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2011.02/15(Tue)

太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男

本作は戦時の人間たちの映画である。実話をもとにした物語なのだそうだ。実話が云々、史実が云々という宣伝文句は鵜呑みにしないことにしているが、本作には説得力があった。余分な脚色がなされていないからであろう。戦争映画は本質的にはとても悲しいもので、感動的な題材となり得るわけだから、淡々と描くことによってこそ、リアルな感動が生まれるのだと思う。

fox_1.jpg

太平洋戦争の末期のサイパン島・・・陸海軍あわせて約4万名の日本軍と約2万人の民間人がいた。当時のサイパン島は精糖・漁業・酒造・農業などの産業で栄えていたため、これだけ多くの非戦闘員がいたのである。軍事的には本土防衛の重要拠点であった。ここを米軍にとられると、日本本土は直接空襲されてしまう。米軍は艦砲射撃によって日本軍守備隊海岸陣地を破壊し、上陸作戦を開始する。日本軍はあいつぐ夜襲により反撃をこころみるも、米軍の鉄砲火と戦車に圧倒され、南部にあるアスリート飛行場の占領をゆるす。米軍は日本軍邀撃ラインを逐次突破し、タッポーチョ山山頂を占領する。一方、日本軍は山の北側に要線を確保し、死闘に入ってゆく。そんな中、陸海軍首脳部は自決して果てた。軍刀を腹につきさすと同時に介錯人がピストルを放つシーンは異様である。首をはねるような豪胆な腕を持つものは、この時代にはいなかったのだろう。それでも切腹という死の儀式を行うのは精神主義に走った日本軍を象徴している。その後、日本軍残存兵は最後の突撃を敢行し、ここにサイパン島の地上戦は、いたましい終わりをつげる。

このような行為は米軍には到底理解できない。なぜ、首脳部は自殺したのか?なぜ、残存兵と民間人は投降しないのか?アメリカ海兵隊の中に日本に留学した経験を持ち、日本兵の精神構造を知る将校(ショーン・マクゴーウァン)がいた。彼は上官に「武士道」に通じる文化を必死に説明するが、理解を得ることはできなかった。

数メートル進むだけで多くの命が失われる最前線。しかし玉砕した日本軍の中には生き残った者もいた。大場栄 大尉(竹野内豊)は47人の兵士たちを率いてゲリラ戦を展開する。サイパン島は丘陵や断崖に富んでいる。日本軍によって要塞化された洞窟陣地や地下防塞が構築されており、その内部深くにもぐりこんでの抵抗戦は米軍を悩ませた。隊を統率する大場大尉はやがて「フォックス」と呼ばれ、恐れられる存在となっていく。黙々と表情一つ変えず、任務を遂行する大場大尉。しかし、人が人として立居しているかぎり、感情を持たずに生きられるものではない。戦禍の跡に残された赤ん坊を、愛おしげに抱き上げる姿に彼の本質をみたような気がする。

職業軍人であれば、集団自決という道を選んだかもしれない。だが、大場大尉は残された兵士と民間人の命を守り抜くため、智謀の限りをつくす。竹野内さんの演技の自然な本物らしさが良い。大場隊と行動をともにする堀内一等兵(唐沢寿明)のキャラも際立っていた。いわゆるならず者である。岡本喜八監督の『独立愚連隊』(1959)を思い起こす。実際、ああいうならず者は、どこの軍隊にもいたらしい。唐沢さんの構える銃が米軍のものというのが笑える。

fox_2.jpg

やがて終戦を迎えるが、大場大尉は投降しようとはしなかった。なぜなら、上からの命令がないからである。それが軍隊というものなのだろう。小野田少尉のことを思い出してほしい。小野田さんは任務解除の命令が届かなかったため、敗戦後もフィリピンルバング島にとどまり情報収集活動を続けていた。かつての上官が任務解除・帰国命令を携え迎えに行ったのは終戦から29年後である。

大場大尉も投降するにあたっては、相当な葛藤があったにちがいない。上空を飛ぶB-29爆撃機、大量のビラ、斥候の報告・・・どれも日本の敗戦を伝えるものであった。しかし、徹底抗戦にはやる部下の気持ちを収拾させるのは容易でない。そこで大尉は米軍のルイス大尉(ショーン・マクゴーウァン)とコンタクトを取り、解散命令書が必要であることを伝える。ほどなく、大場隊は命令書に従い投降する。「歩兵の本領」を高らかに歌いながら堂々と山から下りてくる姿に目がしらが熱くなった。ほこらしく締めくくったラストが心に沁みとおって感動を呼び起こす。 

テーマ : 映画 - ジャンル : 映画

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Comment

●spiritualism

先の大戦では、日本人は精神主義で戦って、みじめな敗北を喫した。
日本人の精神力が足りなかったために、戦場においても工場においてもアメリカ人の精神力に負けたのだと考えていたとしたら、それは日本人の誤りである。

日本人には、意思がない。だが、恣意がある。
だから、日本人には能動はないが、願望はある。
米空軍が日本の都市を爆撃し始めたころ、航空機製造業者協会の副会長は「ついに敵機は我々の頭上に飛来してまいりました。しかしながら、我々航空機生産のことに当たっておりますものは、かかる事態の到来することは常に予期してきたところでありまして、これに対処する万全の準備をすでに完了いたしております。したがいまして、何ら憂慮すべき点はないのであります」と述べた。
すべてが予知され、計画され、十分に計画された事柄であるという仮定に立つことによってのみ、日本人は、一切はこちらから積極的に欲したのであって、決して受動的に他から押し付けられたものではないという、彼らにとって欠くことのできない主張を持続することができた。

日本人がどこで希望的観測の罠に落ちるのか、現実と願望 (非現実) を取り違え精神主義に走るのか、きちんと振り返り反省することはほとんど不可能である。
それは、日本語に時制がないからである。
日本語脳においては、現実と非現実を異なる時制を使って表現することができない。
現実を現在時制の内容として表し、願望を未来時制の内容として表すことができれば、それぞれの内容は別世界の内容となり、混乱することはない。混乱しなけれぱ゛キリスト教のような宗教になり、混乱すれば原理主義となる。

だがしかし、我が国では、一つの事態の肯定と否定は、同じ世界のこととして言い表される。
人々は、無為無策でいながら現実が願望へと突然変化 (反転) することをひたすら願うものである。
言霊の効果の出現を望んでやまない。
必勝を心の底から祈願すれば、悲惨な玉砕もあっぱれな勝ち戦に見えてくる。
実現不可能な欲望の思い込みが強すぎて、現実直視は困難になる。
これが、日本人の精神主義の本質である。
日本人は、祈願を他力本願・神頼みとしておおっぴらに認め合っている。
問題解決の能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
この閉塞状態が日本人の知的進歩の限界となっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
noga | 2011.04.02(土) 01:48 | URL | コメント編集

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