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2007.05/12(Sat)

今川義元

20070512132104.jpg


著者の小和田哲男先生が、冒頭で述べている言葉を紹介しますね。

映画やテレビ・ドラマの影響と思われるが、今川義元の武将としての評価は芳しくない。「お歯黒をしていてお公家さんみたい」とか「桶狭間の戦いのときも、馬に乗れなかったので輿に乗っていた」などといわれ、『軟弱武将』のレッテルが貼られてしまっている・・・(中略)・・・駿河・遠江においては、義元は、確実に時代を築き上げた歴史上の人物である。銅像の一つや二つあってもおかしくないのに、現在の静岡県内には義元の銅像はおろか、観光スポットになっているところすら一ヶ所もない。

小和田先生は、静岡大学の先生ですから、このことをつくづく実感されているのでしょうね。
確かに信玄公や謙信、家康などは銅像になってますものねー(笑)。
どうも義元ちゃんは、人気がイマイチ
実際はどんな人だったのか知りたくて、読んだというわけです。

今川家は足利氏から分かれた吉良氏の分かれ。たどれば源義家にいきつく名門中の名門。
義元の父・氏親の代で守護大名から戦国大名へと脱皮しました。
武田家と同じパターンですな。しかし信玄公と義元には若干、器量の差が・・・笑

義元も領国経営の部分では、検地や財源確保策などに卓越した手腕を見せています。
しかし、三国同盟を結んでいた信玄公や北条氏康と比較すると
合戦時の作戦立案能力といったところで少し見劣りがする・・かな。

武田や北条には後世に名を残す「川中島合戦」「河越の夜戦」といった名勝負があるのに対し
義元は「桶狭間の戦い」で、ぶざまに負けていますからねぇ。

本書では、当然ながら桶狭間の戦いについての詳細な記述があります。
小和田先生によれば、このときの信長の攻撃は、広い意味での奇襲の範疇に入るとのこと。
ただ、従来の通説だった迂回奇襲ではなく、正面奇襲だったのではないかという意見です。
藤本正行氏の説とは若干、違っています。

桶狭間の戦いのとき、義元が輿に乗って出陣した理由。
「太りすぎていて馬に乗れなかった」「足が短くて馬に乗れなかった」というのは違うようです。
輿に乗ることは、室町将軍家から特に許された特権だったそうですよ。
当時、成長過程の信長とその家臣たちに圧力をかけるため
そうした特権を誇示し、輿に乗って出陣したものと推察されるとのこと。
まぁ、輿に乗っていたこともお歯黒の一件も事実のようですが(笑)。

今川義元はイメージ通りの武将だったということです(★^ω^)ニッコリ★




14:52  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

そういわれてみれば観光スポットになっている場所って
あまり聞かないと思ったら
そうかぁ!なかったのか!それも義元ちゃん可哀想
でも、今川の本陣が置かれた場所には、桶狭間古戦場公園としてあり
敷地内には、義元の首を洗ったという泉が残されてるとか・・・
もし銅像があったら、どのように作られたのかしら?
輿に乗ってる義元なんて、さえないし・・・
顔は、やはりマロ眉のお顔ですかね
素顔を知りたいもんです
弓取り名人といわれた、義元ももう少し長く生きてたら
歴史上でどのような活躍をされたか気になるところですよね
幼少の頃の義元の話とか、本にはなかったですか?
風林火山の義元役の俳優さんは、えらいかっこよかったのに・・・
もう出番はないのですかね
Kuu | 2007.05.12(土) 18:59 | URL | コメント編集

義元ちゃんは可哀想でしょ!!首を洗われた場所が、残ってるのですか(笑)。
今川からすると、不名誉な泉ということになりますねー
一度は信長の手に渡った首が、駿府に送り返されてますよね。
今川方の岡部真幸という人が、鳴海城に籠もって
「義元の首を返してくれるまで籠城を続ける」とゴネたのですって。
首実検のあとに返却されたのでしょうから
白塗りは落とされた状態だったでしょうね。
でも、素顔だと義元とわからなかったのでは?
胴体は三河の牛久保に埋葬されたそうです。
一緒に埋葬してあげてよっ!と思います。
銅像は当然?輿のり義ちゃんでしょ!
義ちゃんにとって、輿に乗ることこそ、名門の証だったのですから(笑)。
涼やかにマロ眉姿でね(★^ω^)
義ちゃんは、幼少時代の大半を京都の寺で過ごしてます。
公家との交流も盛んだったようですよ。
養育係の雪斎が、禅の修業がおろそかになることを心配してますもの。
風林火山では、これからも登場すると思いますけど・・・
第二次川中島の戦いで、義元は武田に援軍を送ってますし
武田・今川・北条の三国同盟の成立過程を大きく取り上げるのでは?
ドラマの義元はカッコよすぎで、少々不満です。
マーちゃん | 2007.05.12(土) 19:48 | URL | コメント編集

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