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2007.08/09(Thu)

三国同盟

北条氏康↓です。ダウンタウンの松ちゃん似かな(笑)

北条氏綱・氏康は業績のわりに知名度が低すぎると思うのですよねぇ。

上杉家との抗争の末、関東の覇者となった北条。関八州ですぞ!
                                
Image0001.jpg



でもって、これが今川義元↓どうして木像しか残ってないのかしらん?

義元の画像は、この木像しか見たことがありません。

Image0003.jpg


恐ろしい事に(?)今川家の当主は代々、木像になってらっしゃるようで

義元のお父上・今川氏親↓です。

Image0004.jpg



北条氏康、今川義元・・・・ときたら、信玄公↓も載せないと!

Image0002.jpg


えっ、これが信玄!と思われる方もいるでしょう。

私もわかりましぇ~ん。

藤本正行著「武田信玄像の謎」に

成慶院本の信玄像↓は畠山氏の誰かだと書いてあります。

shingen.jpg


三国同盟の仲良し(笑)3人組は、どのようなお顔だったのかしら?

16:39  |  歴史  |  CM(18)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●多分

今川の歴代当主が木像なのは、足利将軍になぞっての事ではないでしょうか?

俗に「御所(足利家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が」と言われ、他の分家(三管領家を含む)と違い、将軍継承権のある家柄として、今川の家是は常にミニ将軍を目指していましたからね

確かに小田原北条氏の知名度は低いですよね、ドラマや小説の題材になったとしても、初代早雲くらいしかないし・・・・

でも、仮に氏康一代だけを取上げても、大河ドラマとかにするのはちときついかなぁ
国府台の合戦と、川越夜戦くらいしか見せ場がないし・・・・・

ドラマにするとなると、炎立つのように数部形式にして、五代100年をドラマにするとか?
一部、早雲が都から流れてきて、2代氏綱に継承するまで
二部、氏綱、氏康時代の北条の興隆期を取上げる
三部、氏康の死から北条の斜陽を描き出し、小田原評定を経て、滅亡まで

という具合でどうでしょうか?
しんのすけ | 2007.08.10(金) 13:21 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

木像なのは、足利将軍になぞってのことですか・・・そうかもしれない!
ず~と、不思議に思っていたのですよ。なるほど。
桶狭間で敗死した義元に、蹴鞠ばかりしていた氏真というイメージからか
今川は少し損をしていますよね。たしかに名門中の名門ですよね。
なにげに今川家も好きなのです(名門の二文字に弱い私・・・・笑)

北条は早雲は知られていても、あとの4人は知名度が低いですよ~
国府台の合戦と川越夜戦だけでは、メジャーになれないのかぁ・・・・
歴史好きじゃないと、国府台の合戦も知らないかも知れませんしね。

北条五代をドラマにするという案に大賛成です!!!!すっごく賛成です!!!!
早雲から氏直まで100年、まるごと戦国時代ですからねぇー
戦国は早雲の伊豆乱入に始まり、秀吉の小田原征伐で、その幕を閉じたのですものね。
一部から三部までの構成も良いですぅ、グッド。それのった!
都から流れて・・・・というくだり、さすがですね。
早雲は伊勢の浪人なんかじゃない(笑)
早雲から氏綱への家督の継承。氏綱・氏康の黄金期。氏政・氏直の斜陽期。
しんのすけさん、NHKに提案書を出せばいいのに。
マーちゃん | 2007.08.10(金) 14:09 | URL | コメント編集

●個人的には

早雲の倹約の心構え、氏康の国府台や川越の勝利の後の勝って兜の緒を締めよとか、三国同盟に至るまでの背景なんかをある程度の見せ場として

有名な氏政の無能を氏康がその幼少の氏政の食事ぶりから見抜く、「味噌汁2回掛け」のエピソードなんかをちりばめていくといいのではないかと思います
しんのすけ | 2007.08.10(金) 20:02 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

早雲は道三と並ぶ下克上の人と言われているけど、史実はそうじゃないんですよね!
検地をいち早く行った経営手腕をもっと評価してあげたい武将ですね。
え~と、早雲何とか条(名前忘れちゃいました・・・汗)で倹約も説いてましたね、ふむふむ。
三国同盟はシビれます(笑)大いに見せ場にしたいです。強固な軍事同盟ですもの!

