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2012.07/27(Fri)

裸の19才

hadaka19.jpg

[永山則夫連続射殺事件]を忠実に再現し、永山の凶行の背景を考察している。映画化したということは、永山への同情があったからだろうが、私は金目的で、罪のない4人を殺すような人間に情状酌量の余地はないと思う。永山自身が「永山則夫の犯罪は社会の犯罪だ」と言ったのは納得できない。彼の書いた『無知の涙』を読んで、さらに怒りが膨らんだ。もっとも、死刑が確定した者が、どうせ死ぬなら、極楽や天国に行きたいと、己の罪を悔いるのに比べれば、潔いのかもしれない。

さて映画。米軍横須賀基地のフェンスに手をかけた少年は、近づいてきた一匹の犬を蹴り飛ばした。彼の心が荒んでいることを端的に表すショットだ。少年はフェンスの切れ間から、悠然と敷地に入り、バッグの中にあったピストルを盗む。いったい何を考えているのだろう?能面のような顔からは伺いしれない。中学の駅伝大会の様子がインサートされる。そこには皆の声援を受けてゴールする山田道夫(原田大二郎)の姿があった。これが彼にとって、一番良い思い出なのだろう。たったそれぐらいのことが・・・。道夫は中学を卒業すると、集団就職で青森から上京してきた。就職先は渋谷の大型フルーツパーラーだ。歓迎が開かれ、その席上で専務が言う。「君たちが育った青森や秋田と比べると東京は、随分と違います。集団就職の少年たちが同じ職場に長続きしないのは、華やかな街に自分自身を見失ってしまうからです。」

道夫たちは希望を持って東京暮らしをスタートさせる。だが、現実は厳しかった。休み時間、客席で飲食しようとしたところを専務に見咎められる。従業員が客席についてはいけないことは当たり前だが、中学を卒業したばかりの子たちは、そういう基本的なことがわかっていないのだ。お客と喧嘩をし、こっぴどく叱られる仲間もいた。

同郷の友人を訪ねた先で、道夫は大学生のデモを見る。このシーンを見てドキリとした。今まで若者と言ったら、60年安保闘争を繰り広げた反体制的な学生をイメージしていたが、別の角度から見れば、彼らはなんと幸せな者たちなのだろう。大学生だけが悩む若者なのではない。無学ゆえに自己主張の手段を持たず、社会の隅に追いやられる若者がいたことを、映画が教えてくれた。目からうろこだ。道夫と同じ時期に就職した同僚たちは、次々と店を辞めていく。そして道夫も、店を飛び出し、職を転々とするのだった。

映画は道夫の東京生活を描くと同時に、道夫の育った環境を、彼が生まれる前までさかのぼり刻明に描写している。母親のたけ(乙羽信子)は奥尻島で生まれた。4才の時に父が本土に行ったきり、戻ってこず、母は青森で再婚している。そして、二十歳の時に山田半次郎と結婚。彼は腕の良い剪定職人だったが、無類のバクチ好きで最低の夫、父親だった。網走の林檎園に移り、子供が次々と生まれ、戦争があって・・・時は流れていくが、半次郎のバクチ好きと女好きは少しも直らない。仕事をしないで、家を出たまま、何日も帰らないような生活を続けていた。当然ながら、一家の生活は困窮を極める。

母は道夫らをアバラ家にのこしたまま、青森へ職を求めて渡ってしまう。残された子らは餓死寸前のところを近所の人に発見され助け出された。この時の体験が、道夫の人格形成に陰を落としたのではないだろうか。幼い道夫は母に捨てられたと思ったであろう。劣悪な環境の中で、健全な精神を育むのは難しい。何かある度に、道夫は激しく屈辱感を募らせ、自分の感情をコントロールできなくなっていく。

まず、道夫の父親がいけない、そして無知な母親がいけない。そのような人間を生み出した社会もいけない。だからといって、道夫の罪が許されることにはならない。平時において、人を殺めるような奴は性格破綻者だ。しかし、道夫が普通の家庭に育っていたならば、彼の性格は破綻しなかっただろう。永山元死刑囚のような人間がいなくなる日はくるのだろうか。

*追記に永山事件の概略を記載しています。

【More・・・】

ウィキペディアからの抜粋です。
永山則夫連続射殺事件とは、1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、拳銃による連続射殺事件である。 永山は横須賀のアメリカ海軍基地から盗んだ拳銃により、短期間のうちに4人を射殺した。

第一の殺人事件:1968年10月11日、東京の東京プリンスホテルで綜合警備保障の27歳ガードマンに対し2発撃って射殺。
第二の殺人事件:1968年10月14日、京都の八坂神社境内で69歳警備員に対し6発撃って射殺。
第三の殺人事件:1968年10月26日、函館で31歳タクシー運転手に対し2発撃って射殺。
第四の殺人事件 1968年11月5日、名古屋で22歳タクシー運転手に対し4発撃って射殺。

【身柄拘束】
1969年4月7日に一連の犯行に使用した拳銃を持って予備校に金銭目的で侵入した所を、機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障(現セコム)の警備員に発見されるが、発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。しかし、警視庁が緊急配備を発令。数時間後、警戒中の代々木署のパトカーに発見され逮捕された。

【裁判】
10年を費やした1審の審議では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、2審の東京高等裁判所では、心境の変化、家庭環境・生育状況が劣悪であった事、配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。
しかし検察側は上告し、最高裁は1983年に東京高裁の判決を破棄して東京高裁に審理を差し戻し、1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は「永山が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していたことから、生育環境の劣悪性は4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。1997年8月1日に東京拘置所において刑が執行された。享年48。

タグ : 新藤兼人

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