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2007.03/04(Sun)

グルメな武将

伊達政宗は永禄十年(1567年)、伊達輝宗の嫡子として米沢城に生まれました。
家督を継いだのは、天正十二(1584)年。
その頃、伊達氏は陸奥の群雄の中でもやや有力といった程度の存在だったそうです。
しかし、五年余りのうちに、陸奥・出羽六十六群の三十郡余りを席巻します。
その後、天正十七(1589)年摺上原の戦いの勝利により奥羽での覇権を確定しました。

よく言われるように、彼は生まれるのが遅すぎたし
生まれた場所も遠隔地すぎたと思います。
もっと早くに京をうかがえる場所で誕生していれば
天下も狙える器の武将だったのではないでしょうかね。
平和な徳川時代に入ってからは、仙台城で神父ソテロや探検家のピストカインと会見
領内にキリシタン布教を許し、教会堂も建てさせたそうです。

【戦国武将名言録】に正宗のおもしろい逸話が載っていました。
「ちっとも料理心のない者は、情けない心の持ち主である」  by:正宗公名語集
「客人を接待するときは、たとえ一品でも自分が料理したものを出しなさいよ」ということらしい。
食文化を大切にし、朝夕の献立はトイレの中で考えていたとか・・・何もそんな場所で(笑)
伊達巻は正宗の好物だったことから名付けられたそうです。
あと、伊達男という言い方も正宗からですよね。写真は正宗所用と伝えられる陣羽織です。
なかなかお洒落!

20070304101617.jpg
仙台博物館蔵

正宗が料理研究家?になれたのは、家康が戦乱の世を終焉させ
平和な世の中を築いたおかけですね。


12:10  |  歴史  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

伊達巻、今日朝に食べましたよ~!
私も好物です(笑)
それにしても、伊達巻きの伊達は正宗からきてたんですか!
正宗は、そのような名言を残していたとすると
料理もしたのですかね?どんな献立を考えていたのか気になるところです
それにしてもトイレで何も献立考えなくてもねぇ・・・
そんなことしていると、下から忍びのものに、せいやぁー!って
つかれますぜっ(笑)

陣羽織は、色鮮やかな水玉ですね
伊達というと、どうも無双の顔をイメージしてしまうので
ちょっとこの派手な陣羽織をはおって、ば~かめが!って
想像しちゃいました(笑)

今日は、亀晴信さんの出番ですよ!ウシシッ
Kuu | 2007.03.04(日) 13:54 | URL | コメント編集

朝から伊達巻とは豪華ですね・・・羨ましい!
正宗は領土拡大にあけくれた若い時代は粗食だったそうですが、
秀吉と出会ってから料理に興味を示すようになったらしいです。
茶席で、秀吉・家康・前田利家・正宗が主人となり
手料理で客をもてなして遊んでたのですって(笑)

正月料理ともなると、豪華な精進膳と雑煮のあと
3汁16菜の本膳が出されたそうです。

トイレで朝夕2回、2時間を過ごした正宗は緊張感が欠如してますなっ!
忍びのものに突かれても文句いえません(笑)
まぁ、トイレで緊張してたら用が足せませんが・・・
信玄公は、トイレでも警戒していたらしいです(マジッ?)

陣羽織はセンスいいですよね!
水玉模様の陣羽織ってめずらしいし。

無双は各武将のキャラクターを的確にとらえてますよね。
正宗はどうやらハデな人で
あの「ば~かめが」っぽい武将だったのではないかしら?

ウシシッ!今日は週に一度のお楽しみ~
亀が見れまっせ(笑)首に注目なさいませ!
マーちゃん | 2007.03.04(日) 14:49 | URL | コメント編集

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