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2007.12/18(Tue)

川中島の合戦

大河ドラマ「風林火山」の最終回がありました。ドラマなのですから、史実云々を言うのは野暮。井上靖氏の「風林火山」が原作です。しかし、ドラマと原作は相当かけ離れています。脚本家さんが暴走した才能を発揮していました。特に後半はやりたい放題でしたねぇ。前半は重厚な本格時代劇の様相だっただけに惜しまれます。

ごめんなさい。始めに謝っておきます(笑)。今から夢も希望もないような史実を記述します。こんなことを書きたがるのがマニアでして・・・・。いけないと分かっているのですけれど・・・・・。はい、確信犯でございます。不愉快に思われる方はスルーしてください。

山本勘助は長らく、架空の人物とされていた人です。というのは、一級史料に山本勘助という名が認められなかったからです。勘助の名を有名にしたのは、江戸時代に書かれた軍記書「甲陽軍鑑」。これは成立年と著者の特定がなされていない、神秘の(?)書物なのです。武田研究に携わる人からは評判の悪い書物で、甲陽軍鑑には手を出すなとさえ言われています。たしかに読めば、その史料的価値が低いことは、私のような素人にも分かります。

この他、山本勘助のことを記している書は「武田三代記」「川中島五箇度合戦之次第」「北越軍記」「常山紀談」「武功雑記」など、いずれも江戸中期のもので、「甲陽軍鑑」を参考史料として書かれた軍談本の類です。

昭和44年に「市河文書」の断片が発見され、これに「山本勘助」の名があったことから、そういう名前の家臣が武田にいたということは証明されました。しかし、詳細については全く不明。軍師・勘助は「甲陽軍鑑」の作り出した架空の人物であろうということが通説となっています。

そして「川中島」の戦い。激戦であったことは間違いのないところなのですが、詳細については、これまた、「甲陽軍鑑」を中心とした軍記本にしか出てきません。川中島の合戦ほど根拠があいまいで、事実関係がわからない合戦も珍しいのです。川中島の戦いとは、川中島を中心とする武田・上杉両氏の対立という意味において、5回にわたる対陣、衝突を含んだ軍事行動の総称です。

上杉軍の妻女山布陣、武田家の啄木鳥の戦法、上杉軍の車懸かりの陣、武田軍の鶴翼の陣、信玄と謙信の一騎打ちなどは、軍記物が創作した戦国浪漫とみるべきでしょう。確実な史料から確認できる第四次川中島の合戦とは、平山優著「川中島の戦い」によると

①9月10日に確実に両軍の会戦があった
②この合戦で武田信玄の実弟典厩信繁が戦死した
③上杉政虎が自身太刀を振るって戦闘に及んだ
④この合戦で郡内小山田衆が上杉軍に側面攻撃を加えて甚大な被害を与え、その武勇が近国に知れ渡るほどのものであった
⑤双方とも、自軍の勝利を喧伝し、武田方は討ち取った敵を3000余人とし、上杉方は8000余としている
⑥武田軍は戦闘終了後も川中島に踏みとどまり、上杉軍が野尻城や市川城に残党が籠城していることを確認している

以上のことしか分かっていないそうです。

一見するとまったく性格の違いそうな戦国の雄、信玄と謙信との直接対決。この戦いがなければ、どちらかが天下をとっていたかもしれません。

川中島合戦を通じて、信玄の勢力は次第に北信濃にまで及ぶようになりました。戦争目的を達したという事からすれば、実質的な勝者は信玄であったということが、多くの研究者たちの意見です。

書きたい放題の後ですが・・・・
NHKさま、武田を題材とする大河ドラマを放送くださりありがとうございました。俳優陣の、それぞれの個性を発揮した熱演にも拍手を送ります。お疲れ様でした~。
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