>味噌汁2回掛け~ハイハイ♪これは外せませんね(同感です)
氏康はずいぶんと細かいことを言うなぁと思ったけど
氏政の無能さ(爆)を見抜いてたのですよねぇ・・・キャハハ
氏政・勝頼・氏真でトリオを組んでほしいです(笑)
(評判通り?の暗愚だったかどうかは、わかりませんけど)
ほんと、ドラマにしてほしいですよー
マーちゃん | 2007.08.10(金) 20:40 | URL | コメント編集

●氏真や氏政はともかく

個人的には物凄く勝頼には同情してます。一門の重鎮や古参の侍大将達は、二言目には、亡きお館様はと来るので、それを言われると、どうしても、またか?と言う気持ちになってしまうのは、自分にも経験があるのでわかります。多分氏真のように、蹴鞠以外には何事も無関心状態なら、穴山梅雪あたりが音頭をとって事実上の当主として振る舞ったのでしょうが。そうなったら歴史はどうゆう展開をみせたのでしょうね?
しんのすけ | 2007.08.10(金) 21:16 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

そうですねぇ。勝頼は頑張りすぎたのかもしれませんね。
無能者だったら織田政権に帰属して、細々ながらも家を残したかも・・・・
御館の乱の際、勝頼は北条との同盟関係を捨てて、景勝側についたでしょ。
これがどうしても、解せなかったのですよ(外交政策ミスだと思ってました)
勝頼は上杉・北条・武田の連携で織田氏に対抗しようとしたらしいのです。
この計画が頓挫して、北条との関係が悪化したということを本で読みまして
勝頼に対する見方が変わりました。暗愚だったわけではなく、時代が悪かったのだと・・・・
勝頼は信玄という偉大な亡霊の呪縛から逃れられなかったのかもしれませんね。
マーちゃん | 2007.08.10(金) 21:43 | URL | コメント編集

●事実

武田、上杉、北条の東国一和は、個人的には新三国同盟と呼びたい、は、かつて信玄生存時に、足利義昭が音頭を取って成立させようとしていた動きはあったのですが、信玄と謙信が当代の間はやはり成立することはありませんでした。もしこの同盟が成立していれば、信長の躍進もどこまでだったかも怪しいと思います。また、勝頼は上杉との同盟を結ぶ際にも一応は、氏政の弟景虎が命を落とす事無く、関東に落ち延びられるよう、斡旋に乗り出した部分もあったみたいですが、結局上杉側の強い拒否があったみたいで、景虎は落命してしまいました。もし、景虎の落命がなく氏政の手元にきちんと戻す事ができたなら、きっと新三国同盟は成立し、武田は滅亡を免れたのではないでしょうか?
しんのすけ | 2007.08.10(金) 22:08 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

新三国同盟かぁ。今川の代わりに上杉ですね。
信玄公の存命中、足利義昭の斡旋で同盟が成立していたならば
信長の躍進はなかったかもしれませんね。
たしか、義昭は第四次川中島の前に、武田と上杉の和睦を命じたかと・・・・・
なんだかんだ言っても、川中島合戦での双方の被害は甚大でしたものね。
上杉と武田が反目している隙に織田の勢力が拡大したような気がします。
上杉と北条がほんのいっとき、同盟を結んだでしょ。
あれが歴史の流れというか勝頼の運をなくしてしまったと思うのですよね。

勝頼は景虎・景勝の和睦成立を図ったけれど不調に帰し
勝頼と景勝の同盟成立が、景虎方の劣勢を決定付けたらしいですね。
新三国同盟が成立していたら・・・武田は滅亡しなかったと思います。
マーちゃん | 2007.08.10(金) 22:37 | URL | コメント編集

●新三国同盟が成立したら

上杉は、一向一揆の残党と連携して北陸道を進み、武田・北条の連合軍は徳川を一気に駆逐するようになるでしょう

さらに、足利義昭&毛利輝元にもお出ましになって貰い、さらに織田の勢力を分断してもらいます

正面に武田、背後に北条の両面から攻撃を受ければ、徳川はその場で立ち往生するしかなくなり、西に毛利、北陸から上杉の侵攻を受けた織田は、その立ち往生状態の徳川を助ける余力は無いので、これを見殺しする羽目となり、唯一無二の同盟国を失い、孤立無援状態に陥ります

そうすると信長はありったけの兵力を投入して、近江辺りで武田、上杉、一向一揆残党の連合軍と対峙するようになりますが、まず織田勢に勝ち目は無いでしょう

かくて信長は、三条河原に首を晒し、武田、上杉両雄打ち揃って瀬田大橋を渡る・・・・

なんて展開はいかがでしょうか?
しんのすけ | 2007.08.11(土) 07:20 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

