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2007.01/29(Mon)

武田と勘助

大河ドラマ「風林火山」
いよいよ山本勘助が武田に仕える場面が出てきましたね。

前にも書いたことですが、勘助は史料の中では『甲陽軍艦』にしか登場しない人です。その実在を証明した書状(1557年6月23日付けの北信の土侍である市河藤若に宛てたもの)にも口上の使者として山本助の名が記載されているだけで、その詳細は不明です。よって山本勘助の人となりは甲陽軍艦に頼るほかありません。山本勘助の登場シーンを要約しました。

天文12年正月三日、武田家の家老たちが集まり、その年の晴信公の軍備について討議を行った。敵味方の国境にかまえる城について話題が及んだ。良い城は千人の敵に対して味方は三百でも持ちこたえることができる。これは城の構え方、設計に重要な秘訣があるからだ。この秘訣を心得た人物が今川義元公のご家中、庵原殿の身内にいる。この者は全国を回って修行した大剛の武士で、山本勘という。そして板垣信が、勘介を晴信に推挙した。このとき約束された知行は百貫。

勘介と初対面の時に晴信公は、『勘介は片目の上、数箇所の負傷によって手足もやや不自由のように見える。しかも色は黒い。これほどの醜男でありながら、その名声が高いのは、よほど能力の優れた武士であろうから、知行百貫では不足であろう。二百貫にしてやろう』とおっしゃった。

このころから信玄公は人使いが上手だったのですね。勘助は自分の容姿にコンプレックスがあったはず。そこを指摘しながら能力面を褒める。勘助としては、このお方はこんな自分を正当に評価して下さった。晴信様のために頑張ろう!と思いますよね。

【つけたし】
①大河ドラマの最後に紹介されている勘助ゆかりの場所は、江戸時代初期に書かれた甲陽軍艦を読んだ人によるものでは?視聴者に勘助実在説をアピールしてるぅ(笑)
②山本勘助の名前の字は、勘介や管助とも記されています。板垣信方も信形という字だったらしい・・・どうでもいいことでした(汗)。


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