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2007.04/11(Wed)

関ヶ原合戦始末記

20070411212028.jpg
酒井忠勝 原撰  坂本徳一 訳

本書は徳川秀忠・家光・家綱の三代に仕えた酒井忠勝の覚書を原本に
明暦二年(1656年)、林羅山という人が書いたものです。
幕藩体制を固めるための一つの手段として江戸開府までの原点に戻り
関ヶ原で戦った直参、諸大名の功績を正しく後世に伝えるという政治的な意図があったそうです。

ただ、どうなんだろう?合戦そのものは史実を伝えているのかもしれませんが
徳川のサイドから書かれた戦記ですから、三成を悪玉に仕立ているかな・・・
客観的に関ヶ原合戦の発端から結末までを描いているように装っているのですけどね(笑)。

家康側の武将の活躍だけではなく、負けた西側武将の功も紹介しています。
西側の大谷吉継の最期や島津の敵中突破などです。
しかし、うがった見方をすれば、この2人を絶賛することにより
三成の敗走した様の惨めさを際立たせようとしたのでは?
「甲陽軍鑑」のような哲学的で深みを感じる書と比べると、あんちょこな部分が・・・

徳川が天下をとったのですから、三成が悪玉にされてもしょうがないかな。
勝てば官軍、負ければ賊軍ですものね。
でも、関ヶ原合戦の大義名分は三成の方にあったと思うんですが。



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