>かくて信長は、三条河原に首を晒し、武田、上杉両雄打ち揃って瀬田大橋を渡る
って夢のようなお話ですわ~(信長さん、ゴメンね)
信玄公と謙信が志半ばで落命した後、勝頼と景勝(もしくは景虎)が都に旗を立てる!
傍らで、穴山と信豊がにっこり微笑んでいる・・・みたいな(笑)

そもそも、徳川は織田との同盟があったから、天下をとれたのですよね。
家康の忍耐強さがあってこそ
あれだけ長きにわたって同盟を維持できたのではないでしょうか。
戦国期にはめずらしいですよ。(織田も徳川に助けられてますが・・・・)
徳川と織田を分断しとけば、歴史は別の方向へ進んでいたと思いたいですね。
本願寺勢力は侮れませんよね。ポイントは毛利の働きというところでしょうか(笑)
北条は氏政の代になってから、戦下手になったことは否めませんが
武田と連合して徳川を挟み撃ちすれば、勝利できたと思うのですけど・・・
だって、徳川はあまり強いと思えないのですよ
(こんなことを言ったらヒンシュクですよね・・・すみません。)
マーちゃん | 2007.08.11(土) 09:09 | URL | コメント編集

●武田と上杉の

参謀総長格はこの時代になると、武田では真田昌幸、一方上杉の方は直江兼継といった所になるのでしょうか?。どちらも知略では折り紙付きの働きをするのでしょうから、その後の統一事業では、縦横無尽の働きをするでしょう。まあ、とりあえず北条には、関東管領のポストでも与えておけば納得してくれるでしょう土壇場でちゃっかり寝返りをした、光秀とか秀吉もいい仕事をしてくれそうです
しんのすけ | 2007.08.11(土) 12:16 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

北条5代と真田3代はいいですよねー。幸隆・昌幸は武田の名参謀だと思いますよ。
上杉が家を残せたのは、兼継がいたからでしょうね。
勝頼にも優秀な腹心の部下がいたらなぁと思ってしまいます。

北条には関東管領職を与えておけば、大喜びですよ。とりあえず・・・ねっ(笑)
光秀や三成は吏僚ですから、デスクワークに就いてもらって
秀吉は国土交通省の大臣として、公共事業に精を出してもらうというところですかね。
マーちゃん | 2007.08.11(土) 12:58 | URL | コメント編集

●あ、そうそう

京都で乞食になった今川氏真にも一つ仕事がありました。それは公家衆との折衝役です

今川は代々多くの公家を保護してきたはずなので、公家社会では顔が広いですからね、それに氏真自体も公家の血が入っていることですし

体制内に与する諸侯の官位の奏上などでは、大きな手腕(蹴鞠だから脚かな?)を発揮してくれるでしょう
しんのすけ | 2007.08.11(土) 19:46 | URL | コメント編集

●しんのすけさんへ

氏真は京都で乞食になったんだ!へぇ~(笑)
氏真はよく言えば、文化人大名なので
公家相手にお歌や蹴鞠の会を催していただきたい。
その際、お公家様の耳元で官位の件を囁くというのはアリですね。
氏真の場合、やはり手腕ではなく足脚かと・・・笑
蹴鞠の腕前(脚前?)は日本一だったとか!

武田・北条・今川も適材適所で、復活ですね・・・めでたし、めでたし。
マーちゃん | 2007.08.11(土) 20:47 | URL | コメント編集

●ウハハ、お二人とも

ものすごく詳しい。大学院のゼミでの会話みたい。私にはついていけませぬ。よく勉強されてますなー。
ところで、「その時歴史は動いた」の最終回で、家康は西洋の甲冑を着ていて鉄砲の弾が貫通しなかったというのがありました。これで当時の種子島が今の拳銃の弾の秒速300メートルくらいの威力しかなかったことが分かります。では日本の鎧かぶとは刀や槍、矢に対してはどの程度の防御力があったのでしょうか。
スタンリーメタボリック | 2009.03.27(金) 22:46 | URL | コメント編集

