の系図と
相木常喜の掛け軸があります。私の守護霊は相木昌朝らしいですょ
相木 | 2011.12.21(水) 05:58 | URL | コメント編集

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