●スタンリーさんへ

いやぁ、マニアックなことを話題にしていますねぇ。今読むと恥ずかしいです(笑)。戦国時代のことを語りだすと、訳のわからないことを並べたててしまうので、今は封印しています。
家康が西洋の甲冑を着ていたという話は「そのとき歴史が動いた」で初めて知りました。織田信長あたりなら、いかにも着用しそうですが、家康がそんなものを着ていたというのは意外です。番組で紹介されていたものはレプリカでしょうかねぇ?上杉謙信の甲冑は本物が残っていて、それによって身長が156センチ前後の男だったと推測されているのですよ。
当時の鉄砲は有効射程が100メートルぐらいだったそうですから、今の鉄砲の3分の1くらいの威力なのでしょうかねぇ。(私よりスタンリーさんの方がずっとお詳しいですよね)
>日本の鎧かぶとは刀や槍、矢に対してはどの程度の防御力があったのでしょうか。
あ~っ、そういう発想をしたことがなかったです!兜首(馬に乗るくらいの身分)をあげるのは至難の業だと言われていたので、刀では無理でしょうね。槍で突き殺すしかなかったと思うのですが、胸と背中は鉄で覆われていますから、どうやったのでしょう?これは私の想像でしかないのですが、足をねらって転ばせてから首を槍で突き刺したのではないでしょうか。顔も首も防御されてはいますが胸ほどは守られていなかったように思うのです。
矢ははじかれてしまうのでは?「蜘蛛巣城」は至近距離から矢が放たれていたように思うのですが(勘違いかも)、戦国時代はまず、鉄砲と矢を放ってから合戦が始まっていました。弓と鉄砲は遠距離攻撃の手段だったと思うので、足軽のような者には有効だったかと思われます。
マーちゃん | 2009.03.27(金) 23:42 | URL | コメント編集

●戦国時代の戦法

興味が湧いてきました。ご返事遅れてすみません。
図書館に行っても、ウィキでもなかなか載っていません。
闘い方は、おっしゃるとおり防御のない首や足を狙うのでしょうね。刀というのはほんと、すごい切れ味ですよね。首なんか介錯でもスパット飛んでしまうようです。大きな牛の頭をバン刀で一刀両断した実写映像を観たことがあります。
防御と言う点では槍が一番有効のような気がします。
でもよく言われるように「やーやー我こそはどこどこの何々」と紹介しあって闘ったのでしょうか。ほんとかなー。
種子島の有効射程は100メートルですか。意外とすくないのですね。これは拳銃と小銃の中間ですね。丸い弾は回転して飛んでいかないので、銃身は長くて飛びそうですが、命中率は悪く、そんなものなのでしょう。大戦中の各国の小銃の有効射程は1000メートル前後ですが、実戦ではせいぜい300メートル以内でした。映画でも50メートルくらいで撃ち合っていますね。
スタンリーメタボリック | 2009.03.30(月) 08:46 | URL | コメント編集

●スタンリーさんへ

わざわざ、調べていただいたのですか・・・・恐縮です。
戦国時代の戦法に興味を抱きはじめられたとのこと、大変うれしいです!
戦国時代の戦法は中国の兵法書(孫子)を参考にした武将が多いそうですよ。
(私は孫子はうっすらしかわかりませんが・汗)
江戸時代に書かれた「軍記物」には創作部分が多いので参考程度になさった方がよろしいかと思います。
種子島の有効射程は以前読んだ「鉄砲伝来」という本に書かれていたことなのですが、記憶違いだったらすみません。
>大戦中の各国の小銃の有効射程は1000メートル前後
凄いですね!
鉄砲のことでしたら信長と武田勝頼が戦った「長篠合戦」を扱った本に詳しく書かれていますが、作家の書いたものはウソばかりなので、ご注意ください(笑)。
日本刀はすぐれた武器ですね。ただ、戦場においては副次的な武器でしかなく「首取り」に必要とされた以外には、大きな役割を果たしていたわけではなかったそうです。
>首なんか介錯でもスパット飛んでしまうようです
まさにその通りでございます!牛の首もスパッでしたでしょうね。
スタンリーさんからコメントをいただいた後、私も甲冑について調べてみました。甲冑研究家の山岸素夫氏によると(いろいろな研究家がいるのですね・笑)金属製の鎧はもちろん、皮鎧であっても斬撃には強く、太刀疵が裏まで抜けているような例はないそうです。甲冑の強敵は、まず鉄砲で、次いで弓や槍だったみたいです。
戦死者は必ずしも即死者ではなく、わが国には「首取り」という敢行がずっとあったため、負傷者して動けなくなったような者は、たいてい首を取られたそうです。(怖っ)
「やーやー我こそはどこどこの何々」は源平合戦の頃のことで、戦国時代もその名残があったかもしれませんね。まぁ、戦国も末期になると、そんな悠長なことはやっていなかったと思うのですが・・・・。
マーちゃん | 2009.03.30(月) 12:00 | URL | コメント編集

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